6-7 川と海
もう一度、棚に置いてあるおもちゃを流し見る。
目についたのは、赤いポストだった。ポストを置く場所を作らないといけない。
箱庭の中央に川を作る。箱の中を分断する川だ。
川の左側はゆるやかに、右側は勾配がきつく見えるようにメリハリをつけた。
無意識にそうしていた。きっとこ
れも、何か意味があるんだろう。
川の右側の中央にポストを置く。ポストの投函口は、川を眺めている。
箱庭の右端に、駅を作る。線路は駅から手前に向かって続いている。
川に橋を作った。橋の中央にうさぎが立っている。うさぎは駅を見ている。
箱庭の左奥には、男の子を一人配置した。男の子はうさぎを見ている。
駅は無人駅じゃない。駅員は、アキさんだ。
アキさんは、鳥だろうか。鳥はうさぎを見ている。いつでもうさぎのそばに飛んでいけるように、じっと見つめているんだ。
うさぎは香奈だ。香奈は駅を見ているけど、アキさんを見ている訳ではない。
アキさんの話では、香奈は誰のことも見ていないように思えた。悲しい推測だけど。
「できました」
安田先生は、俺が作った箱庭をじっと見つめている。
「左側はシンプルなのね。この箱庭の主人公はどこにいると思う?」
俺は、男の子を指差した。
「男の子の周りは、寂しいわね」
「これは俺です。寂しくないですよ」
先生ははっきりと言い切った俺の言葉に、少しだけ驚いている様子だった。
「高瀬君は思っていたよりも強いのかもしれないわね」
先生のその言葉に、俺は苦笑いをする。
「それはどういうことですか?」
「私が気付いたことを話すその前に、この箱庭の物語を話してもらおうかな」
軽く深呼吸して、箱庭の中の男の子にそっと触れる。
「この箱庭の主人公は、この男の子です。中央にある川の左側の岸は、緩やかです。男の子は、川遊びをします。でも、川の右岸は勾配がきついので、この橋を使わないと向こう側にはいけないんです」
男の子を手に取りいったん川辺に置いた後、橋の近くに移動させた。
「川の流れは穏やかなのかな?」
「今は穏やかです。でも、この川の上流は険しい山があると思ってます。山の天気は変わりやすいので、雨が降ったらこの川の水も穏やかではなくなってしまう。透き通っていた水は、あっという間に濁ってしまって底は見えなくなります」
俺は、箱庭の手前を上流だと示すように、手前から向こう側に手を動かした。
「高瀬君は、箱庭の外の世界までちゃんと思い浮かべてこの箱庭を作ったのね。天気を考えてるのは良いわね」
安田先生は、そう質問しながらメモを取っている。
「ここの川は、下流です。この場所は海に近い。男の子は、この橋の上にいるうさぎを海に誘いたいと思っているんです」
でも、うさぎは男の子を見ていない。香奈は、俺を見ていなかった。
「このうさぎは高瀬君の彼女なのかな?」
俺は、ゆっくりと頷いてそこで軽く深呼吸をした。
「この橋は小さくて、一人ずつしか渡れません。駅に行くには一人が渡り終えるのを見届けないといけないんです」
「高瀬君は、この駅に行きたいと思ってる?」
「はい。うさぎと海を見た後、駅に行こうと思ってます」
「橋を渡るのは一人ずつなのよね。じゃあ、先に橋を渡るのは誰?」
口調は穏やかなのに、俺を見ている目はなんだか鋭くなっている。
俺は、すべて見透かされているように思えて、口ごもってしまった。
「多分、うさぎを先に、行かせると思います」
香奈が先に橋を渡ったとしたら、待っていてくれるのだろうか。俺を捨てて、アキさんのいる駅に行ってしまうんじゃないか。香奈は、一人でどこかへ行ってしまうんじゃないか……。
「じゃあ、このポストは?」
先生は、俺の曖昧な言葉には突っ込まず、別の質問をしてきた。
一番最初に目についたポスト。これは俺もわからない。
「一番最初にこのポストが目につきました。それから川を作りながら、こ
の箱庭の物語が頭の中に思い浮かびました」
「この中の男の子もうさぎも、鳥もポストも、正面を向いていないわね。みんなそれぞれが、自分の見たいものに向かってる」
それには気付いていなかった。
「それぞれが違う方向を見ているのはどうしてだと思う?」
「それは、みんな、自分のことしか考えてないから。そういう事ですね」
「以前の高瀬君なら、自分が先に橋を渡り、彼女が安全に渡りきるまで待っていると答えたと思うんだけど、違うかしら?」
「そうですね。それは状況が変わったから、そうなったんだと思います」
「そうね。以前とは状況が変わってきてる。もしも、うさぎが男の子を待たずに先に駅に行ってしまったら、この男の子はここで一人でいると思う? それとも追いかける?」
先生は、俺に何を言わせたいんだろうか。
カウンセリングは、こんな話をするため?
いや、違う。さっき、先生は俺のことを強いと言っていた。何かに気づいていて、俺の覚悟がどれくらいのものなのかを試しているのかもしれない。
「うさぎは追いかけられたくない。ついてくるならきてもいいという、そういうスタンスで駅に向かうんだと思います。俺は、うさぎが駅、いや鳥を選ぶのならそれでもいいと、思います」
「高瀬君にとって、鳥も大事な人だから?」
先生の質問に、「はい」と強く言い切る。
「ポストは、川を見ているんです。川の水は海に向かっている。伝えたいことがたくさんあると、川の流れに流されてしまって、本当に伝えたいことを見失ってしまう。でも海に行けばすべての答えが見えるから、それで……」
頭の中に出来上がっていた箱庭の物語は、話せば話すほどまとまりのないものになっていく。
「ポストは川を見てるのね。川は、高瀬君が伝えたい事を海まで運んでくれる。広い海なら、高瀬君のいろんな思いを受け止めてくれる。そういう事かな?」
「上流で起こった出来事も、川は海まで流していく。都合のいいことも悪いことも、海は受け止めてくれる」
そこで俺は、母さんを思い出した。
「母さんは、本当は、全部、受け止めてくれてたんだと思います」
流れでる涙が、箱庭の川に落ちる。
「伝えたかったこと、お母さんはすべて受け止めてくれていると、高瀬君は気付いたのね?」
「はい、そうです」
「だから、彼女と海に行きたい。彼女に、優しい海を見せてあげたいと思ったのね?」
言葉が出なくなった。
「駅の電車の行き先は、どこだと思う?」
「わかりません……」
「行ったことのない場所?」
俺は、肩を震わせながら頷く。
「駅にいる鳥はうさぎの方を見ているわね。この鳥は、どういう鳥?」
俺は、アキさんの笑顔を思い出した。アキさんが真実を語ってくれたのは、良心からではなく香奈のためなのだと思えてきた。
母さんが、俺を守るために死を選んだような。
「鳥は、うさぎを守っている強い鳥です。高い空の上から、うさぎをずっと見守っているんだと思います」
涙が止まらない。
「でも、凄く優しい人で、うさぎだけでなく、俺のことも、助けようとしていて。それなのに、うさぎは駅しか見ていない……」
先生は、気まずそうな顔をする。
「ぞれぞれが違う方向を見ている。それを知ったとき、高瀬君はどう思った?」
「本当のことを知った今でも、これからどうするのが一番いいのかわかってないんです」
「この川の流れには、高瀬君の気持ちだけでなく、うさぎや鳥の気持ちも含まれている?」
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