6-6 再び箱庭
「誰の命令だ!? 勝手なことしてんじゃねぇぞ! っざけんなよ」
アキさんはそう怒鳴った後、店内の椅子を蹴り上げた。
「今から言うことを今晩中になんとかしなかったら、おまえら、全員ぶっ殺す」
アキさんはそこまで言うと、厨房の方に移動し、そこでときどき声を荒げながら話しているようだった。
呆然としていると、アキさんが戻ってきた。
さっきの怒鳴り声。あの凄みのきいた声が、アキさんの裏の顔なんだろう。香奈のために裏の世界で生きていくと決めるくらいだから、アキさんの香奈への気持ちは俺よりも深いのかもしれない。
「悪いな。へんなとこ見せたな」
アキさんの世界は、香奈が中心になって動いている。
俺もそうだ。だから、アキさんを憎めそうもない。
香奈の事は、香奈と話してから考えたい。
「良太、お前は俺を恨んでいい」
「俺は、アキさんにどうこう言える立場じゃない。俺は、自分の意志で慎二を殺してしまった。慎二のお父さんやお母さんを傷つけてる」
「上野に罪を被ってもらう。わが子を殺せる男なんだ。誰も疑わない。間違ってるのはわかってる。でも今、良太が自首したら、誰が香奈をこれから守ればいい? 自首したら、良太は香奈と一緒にいられなくなるんだ。誰が香奈を止める?」
「それはアキさんが。今までもそうしてきたんだろ?」
「俺では、まっすぐな生き方を教えてあげられないから。上野は、今の聴取が終わったあと、この件でも逮捕される。あとは検察が上野たちが慎二を殺したというストーリーに仕立て上げてくれる。それで香奈は実の親への復讐も果たせる。それからは、香奈と良太の未来を二人で作っていけばいい」
そんなことを言われても困る。
俺は、香奈と話せていない。アキさんから話を聞いてもまだ、気持ちは変わらないんだけど。
俺が香奈にふさわしい人間かどうかがわからない。この手は罪で汚れている。そんな俺が、香奈と一緒に居続けていいのだろうか。
「世論は、わが子を虐待した親が善良な高校生を殺した。それで納得してくれる。そうなると、香奈も良太もこの件は蚊帳の外になっていくんだ。それでいいじゃないか……」
罪を意識して生きていくのはきつい。きつかった。苦しかった。
だから、他人に罪をなすり付けたらこれからもっときつくなるような気がする。
「俺は、逃げたくない」
「逃げたくないか。それでも今は、香奈に真実を聞かせて貰え」
「そうだよな。でも今日は病院でカウンセリングがあるんだ。すべてすっきりしてこようと思ってる。景気づけにおいしいココアを作ってくれないかな」
「ああ、いいよ」
アキさんは、鍋でゆっくり特製のココアを作り始めた。
「この時計、アキさんに預かっておいてもらいたい」
父さんが大事にしていた時計。
修理代を出せば直るかもしれない。でも、止まった時間を今更動かすのが怖くて、そのままにしてた。
「俺が誰かのためじゃなく、自分のために歩いていけると思ったとき、修理にだして良太に返す。それでいいか?」
俺は、頷く。
「良太は変なやつだな。騙されてたのにいつもと変わらずに、話せるなんてさ。図太いな、おまえ」
アキさんは苦笑いをする。鍋から、甘いココアの香りが、なんだかくすぐったく感じる。
「みやびに、このココアを飲ませてやりたかったな」
俺は呟く。
「正樹の周りの人間が、正樹のこれからの道を切り開いてくれればいいんだけどな」
アキさんは寂しそうな声で言った。
「俺は施設に入る前からひねくれてたけど、正樹は、普通に生きてもらいたいんだよな」
「普通ってなに」と、俺は言った。
そのあと、「普通って、アキさんの口から聞くとは思わなかった」と、付け足す。
「俺、思うんだけど、普通なんてもんは世界共通じゃなくて、その人のなかにあるその人の基準じゃないか? だから他人と比べてしんどくなる。そんなもん、正樹には持っていてもらいたくない」
アキさんが言うことは納得できる。
「でも、そういう目がないとこれから生きづらくなる。施設出身だというだけで、肩身が狭くなることはあるもんさ」
俺は施設出身じゃないからどんなところかしらない。
親と暮らしていても、手抜きな料理だとしても、とりあえずの空腹を満たすことができるというだけで、俺も心は満たされていなかった。
満たされてるかも。そう感じ始めそうなところで、母さんは自殺してしまった。
「この店は近いうちに閉めるよ。ここは香奈が良太をマインドコントロールするために作ったカフェなんだから用済みだ」
「アキさん、この町から出ていくつもり?」
「まだ考えてない。出て行った先で良太と住めたらいいなと思ってる。言っておくけど、強制じゃないからな」
俺はとりあえず頷いておいた。
「カウンセリングあるんだろ?」
これから俺は、香奈を見捨てずにいられるだろうか。どんな嘘でも、俺は香奈を信じたい。本当は優しい子なんだと、信じたい。
大丈夫だ。そう言い聞かせながら、俺は店をあとにした。
病院に着いた。
いろんな想いで頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
診察室の前までくると、看護師さんが「大丈夫?」と言いながら近づいてくる。
何がどう大丈夫なのかわからないけど、「大丈夫です」と答えてみた。
すると安田先生がドアを少し開けて、優しい口調で語りかけてきた。
「今から大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
強がりでもなく、本心だ。
今日、ここで自分なりにケリをつけるつもりだから。
「じゃあ、少しお話してから、箱庭に移ろうかな」
「その前に、砂を少し触っていいですか?」
あの砂を触れば、もっと落ち着けそうな気がした。
「砂を触ると、子供の頃に戻ったように感じる?」という質問に、俺は「はい」と言いながら頷く。
「かといって戻りたいとは思わないけど」と、安田先生に聞こえないくらいの声で呟いた。
俺はそっと砂に触れた。
砂の微妙な温かさが、ケリをつけようとしている思いを邪魔しようとする。
「大事な人だと感じる気持ちは、過ごした時間と比例すると思いますか?」
俺は先生に訊ねてみる。
「そうね……。過ごした時間が長ければ、思いが強くなる事もあるとは思うわ。それは家族だったり、幼馴染であったり……。過ごした時間の長さに重きを置く人もいれば、目の前の恋人との時間だけを大事に思う人もいるでしょうね」
先生は、どこまで俺の心を読んでいるんだろうか。
「自分の事しか考えてないと思っていた母が死んでしまってそれから……」
香奈の事やアキさんの事を、うっかり話してしまいそうになった。
「それから?」
先生は、ビデオの設定をいじっているようで、俺の表情を見ていないようだった。
「ごめんなさいね。今日のカウンセリングをビデオに撮っておきたいんだけど、こういう設定には疎くて」
前回はビデオじゃなかった
。先生の不慣れな手つきに少しだけ違和感を覚える。
でも俺は、そんな様子に気づいてないふりをしながら、「祖父母が、一緒に住もうと言ってくれるんです」と言った。
話をはぐらかしたと思われないか、不安になりながら。
「おじいさま達も、高瀬君が心配なのよね」
「それはわかるんだけど。でも、俺は住み慣れた家から離れたくない。もしかしたら、父が帰ってくるかもしれないし、あの家を守ると母に約束したというのもあって」
「約束?」
「約束というか、いつだったか母が俺に言いました。何があってもこの家を守ってねって」
「何があっても、とお母さんはおっしゃってたのね?」
「はい」
安田先生がいくら鋭くても、母さんの真意までは読み取れないだろうと思いたい。
俺は、砂に触れるのをやめて、箱庭の周りにあるおもちゃをぐるっと見渡す。
「準備は出来たから、好きなときにはじめてね」
安田先生はビデオをセットし終わって、俺の邪魔にならない位置に移動しながらそう言った。
箱庭には、俺の潜在意識が出るんだろう。そこに何かがあるはずだ。
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