6-5 土下座
「そういう気持ちにならなかった?」
俺は、責めるように言った。
「初恋、だったかもしれない。でも香奈は、俺のことをそういう風には見てないし、見たこともないだろうな。最初の頃は好きだったから、どんな形でもいいから香奈のそばにいたいと思っていたかもしれない。そのために、いろいろやばいことやってきた」
「やばいこと?」
「香奈が望むなら窃盗、欲しがるものを必ず手に入れてやった。香奈を傷つけたやつを、仲間を使って半殺しにしたこともある。金が必要になれば、金持ちの年上の女に言い寄ってヒモになって貢がせた。香奈の手を汚さないように俺が汚れ役を買ってでた。でもそれは、香奈の心を歪ませただけだったのかもしれない」
間違った感情だけど、その思いは深い。俺なんか、到底太刀打ちできないくらいの強さと深さがある。
「全部、香奈が慎二君に繋がるためにしてきたことなんだ」
「それって、どういうこと?」
「香奈が、施設で唯一心を開いた相手が慎二君。慎二君がいなくなって、香奈はひどく落ち込んでしまったんだ。でも、いつかきっと会えると信じてたんだな。再会できたら、慎二君は自分を思い出して好きになってくれるはず
だと」
「俺と慎二が出会ったのは四歳のときだ。それより小さかったら覚えてるはずがない」
「そうだよな、普通は覚えてない。忘れてて当たり前なんだ」
アキさんは苦笑いをする。
「でも、香奈はずっと覚えてた。慎二という名前だけしか知らない男の子を、慎二君に会いたいと思い続けていた。俺は、慎二君と再会させるために、コネクションを作ることにしたんだ」
アキさんは香奈を好きなのに、どうしてほかの誰かとの幸せを願えるんだろう。
「多分、こんなの誰も理解できない。してもらいたいとも思わない。香奈が慎二君と再会して、普通の女の子として幸せになれるなら、それでいいと思ってた。それが、俺の願いだったんだよ」
「そんなの。俺だったら、耐えられない」
「あの手この手で、この町にコネ作って、あの中学に編入させたのはいいけど、慎二君は香奈を全く覚えてなかった。香奈はそのショックがひどくて、昔出会っていたのを忘れたみたいだ。中学で慎二君に一目惚れしたと、記憶をすり替えるほど」
「じゃあ、俺は、最初から香奈には……」
「香奈は、慎二君に嫉妬してもらいたかった。最初はそれだけだった。だから良太を利用した」
「最初は?」
「慎二君は、正義感があって人望もあって、絵に書いたような善人だろ? 自分と同じように実の親に見捨てられてるのに凄く幸せそうな慎二君に、香奈は嫉妬したんだ。昔会ってることは忘れてるのにそれだけは覚えてる」
俺は、言葉を失った。何を言えばいいのかわからなくなった。
香奈は、最初から俺なんか見ていなかった。それが、現実。
でも、それ以上に香奈とアキさんの気持ちが悲しかった。
「香奈は、良太を利用しようとした。良太の、思い込みの強いところを」
利用、されていた。
慎二を自分のものにするために。
慎二の幸せに嫉妬していても、好きな気持ちを消せなかった香奈。
その慎二に嫉妬した俺。
「俺、香奈と慎二が腕を組んで歩いているのを見たよ」
「それで、良太はそれを見て、慎二君を?」
そう、この手で殺した。
俺は、汚れた手を見つめた。
アキさんがその手を取る。
「お前は心まで腐ってない。俺が、良太をこれ以上腐らせたりしない」
「でも、俺は人殺しだ……」
「もう一人、香奈は復讐したい奴がいる。実の親だ」
「香奈の親? 香奈の親はどこにいる?」
「正樹と雅の父親が、香奈の本当の父親だ。香奈の母親は上野に捨てられ、精神を病んで入院した。入院中に香奈を産んで、香奈はそのまま施設に行った。その母親は、数年後に、自殺してしまってた。凄い偶然。この町に香奈が会いたいと願った人間が揃ってたんだ。皮肉な話で、父親はまた虐待を繰り返してた。それを諌めていたのが慎二君だった」
「俺は、香奈に利用されてたんだな。二人はうまくいっていると、思い込まされてた」
「ここまでリンクしてると出来過ぎてると思うだろ。俺もここまで香奈の都合のいいように進むとは思ってなかった」
「アキさんは、俺が騙されてるのをずっと見過ごしてたってことだよね」
心の中で嘲笑ってたのか……?
香奈に騙されて、盲目的に香奈を信じていた俺を。
「最初は、馬鹿な奴だと思ってた。でも、今は違う。ここでいろいろ話していて、良太も俺も香奈も、同じように心が歪んだ人間なんだとわかってきたから、良太なら香奈を変えてくれるかもしれない、そう思うようになってきた」
俺は、カウンターにあるコップを床にたたき落とす。
「口ではどうとでも言えるだろ! 本当は心の中じゃ笑ってるくせに!」
叫びながら、涙が溢れてくる。
「笑ってない。笑えるわけないだろ? 良太の事は、弟みたいに思ってるんだ。信じられないかもしれないけど」
「信じられるわけないだろ? ずっと騙してたくせに」
「俺は、良太が香奈を救ってくれると思ってた。でも、良太が慎二を殺したと聞いた時、もう香奈は誰にも止められないと、思ったよ。良太にしてしまったことは、償いようがない。良太が抱えてしまった罪は、俺のせいでもある。こんなことになるなんて……」
アキさんも、泣いていた。これは、演技じゃない。そう信じたい。
顔を隠さず、さらけ出して泣いているアキさんの涙に嘘は混ざってないように感じた。
「上野には悪いけど、慎二君を殺した罪を被ってもらう。だから良太は今まで通り香奈と一緒にいてほしい」
まさきとみやびに上野がしてきたことは、許せない。
香奈を苦しめていたこと、上野が香奈の父親だったということも信じがたいけれど、香奈を虐待していたこともやはり許せない。でも、今まで通りと言われても、俺には、無理だ。
「今まで通りなんて、できるわけない。アキさんはどうするんだよ」
「俺は、香奈がこれ以上罪を重ねないように見守るしかないと思ってる。本当に、悪かった……」
アキさんは、そこで何度も頭を下げた。その後、カウンターの中から出てきて、土下座をした。
「こんなことで、良太の罪や苦しみが消えるとは思ってない。俺は、俺に
出来ることで、償っていく。だから香奈を、よろしくお願いします」
「香奈を許せと?」
ふと、アキさんが歯車の話をしてくれた時のことを思い出す。
「アキさん、前に言ってくれたよな。『自分を責めても解決しないこともあ
るだろ。出来なかったことを後悔するんじゃなくて、これから出来ること
を考えた方がいいんじゃないか』って。これは、自分に言い聞かせてるこ
となんだろ」
あのとき、アキさんにとって大事なものは何かと聞いた時、アキさんの
表情が曇っていたこと。
それがどういうことなのか、なんとなくわかるような気がして、こみあげてくる怒りは、アキさんを責める言葉をぶつける気持ちとともに冷めてきた。
「土下座なんかしないでほしい。アキさんは、俺にとってかっこいい大人の一人でいてほしいんだよ」
アキさんは顔を上げて、俺を見た。
「間違ってるのはわかってる。俺は、良太と香奈がこれから真っ当に生きていけるように、出来る事をしていきたい。香奈とは、今まで通り接してほしい。何も知らないフリというのは、難しいだろうけど、俺もフォローする。頼む!」
アキさんは再び、土下座した。
人に頭を下げるなんてしたことないようなアキさんが、肩と手を震わせながら、深く頭を下げている。床に頭をこすり付けて……。
「そんなアキさん、見たくない」
「こんなもんじゃ足りないだろ。香奈と俺が、良太を追い詰めたんだからさ」
アキさんのその姿に嘘はないように思える。騙してきたことを全部許せるかというと、それは難しい。
だけどこのカフェで、俺はアキさんに励まされたことの方が多かった。
かけてくれた言葉全部が嘘だと思いたくないというのがあるのかもしれなくても。
腕になじんでしまっている腕時計を見る。
「時計の歯車の名前でカナっていうのがあるんだよ。知ってた? カナは、いくつかある歯車を動かす中心の部品なんだ。時計のカナと人間の香奈、なんだか似てるよね」
「皮肉な名前だな。笑えねーな」
アキさんは苦笑いをしながら、遠い目をしていた。
時計の針の音が響く中、アキさんのジーンズのポケットの中の携帯が震える音が聞こえた。
携帯のバイブ音を消そうとしたアキさんは、そこに表示された名前を見て、舌うちをした後、「悪いな、電話でなきゃいけない」と言って、通話ボタンを押した。
アキさんは立ち上がり、店の隅の方に移動しながらぼそぼそと電話の相手と話していた。
「例の件は?」
アキさんの声が、そこだけはっきり聞こえた。
何の話なんだろう。アキさんが苛立っているのがなんとなく伝わってきた。
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