3-4 饒舌
夜の公園で幼い兄妹と話をしてから数日経った土曜の昼、珍しく母さんが話しかけてきた。
「この前、上野さんの子供達と公園で何をしてたの?」
冷凍庫の中を漁っている時に、突然そう質問された。久しぶりの会話だった。
俺には無関心なくせに、主婦同士の井戸端会議の話題には関心があるらしい。
「へえ、上野さんちの子どもだったんだ。あんな時間まで放ったらかしにしてるから、陰口の対象になって主婦たちのネタになるんだね」
俺は嫌味で言った。
すると母さんは、「そうよ」と言い切った。
「あの夫婦、近所でも有名よ。子どもを虐待してるってみんな言ってる。父親は入墨あって、ガラ悪そうで無愛想でしょ。それとすぐに怒鳴るから近所でも嫌われてるのよ。母親は、働かない旦那の代わりに夜職してるらしいじゃない。近所の、あかりアパートに住んでるのよ。あのアパート老朽化が進んでて、もうすぐ取り壊されるとかいう話がでてるんだけど、あそこの父親がそれに反対してるらしいわね。上の子は五歳の男の子なんだけど、まともにご飯食べさせてもらえないから三歳くらいの身長しかないって。下の女の子、四歳くらいなはずなのに、あまりしゃべれないんだって。ろくにご飯食べさせないで放ったらかし。ひどい話よねぇ。そういえば、通報した人がいたらしいけど、児相はどうしたのかしらね」
近所のおばさんたちから得た知識を、俺に伝授しようとあれこれ語ってくれた。珍しく饒舌。
そんな話どうだっていい。
近所ではいい母親ぶって、上野っていう夫婦のことを悪者扱いしてる。
むかむかする。俺のことをさんざん道具扱いしておいて、他人の育児放棄にはあれこれ文句を言ってる。自分のことは棚に上げてるなんて、おかしな話だ。笑える。
「母さんは、ひとのこと言えるの? 飯を作ってくれてる? 父さんがいなくなってから、俺は冷食しか食べてないよ。母さんは、自分のこと棚に上げてるね。そんな人がよその家のことをとやかく言えるのかな。はっ、ウケるよね」
俺は物凄く冷めた目で母さんを見つめた。どう反論してくるのかと反応を待ってみる。
「私は、ちゃんとやるべきこと果たしてるわよ。今、良太は、高校生なんだから自分のことくらい自分でできるでしょう? それに、私は働いてるから家のことなかなかできない。育児放棄してるだなんてそんな、ひどいじゃないの」
母さんは自分を正当化している。
俺はその姿を見て「ふん」と鼻で笑った後こう言った。
「開き直るんだね。父さんがいた時は父さんのためだけに家事をしてたんだろ。そんなこと、子供の俺でもわかってたよ。自己弁護したいならいくらでもすればいいよ。近所の人からは同情
されてさぞかし居心地いいんだろね。悲劇のヒロインおつかれさま」
これくらい言ってやらないと気が済まなかった。
「そもそも俺が産まれてからずっと精神的に放置してたじゃないか」
「なんでそんなこと言うの? 父さんがいなくて働くしかないから、仕方なく冷食になってしまってるけど、育児放棄だなんてそんなつもりは……」
涙ぐみながら母さんは反論した。
思った通りの反論で笑いがこみあげてきそうだった。
「自覚ないんだね。この家のローンはじいちゃんが出してることくらい知ってるよ。かけもちでパートしなくても食っていけるんだろ? 働くことで俺から逃げてるんだろ? 近所から同情買うこともできるしな。大変な高瀬さん、頑張ってるわねえ、何かあったら話してね、聞いてあげるから。そんな感じなんだろ?」
一気にまくし立てるように話して疲れたので、一呼吸おいた。
「自殺未遂、何度も助けたけど、助けないほうがよかったのかな。あんたなんかいなくてもじいちゃんやばあちゃんがいてくれるしさ」
俺はそう罵倒して、冷凍庫から取り出した焼きおにぎりのパックを勢いよく開けた。
母さんは目に涙を浮かべ、呆然と立ち尽くしている。ここまで言っても悲劇のヒロインぶっている母さんには伝わらないだろうけど。
焼きおにぎりを電子レンジに入れた後、ペットボトルの麦茶をコップに注ぐ。
「私は、死んだほうがよかったってこと? そんなことしたら、死んでしまったら良平さんに会えなくなる……」
母さんは父さんに会えなくなることだけが重要なんだ。ここまで来たら呆れるどころか馬鹿馬鹿しい。
「帰ってこない人を待っていても仕方ないんじゃない? なんで父さんが出て行ったか、今の俺にはよく解る。母さんのそういう押し付けがましい愛情が父さんを追い詰めたんだろうね」
俺だって逃げ出したいよ。
衣食住が満たされてるから、それで構わないとも思ってるけど。割り切らないとやっていけない。
俺の冷淡な言葉を涙ぐみながら呆然と聞いていた母さんは、はっとした顔をした。
「上野さんちの子ども達とは関わらないほうがいいわよ。あの父親、アル中だって。近所の居酒屋でよくもめ事を起こして警察沙汰になってるらしいのよ」
俺が関わると自分に火の粉が飛んでくるからイヤだと、本音はそれだろう。遠回しだけど、丸見えなんだよ。
「たまたま相手しただけだよ。俺は慎二みたいに優しくないし」
と、俺は自嘲気味に答えた。
出来上がった焼きおにぎりと麦茶をお盆に乗せ、部屋に持っていこうとした。
「危ないことはしないで。良太までいなくなったら……」
「俺はここから出て行かない。あんたは今まで通り、やりたいようにしていればいいよ」
もう母さんと呼ぶのも嫌になった。
「そんな言い方……。どうして? 今までそんな言い方しなかったのに」
「もうこれ以上俺は何も言わない。これ以上何を言っても無駄だろうからね」
そう言って自分の部屋に閉じこもった。ちょうど業務用の消臭スプレーが届いていたのでクローゼットを開けてふりかけておいた。
慎二の遺体はここにはもうない。でも、念には念を入れておくに越したことはない。
焼きおにぎりを食べ終わった後、財布の中身を確認して部屋を出る。外から鍵をかけて勝手に誰も部屋に入れないようにしてみた。
食べ終わった食器をキッチンに持っていくと、母さんは仕事に行ったのかもういなかった。
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