1-4 母さん
母さんは、抜け殻のようになっていった。
起きていると半狂乱になるので、薬で落ち着かせて眠ってもらう。
母さんの目につくところに薬を置いていると大量に飲んでしまうので、じいちゃんとばあちゃんも手に負えなくなり、入院設備のある精神科に転院させた。いつでも入院できるように。
母さんはより強い薬を処方され、薬の管理はばあちゃんがするようになった。
「良平さんは私がいないとだめなのよ。私が必要だって言ってたの。ずっと一緒だって言ってたわ」
母さんの現実逃避が進む中、俺は父さんがいない日常に徐々に慣れていった。
家のローンや生活費は、父さん方のじいちゃんが支払ってくれるようになった。家事は、母さん方のばあちゃんがしていた。俺もときどき、手伝った。
「良太や慎二君ばかり気にかけて、私のことなんかどうでもよくなっていたのかしら……。良太がいなかったら私だけを見てくれてたはずなのに」
母さんの俺に対する気持ちは、ずっと前からわかっていたことだ。
でも、俺がいなかったらよかったと口にする母さんのそばにいるのは耐えられない。学校へ行けば、父さんの失踪の件で同情や好奇の目で見られる。
そこで俺は、学校へ行かず毎日のようにゲーセンへ足を運んだ。そこは、適当に時間をつぶせる上っ面だけの仲間がいる。
ゲーセンの仲間は、俺の財布をアテにしていた。お金なんかどうでもよかったから、俺は言われるがままに奴らにお金を渡して遊んでいた。
家は、寝るために帰るだけ。そんな俺を慎二は何度も諌める。
「おばさんは良太を嫌ってるわけじゃないんだよ。現実を受け入れられなくて、良太にあたってしまうかもしれないけどさ。こういうとき、良太が支えてあげないといけないと思う」
慎二の言ってることは、正論なんだと思う。
俺や母さんのために言ってるんだろうとわかってはいる。それでも辛かった。
慎二には優しい両親がいる。だから俺の気持ちはわからない。この頃に、俺は慎二のことを妬みはじめていたのかもしれない。
だいぶ肌寒くなってきた十一月、俺は母さんのベッドのそばで、母さんに話しかけた。
「母さんは、父さんだけが大事なんだよね。俺なんかいなくてもいいんだろ。俺が消えて、父さんが戻ってきたほうがいいんだろ?」
夢の世界にいる母さんに、そんなことを言って通じるかどうかわからなかったけれど、言わずにはいられなかった。
母さんは俺を見ている。
きつい薬のせいか、焦点が合っていない。何を見ているのかわからないようで、それがとても怖かった。
「良平さんと結婚することになったとき、すごく嬉しかったの。私は、良平さんが私のそばから消えたりしないように、子供を産んだの。良平さんは喜んでくれたわ。あの人、子供が好きだから。私は子供なんていらなかったけど、良平さんといられるのなら産まなきゃって思ったの。良平さんには私が必要だし、私も良平さんが必要だから、当然よね」
母さんは今、誰と会話しているのかわかっているのだろうか。
いらないと思っていることを、本人の前で言っているという自覚はあるのだろうか。
どちらでもいい。なげやりな気持ちになっていた。
「母さんにとって、子供は道具なんだね」と、俺は冷ややかに言った。
母さんは、誰と話しているのかわかっていない様子で、きょとんとしていた。
「良平さんがいたら、私は私でいられるの。良平さんがいてくれるようになるなら、なんでもいいのよ。なんだってできるの」
母さんは、きっと夢の世界にいる。
「じゃ、子供を捨てたらいいじゃないか。その方が幸せなんじゃない? 大事な良平さんがいないのなら、子供と一緒にいる意味がないだろ」
「だけど、一人になりたくないのよ」
母さんは、やはり自分のことしか考えられないようだった。
「私、良太を産んだとき、どういう風に接していいかわからなかったの。この子がいれば、良平さんは私から離れたりしない。だから、ちゃんと育てなきゃいけないって思ったわ。でもね、接し方がわからなくて、良平さんにあの子の世話を押しつけてた。あの子が
いなかったら、二人きりでいられると思ったり、だけど邪魔だと思ったり。自分を保てなくなりそうで不安だった。良平さんがいてくれてたから、平常心でいられたのかもしれない」
虚ろな目。
俺の方を見ていても、その向こうの誰かを見ているように感じる。
そのとき、母さんが突然起き上がった。
「こんな風に寝てばかりいたら、良平さんが帰ってきたとき、おかえりなさいって言ってあげられないわ」
正気に戻ったのかと思った。
吹っ切れたのか?
母さんは突然、洗面所に行き顔を洗い、また部屋に戻り鏡に向かって化粧をし始めた。
「ちゃんとしてなきゃ」と言いながら、口紅をつける母さんは、まだどこかおかしいような気がした。何度も自殺未遂をした人が、そう簡単に闇から抜け出せるはずがない。父さんがいつ帰ってきてもいいように、というのが原動力というだけ。母親ぶるつもりはないんだろう。
「これからどうすんだよ。まさか、働くのか? 母さんは結婚してからずっと働いたことないんだろ」
「だいじょうぶよ。寝込んでる場合じゃないもの。働くわよ」
どこまで現実を見ているのか、理解しているのか。
俺は、いらだちを感じた。
「これからは頑張るから」と言いながら、母さんは俺の手を取る。
今更、そんな事を言われて納得できるわけがない。俺は母さんの手を振りほどき、部屋を出ていった。苛々が募って俺はまた、ゲーセンへ足を運んだ。外は夕暮れ時になっていた。
顔なじみのゲーセン仲間が俺の財布目当てで寄ってくる。もう、どうでもいい。
本当にもうどうなってもいい。名前を知らない誰かに煙草をすすめられ、俺はそれをくわえる。
煙たさとやりきれなさで、涙が滲み出そうだった。
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