1-5 香奈

「おい、良太。何やってんだよ」

 背後から聴こえたこの声は、慎二だ。俺は振り返りもせず、知らないふりをした。

 慎二は俺の正面に回ってきて、煙草を取り上げる。手を出す角度が悪かったのか、慎二は手のひらに軽く火傷をしてしまったようだった。

 ちくりと心が痛む。でも俺は、慎二の手のひらからすぐ目をそらした。

「ヤケになってどうすんだよ。おじさんがいない今、おばさんを支えられるのは良太しかいないんだぞ?」

 慎二は、親を大事にするやつだ。おばさんをとても大事にしている。だから俺が母さんを嫌う理由がわからないんだと思う。今は、慎二のそういうところが鬱陶しく感じる。

 俺は、慎二を睨みつけた後、その場から立ち去ろうと一歩足を踏み出したその時、

「お友達、見つかったの?」

という声が、なぜかはっきりと聞こえた。騒がしいゲーセンのはずなのに、その声だけは耳にすっと馴染むように入ってきた。

 思わず足を止めて、振り返る。

すると、慎二の後ろからひょっこりと女が現れた。

「見つかったけど」と、慎二はその女の方を見た後、俺をちらりと見る。

 女が慎二の視線の先にいる俺を見た。

「誰?」

 慎二が、女連れのところを見たのはこれが初めてだった。同じ学校の制服を着ているけど、見たことはない。

「二学期から俺らのクラスに転校してきた上野香奈さん。良太の家に行ったら、誰もいなかったからここにいると思ってさ」

「転校生?」

 俺と慎二が通っている中学は、私立だ。偏差値が高くて入るのは難しいといわれている。編入試験も難しいはずだ。中二の二学期から転校してくるというのも珍しい。

「香奈、こいつが俺の幼馴染の高瀬良太」

 慎二が、女の名前を呼び捨てにしていることに驚いた。

「はじめまして」

 この女の声は、か細い。なのにどうして俺の耳に馴染むように聞こえるんだろう。透明感のある声。

 そして、クラスの女たちとは違う控え目な態度。おどおどしながら軽くお辞儀をするその女の仕草は、媚びているものではなく自然なものだと感じた。

 俺は、その女と目が合った瞬間、すぐ目をそらした。そして、二人に背を向けて、いつものようにゲーセンにたまっている不良たちにお金を渡す。

 カモだと思われているのはわかっている。持っていても使うアテのないお金だから、どうだってよかった。

 ゲーセンを出て家に帰ろうとしていると、二人もついてきていた。

「どこいくんだよ」

と、慎二が俺の後ろできつい口調で言った。

「帰るんだよ」

「帰る前にちょっと話そう。あの公園で」

「話すことなんかない」

「良太は自分のことしか見えてないだろ? おばさんが苦しんでるときに自分だけつらいような顔するなよ」

 慎二は俺の腕をがっしり掴み、小さい頃よく遊んだあの公園に連れて行った。女もついてきた。

 公園のベンチに慎二と女が座る。

 俺は立ち尽くしたまま、居心地悪くなり、空を見上げる。

「どうして高瀬君は強がってるの?」

と、女がふいにたずねてきた。

「俺が強がってる? どうしてそう思う?」

「だって、本当は一人がつらいんでしょう。だからゲームセンターにいたんじゃないの? 誰かに会えるから」

「知ったふうなこと言うなよ」

 俺の心配を装ってるのか?

 慎二はともかく、この女は関係ないじゃないか。

「慎二君はずっと高瀬君を心配していたの。高瀬君のお母さんだって、きっと心配してる。立ち止まってないで、お母さんと一緒に前を向いたほうがいいんじゃないかな」

 女のまっすぐな目は、慎二に似ている気がした。その目に引き込まれるのが恥ずかしくなり、背中を向けて公園を出ようとした。

 すると、服の裾をひっぱられて俺は立ち止まる。

「慎二君やお母さんの気持ちを考えて。学校を休んでる高瀬君のこと、ずっと慎二君は心配してたんだよ。話を聞いているうちに私だって心配になってきてる」

 俺は、女の手を払いのけ振り向いた。

「うるさい。あんたには関係ないだろ!」

 そう言い放つつもりだった。でも、言えない。女の目が潤んでいたから。

 会ったこともない俺の心配をしていたなんて信じられなかったけど、その目が本当に俺を心配しているものだと感じた。

 多分俺は、その日からその女……上野香奈に惹かれていったんだと思う。

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