1-3 父さん

 中学二年の夏休み、俺と慎二は小五の夏から恒例になっていたキャンプの相談をしていた。

「海の近くのキャンプ場で、釣った魚を晩飯で食べるのもいいね」

「俺は、どこかの高原でキャンプがいいかな」

「そうだね。星を見ながら宇宙の話を聞くのもいいなあ。おじさん、詳しいし」

「星もいいけど、釣りも捨てがたくなってきた。父さんが魚をさばいてくれたら、刺し身食えるだろ?」

 ネットで、あちこち目星をつけながら、意見を出しあった。結局、話はまとまらず、父さんの意見を参考にしようということになる。

 毎晩、遅くとも七時には帰ってくる父さんを、俺と慎二は待った。なのに父さんは、朝になっても帰らなかった。

 朝になって、父さんの携帯に電話してみたけれど、電源が入っていないというアナウンスが聞こえるだけで、留守電にもならない。

「父さん、どうしたんだろう」

 リビングには、俺と母さん。いつもならぎこちない空気が漂うところが、今日はそうじゃなかった。

 俺と母さが、多分初めて同じ気持ちで同じ空間にいる。

「仕事でトラブルがあったのよ」

 母さんは、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「父さんが連絡なしで家をあけるなんて、今までなかったじゃないか」

「忙しいから連絡できないだけよ」

 そう言いながら、母さんの目はうるんでいた。

 父さんのことしか見えてなかった母さんに、この状況は受け入れがたいのだと感じた。俺も、父さんに捨てられたと思いたくなかった。


 お盆が過ぎても父さんは帰ってこなかった。仕事は、知らないうちに辞めていたらしい。父さんは、もう帰ってこないのかもしれない。そう考えていると、悲しくなった。

「父さんは、俺と母さんを捨てたのかな」

 父さんと慎二と三人で一緒に写っている写真を眺めながら、俺はつぶやいた。

 珍しく慎二が何も言わない。何を言っても慰めにもならないとわかっているようだった。

 そのとき、何も言わずいてくれた慎二の優しさが痛かった。


 夏休みが終わろうとする八月の最後の日、父さんから俺にメールが届い

た。

『家には戻らない。キャンプに連れていってやれなくてごめんな。母さんには、ごめんと伝えてくれ』

 母さん宛の伝言が、あまりにも短い。帰れない理由を聞きたくて、父さんにメールを何度も送信したけれど、しばらくするとエラー表示が出てメールは送れなくなっていた。

 メアド、変更したんだ……。着信拒否かもしれないけど。

 父さんは、俺と母さんを捨てたんだ。俺は、そう認識した。

 戻ってくると思っていたけど、父さんがここまでするということは、本当に戻るつもりがないんだと思う。

 知らないうちに、涙があふれていた。

「違う。良平さんは、必ず帰ってくるわよ。こんなメール、信用できない!」

 母さんはヒステリックにそう言い放った。

「私にはたった一言、ごめんだけだなんて! 良太より少ないなんて……」

 母さんは俺の携帯を奪い取り、ソファーに投げつけた。そして泣き叫びながらその場に倒れた。

 リビングに布団を敷いて、母さんを寝かせたあと、父さん方のじいちゃんとばあちゃんに連絡してみることにし

た。もしかしたら、何かしらの連絡があったかもしれないと思ったから。

 でも、まったく音沙汰がないと言われてしまった。

「仕事も勝手に辞めて、どこで何をしてるかわからないなんてな。ごめんな、良太。困ったな。警察に行こうか……」

 じいちゃんがそう言うと、母さんは布団から起き上がり、「だめよ」とつぶやく。

「良平さんは出張に行ったの。しばらく戻れないって、連絡あったんだから。警察なんか頼らなくていいの。だいじょうぶ……」

 母さんはそこまで言うと、突然「うわああ!」と叫びながら泣き始めた。

 ばあちゃんがなだめようとすると、手が付けられないくらい暴れた。しばらくすると、暴れ疲れたのかその場で眠りに就いてしまった。


 母さんは、その日からベッドから起き上がれないくらい、ふさぎ込んでしまった。

 昼間はおとなしくしている、でも夜中になると俺の部屋に来て「良平さんを返して! 探してきてよ!」と、大声を出して泣きじゃくる。

 そんな調子だから、俺は二学期になっても学校へ行けないでいた。さすがに母さんを一人にはできないから。


 九月中旬になり、ばあちゃんに説得され、母さんは心療内科に通院することになった。

 ばあちゃんが泊まりに来てくれるようになったけれど、俺は学校へ行けなくなってしまった。

 学校へ行っている間に父さんが帰ってくるかもしれない。

 あんなメールがあるくらいだから、帰ってくるはずがないのに、俺はどこかで期待していた。

 俺も、母さんと同じように現実を認めたくはなかった。

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