1-2 慎二
「ただいま! お母さん、良太連れてきたよ!」
と、慎二は元気よく声を出した。
玄関にいると、甘くていい香りがした。ケーキ屋にいるかのような甘い香りが広がっている。
香りに気を取られていると、ゆっくりと玄関の方に歩いてくる足音が聞こえた。
色白で細身の女の人があらわれる。髪をゆるく一つに束ね、シンプルなベージュのワンピースを着た上品そうな人が、慎二のお母さんだった。慎二のお母さんは俺を見て、にっこりと笑った。
「こんにちは、良太君。慎二からあなたの話を聞いて、会ってみたいなって思っていたの。会えて嬉しいな。来てくれてありがとう」
穏やかな笑顔と、優しい口調。母さんとは真逆な人だと思った。
「こ、こんにちは」
緊張して、声が震えていた。初対面だからではなく、おばさんの雰囲気にどきどきしたからだった。
「どうぞ、上がって。クッキー、慎二の部屋に持っていくからね。飲み物はオレンジジュースでいいかな?」
「お母さん、僕が運ぶよ。お母さんは部屋で休んでて」
労わる言葉をかける慎二が、とても大人に見える。
「だいじょうぶよ。今日は体調がいいの。良太君とお部屋で遊んでいてね」
こういうやり取りが、普通の親子なのかもしれない。
俺は、母さんの手作りクッキーを食べたことがない。クッキーどころか……。
父さんが仕事で忙しくて家でごはんを食べないときは、スーパーで買ってきた惣菜や冷食だったりする。父さんが休みの日は、いつもよりちゃんとしたものが食べられる。
慎二と俺の違いを目の当たりにして、少し悲しくなった。
結局、慎二がクッキーとジュースを運ぶことになり、慎二は自分の部屋に俺を案内してくれた。部屋に入ると、部屋の隅にはいろんなおもちゃがあるのが目についた。
「たくさんあるね」と、俺が言うと慎二は「買ってもらったものを捨てられなくてさ。そしたらこんなになったんだ」と言った。
「天気が悪くて外で遊べない時、お母さんの具合が悪かったら一人で遊ばなきゃいけないからね、お父さんがいろいろ買ってくれた」
木製の積み木、車のおもちゃ、何かのアニメのロボット。それらがきれいに棚に並んである。
よく見ると部屋のカーテンやベッドカバーは、手作りっぽいものだった。
部屋のあちこちに、慎二が親から大事にされていると感じるものがある。
慎二は望まれた子供なんだな。そう感じると、少し妬ましくも思った。
「どうしたの? なんでそんな悲しそうな顔をするの?」
慎二は俺の顔を覗き込む。
「母さんは、俺のこと嫌いなんだよ。父さんがいる時は俺に優しいけど、いないときは俺なんか全く見ようとしないし、話しかけてこないよ」
と、俺が言うと、慎二は優しく微笑んでくれた。
「良太が寂しいときは、僕がいるよ。僕だけじゃない、僕のお父さんとお母さんも良太のこと、好きになるから大丈夫だよ」
俺は、この時の慎二の言葉に救われた。
慎二には友達が沢山いた。いつも笑顔で誰にでも優しい。慎二のお母さんの優しさがそのまま慎二に受け継がれている。
慎二を嫌う人なんていなかった。
俺も父さんの次に慎二の事が大好きだった。何でも話せるから安心感があった。慎二と一緒にいると、周りに自然に人が集まるから、自然に俺にも慎二以外に友達ができた。
だけど、親友と呼べるのは慎二だけだった。
病弱なおばさんは、俺のことも大事にしてくれた。父さんは慎二の家庭を気遣い、俺と慎二を車でいろんな所に連れて行ってくれた。おばさんが体調悪い時には、父さんが慎二の親代わりだった。
休日になると父さんは、いろんなところに連れていってくれた。主に、自然に触れることが多かった。キャンプをして、自然の中でどれだけ自分の力が出せるか、どうすれば自然の中で楽しく遊べるかを、父さんは俺たちに教えてくれた。
その一方で、俺たちと出かけることで母さんの機嫌は悪くなった。
それに気付いた俺は、慎二の家に泊まる日を作った。そうすることで、父さんとの二人の時間が過ごせるようになった母さんの機嫌は良くなっていった。
慎二は、父さんが教えてくれることをなんでもソツなくこなした。
俺が父さんから教えてもらって褒められたのは、車の運転とパソコンをいじることだけだった。
慎二は、父さんに褒められてもそれを鼻にかけることがない。自分だけ褒められないようにしているようにも感じた。
そんな気遣いのできる慎二のことを疎ましく思ったことはない。ちょっとだけ、劣等感を抱いたことはあったけれど。
俺と慎二は、父さんのことを特撮ヒーローよりもかっこいいと思ってた。
「良太のお父さんって、かっこいいよな」
慎二はよくそう言った。
俺もそう思っているけれど、照れくさくて同意できなくて、
「かっこいいとこばかりじゃない。母さんには頭が上がらない。そういう父さんを見るとちょっといやになる」
と言ってしまったことがあった。
「良太は、おばさんが嫌い? お母さんは大事にしないといけないよ」
慎二は少し寂しそうな顔をしたけれど、それに気付かないフリをして目をそらした。
「母さんは、父さんと一緒にいたいから俺を産んだらしいよ。俺なんかいなくてもいいと思ってるんだ」
慎二は俺のその言葉を聞いた途端、今まで見たことがないような顔をして言った。
「どうでもいいわけない!」
どうして慎二が怒っているのか、俺には理解できなかった。
「テレビを観ていたら、虐待のニュースあるだろ。母さんは、そのニュースに出てくる親たちとあんまり変わらないと思う。僕なんかいないほうがいいんだよ、きっと」
俺は投げやりに言った。
すると慎二は、俺から目をそらし、遠くを見つめていた。寂しそうな目をした慎二に何も言えなくて、俺は話題を変えたんだった。
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