3-6 母親
インコとハムスターのケージを用意したあと、それぞれのケージの中に放す。臭いはこれで誤魔化せそうだ。
ハムスターの名前は、マサキ。
インコにはまだ名前がない。ケージに近づいてインコの動きを眺めていた。
シンジにしよう。殺した親友の名前を、ペットに名付けるとはだれも思わないだろうから。
マサキがひまわりの種を食べている音と、シンジの羽音が部屋に響いていた。この部屋の暗がりの中には今まで静寂しかなかった。小動物の生を感じる。
少し前までここには慎二の遺体があった。生と死を知るこの部屋で、俺は生きている。香奈と過ごす時間にある安心感を覚えながら。
香奈との未来がこの先にある。人一人殺した俺が、安心感を得ようというのは間違っているのかもしれない。
シャワーを浴びようと一階に降りて台所へ行くと、料理をした形跡があった。
冷蔵庫に、『肉じゃがを温めて食べてください』と、母さんからの手紙が貼り付けてあった。
冷蔵庫を開ける。タッパーを取り出してみた。じゃがいもが、いびつな形で見た目がいいとはいえないものだった。どんな顔して、じゃがいもの皮をむいていたんだろうか。
罪悪感から生まれた肉じゃがなのか、僅かにある母さんの中の母性というものがそうさせたのかわからない。
何年振りかわからない、母さんの肉じゃがは醤油が効きすぎている。炊飯ジャーにセットされていた温かいご飯をおかわりするくらいに。
食べていると、少し胸が痛んだ。マサキとミヤビは、母親の手作りの味を知らないんだろう。
あんな母親でも、二人の親よりはマシなんだと思えた。
そういえば、慎二の母親の作ってくれた料理はいつも盛り付けが綺麗で、適度に薄味だったということも思い出してしまった。
母さんの肉じゃがとおばさんの肉じゃがはくらべものにならない。なんだかもやもやするのは、おばさんに対する罪悪感なのか。
食べ終わり、食器を片づける。
食器を洗う手が震え始めた。
おじさんとおばさんは慎二を心から大事に思っていた。
あの二人はとてもいい人達だ。その人達から俺は大事な一人息子を奪ってしまった。
二人の前で俺は平静を装えるのだろうか。おばさんの手作りクッキーやあ
の家で鍋を囲んだこと、いろんな思い出がよぎって気持ちがぶれる。
だけど、慎二は俺から大事なものを奪おうとした。後悔したって慎二が生き返るわけじゃない。
わかっていても、おじさんとおばさんを思うと気持ちの行き場を見失いそうになった。
食器を片づけた後、部屋に戻る。胃がキリキリと痛み出した。じんわりと汗が滲み出る。
ふらつきながらベッドに横たわり、藍色の天井を見つめた。
罪を犯したことがかなり身体に堪えていると感じた。
ぼんやりとクローゼットを見つめる。つい最近まで、死体のある部屋で今までふつうに生活していたことに恐怖を感じた。
『良太はこれでよかったと思ってるのか?』
ふいに慎二の声が聞こえる。
幻聴?
いや空耳か。
『良太は後悔してるんだろ? 認めろよ。いつまでも隠せることじゃない。後悔してるなら刑事に電話するんだ』
慎二の姿がクローゼットの前にぼんやりと浮かび上がる。
今度は幻覚か?
『良太にその罪は背負っていけない。だから、やったことを全部刑事に話すんだ』
慎二がだんだんと俺に近づいてくる。殴り付けた顔は膨れあがり、足元はふらついている。
俺はベッドから急いで飛び起きた。
「来るな! 俺は後悔してない!」
そう言いながら慎二に向かって携帯を投げつけた。
携帯は慎二の体を通り抜けた。慎二の姿は生前のふつうの姿に戻り、悲しそうな目で俺を見つめる。
慎二の幽霊か?
幻覚なのか?
慎二の姿が消えた後、俺は投げつけた携帯を拾うためベッドから降りようとした。身体の震えと汗で、思うように動けない。
罪は消えない。きっと忘れられない。
どうしたらいい?
冷静にならないと、井原刑事に全部見透かされてしまう。
俺は香奈と一緒にいたいだけなのに。
自己肯定。その言葉を頭の中で繰り返す。俺は、慎二から香奈を守ったんだとそう言い聞かせる。
深夜二時が過ぎている。香奈の声が聞きたいと思った。でもさすがに寝てるだろう。
迷いは捨てなきゃ。おじさんとおばさんには悪いけど、俺は香奈といられるのならなんだって出来ることがわかってしまったから。
これから先、後悔と戦うことはあるだろう。
俺は、父さんと慎二の失踪という悲しみの中にある被害者を装おうことにする。
そう思ったとき、シンジが鳴いた。まるで怒っているかのように。
朝になった。
あまり眠れなかったせいか、頭痛がひどい。
午前十時過ぎ、慎二の家に行った。インターホンを押そうとする手が震えていた。何度も来ているのに緊張している。
ためらいながらも、思い切ってインターホンを押す。暫くして元気のないおじさんの声が聞こえた。
おじさん、仕事を休んでるのかな?
「俺です、良太です」と言うと、おじさんは「鍵開けるからちょっと待
って」と言い、玄関の鍵を開けてくれた。
やつれている。ずっと眠っていないのか目の下にくまが出来ている。
「どうぞ上がって」と、おじさんは力のない声で言う。
俺は頷き、リビングまで入っていった。
「おばさんは?」
「昨日倒れたんだ。今日は有給とっててね。今から病院にいくところだったんだよ」
おばさんのいないリビング。
いつ来ても清潔で花の香りがしていたこの家に、華やかさがなくなっていた。
キッチンが雑然としている。コンビニ弁当の残骸がそのままだったり、空のペットボトルが転がっていたり。
「慎二から連絡はありましたか?」
俺は息苦しさを感じながらそう言った。口の中が渇いていく。
おじさんは紙袋に、タオルやおばさんの着替えなどを入れながら、首を横に振った。
「良太君、家内に顔をみせてやってくれるかな? 良太君の姿を見たら元気が出るかもしれない」
か細い声に俺は頷くことしか出来なかった。
おじさんと一緒に、市内の総合病院の入院病棟に入っていく。おばさんは個室で休んでいた。
おばさんは俺の顔を見ると、優しく微笑んだ。
青白い顔。どれだけ体が辛くても、笑顔を絶やさないおばさん。慎二と同じだ。
「良太君、顔色悪いよ。ちゃんと眠れてる?」
と、今も俺の心配までしてくれる。
俺は、心臓を思い切り掴まれたような痛みでふらついてしまった。それをおじさんが支えてくれる。
足元が揺れているようで、うまく立てない。
「良太君、大丈夫? ちょうど病院だし、お医者さん呼ぼうか?」
おじさんが俺を支えながら言った。
優しさが、苦しい。
俺は間違ったことはしていないんだと言い聞かせてきたのに、この二人を見ていると気持ちがぶれてくる。
「大丈夫、それよりおばさんの具合は?」
おばさんの目を見ることができない。
「大丈夫よ、数日で退院できるらしいの。いつ慎二が戻ってきてもいいように家にいないといけないもの。寝込んでる場合じゃないわ」
精一杯元気よく、いつものように温かくおばさんはゆったりとした声で言っている。でもその声は少し力がないように思えた。
俺が二人から慎二を奪ったから。
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