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 喉の渇きで目が覚めた。

 着替えを持ち、風呂場へ向かう。

 リビングに母さんがいるのを見かけたけれど、俺は知らないふりをしてシャワーを浴びた。

 昨日着ていた服は、ゴミ袋に避けておいた。後で処分しなきゃいけない。

 母さんは仕事に行く日、洗濯は俺がすると思っている。ゴミ袋を見えにくいところに置いとけば、見つからない。

 部屋に戻る前に、台所で冷蔵庫を開けてみる。冷蔵庫にはいつも通り、たくさんのペットボトル、冷凍庫には冷食が押し込むように入れてあった。

 冷凍庫の中のえびピラフを取り、皿に移し替えた。あとはいつものように電子レンジで温めるだけ。

 出来上がるまで、コップやスプーンを準備してお盆に入れておく。出来たらお盆に載せて、部屋に持っていく。いつもこうだ。

 中学二年のとき、父さんがいなくなってから、母さんは家事をまともにしてくれない。

 でも、冷蔵庫や冷凍庫に何かしらあるから、それで困ることはない。洗濯は、溜まっていたら自分のものだけ洗うようにしている。最低限、食べるものに困らなかったらいい、そう思うようになっていた。

「良太、明日から二学期でしょう? 髪の毛ボサボサじゃない。どうにかしなさいよ、みっともない」

 二階に上がろうとしたとき、台所に現れてそう言った。

「どうでもいい」

「どうでもいいってことはないでしょう?」

「しばらく学校行かないから」

「え? そうなの?」

 母さんはそこまで言うと、わざとらしく大きなため息をつきながらリビングに戻ってしまった。

 俺と話すのが面倒だから適当でいいらしい。そんな母さんに対して、今更腹を立てることもない。そんなのは無駄だとわかってしまったから。

 腐敗臭がする中で飯を食べるのも、どうでもよくなってきた。いろんなことがどうでもよくなっていった。

 でも、香奈のことはどうでもよくない。香奈に連絡しなきゃいけないと思う。そう思いながらも怖くて、携帯の電源をいつの間にか切ってしまった。

 会えなくても話さなくても、香奈は俺を忘れたりしないし裏切ったりしない。信じてる。

 慎二が俺から香奈を奪っただけ。そうとしか思えない。

 そんなことを考えていると、ピラフを全部食べられなくなってしまった。ペットボトルからコップにジュースを注いで、ぐっと飲み干す。

 夕方になれば、母さんは自転車で仕事へ行くだろう。しばらく車を使わないなら、消臭や掃除ができる。


 あの日──二人を交差点で見た日──、衝動的に部屋の壁を黒いペンキで塗りつぶそうとしてしまった。ペンキも準備していた。

 だけど、やめた。この部屋を黒で埋め尽くしたら、二人が黒であると認めてしまうことになるから。

 香奈が、俺に嘘をつくはずがない。

 俺は、ペンキの臭いで充満した部屋を換気するため、窓を全開にした。

 そのとき白いレースのカーテンが、風になびいた。そこで思いついたのが、この部屋を白でも黒でもない色にしてしまうことだった。

 部屋の寸法をこまかく測り、携帯にメモしておいた。

 それから布地の卸問屋へ向かった。そこで、あの部屋をそれまでと違う世界に仕立て上げるものを探した。

目についたのは、藍色の麻。黒でも白でもない色。それを必要なだけ買った。

 その後、ホームセンターに行き、布を天井や壁に貼り付けられるものも買っておいた。

天井にあった電気は取り外した。天井も壁も、一面の藍色で覆った。部屋の灯りは、部屋の隅の間接照明があればいい。

 その日からはずっと、この薄暗がりの中だ。昼も夜もわからない。そんな中でどうしたらいいか、わからなくなっていた。

 慎二を殺した日、衝動的にやってしまったから、遺体をそのままクローゼットに隠していた。

 その数時間後に、妙に冷静になってだろうと考えた。

 物置から、ビニールの紐と大きめのゴミ袋、ダンボールや軍手を部屋に持ち込む。

 軍手をつけてから、硬直し始めた手足を力づくで折り曲げてみた。紐で体を縛る。ゴミ袋には入り切らなかったから、袋を一枚のビニールに広げたあと、慎二を包んでさらに紐でぐるぐると巻いていった。

 クローゼットの床の部分にダンボールを敷いて、そこにを置く。

 これでいいんじゃないかな。

 扉を閉めた途端、冷房が効いているのに、汗が吹き出してきた。

 気持ち悪い。軍手はゴミ袋に入れ、明日の燃えるゴミの日に出せばいいだろう。


「香奈は、返してもらうからな」

 いろんなことを思い出しながら、呟いた。

 明日から二学期が始まる。

 

 

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