6-2 おじさんの嗚咽
砂場に寝そべってみた。このまま地中に埋もれていけたら、と願う。
香奈の口から、真実が聞きたい。
でも聞く勇気がない。
「良太君? 大丈夫かい?」
体が沈んでいくような感覚に陥っていたら、慎二のお父さんの声が聞こえてはっとした。
「雨が降ってきたよ。風邪ひいたらいけないし、うちに来るかい?」
慎二の家は公園のすぐそこにある。
でも今、おじさんと話すのは怖い。
「家内が入院中だから、家は片付いてないんだけどね。スーパーの惣菜でよければ、一緒に食べないか」
俺は体を起こして、黒い雲を見つめた。
空が低い。空に押し潰されてしまいたい。雨に打たれて、地中に溶けてしまいたい。
寝そべったままの俺に、おじさんは話し始める。
「良太君のお母さんのこと、さっき聞いたんだ。どんな言葉も、今は受け止めるのすらきついだろう。それに、薄っぺらいものになりそうでね。良太君、ごめんね。お葬式に顔を出せなくて悪かった」
うなだれるおじさん。
おじさんは、何も悪くない。一つ一つの言葉がいつも温かい。薄っぺらくなんかない。
「制服が汚れてしまうよ。ほら、起きて」
おじさんはそう言いながら、俺に手を差し出す。
小さい頃、おじさんの手は父さんと比べたら頼りなく感じていた。アウトドア派の父さんの手は、ごつごつしていてかっこよかったから。
俺は、おじさんの手に引かれて立ち上がる。おじさんの手はおじさんの言葉以上に温かい。
おじさんは、背中についた砂を払い落としてくれた。
「一人で食事するのは味気ないんだ」
寂しそうに笑うおじさんを見ていると、このまま帰るとは言いづらい。断る理由もないからおじさんの家に行くことにした。
リビングに入ると、散らかり方がまるでうちの家のようで、それまでと違いすぎて驚いた。
「散らかってて、ごめんね。男一人だと掃除もままならないものだね」
おじさんは、溜息まじりにそう言った。
リビングには、花がない。前は華やかだったこの家は、天気のせいだけじゃなくいろんな意味で暗い。
「良太君が好きそうな惣菜がないかもしれないね。申し訳ないんだけど」
おじさんは取り皿を差し出す。惣菜は、煮物と焼き魚と炊き込みご飯のおにぎりだった。
「そういえば、家内の作ったとんかつ、慎二と美味しそうに食べてたね」
「すごく、やわらかくて、美味しかった。おばさんは、料理が得意でうらやましかったんだ」
俺がそう言うと、おじさんは嬉しそうに笑った。
「家内は凝り性だから、美味しくなるためにいろいろ試していたんだよ。特にとんかつは熱心に作っていたね」
「だから、美味しかったんですね。あの、おばさんの具合は、どうですか?」
「身体的には悪くないはずなんだ。でも」
おじさんの表情は曇る。
「良太君のお母さんのことでショックを受けてるときに、こんな話をするのは気が引けるんだけど」
「なんですか?」
覚悟は出来てる。多分、あの事だ。
「身元不明の遺体がT山で発見されただろう。警察から連絡があってね。先日、身元確認をしてきたんだ」
俺は、吐き気を堪える。
「慎二だと思いたくなかったんだけど、間違いなく、そう、だった」
おじさんは、ずっと我慢していたんだろう。そこで嗚咽に変わった。
堪えながらも、「家内には、まだ、話して、ないんだ」と言う。
おじさんの声も肩も、震えている。
おじさんの顔が怖くて見られない。
「身元不明の遺体が発見されたニュース、病室で見たんだよ」
おじさんはそこまで言った後、力なく息をはいた。
それから、「それを見て、家内は、言ったんだ。『あれは、慎二だと思う。あの子が、こんなに長く、家をあけるなんて、おかしいから』、と」
俺は、そこで吐いてしまった。
この空気に耐えられない。
おじさんは俺を見て泣きながら、
「良太君も、辛いのに、ごめん」
と何度も何度も言いながら、嘔吐物の処理をしてくれた。
吐き気がおさまった後、目の前が歪んで見えた。立ち上がろうにも、足をどこにつけばいいかわからない。
ふらつく俺を、おじさんは支えてくれている。
「無理に歩かなくてもいいよ。座って」
この優しい声は、いつまで聞けるんだろう。
俺が慎二を殺したと知ったら?
「おじさんは、慎二を殺した犯人が見つかったらどうしますか?」
力が入らない。
怖い。
この返答は聞きたくない。
でもどうしても今、聞いておかないといけないと思った。
「どんな理由があるにしても許せないよ。同じような目にあわせてやりたいと思う」
あの夜の事を思い出す。
俺は、慎二以上の苦しみを与えられるべきなのかもしれない。
おじさんとおばさんを悲しませてしまった。
この罪は、重い。
「だけど」
おじさんは少し力を込めて、切り出す。
「え?」
「だけどね、そんなことをしても、慎二は戻ってこないんだよ。犯人を殺しても、その犯人にも家族がいるんだ。そうしたら、その家族が同じように、苦しむ」
おじさんは悲しみと現実の境目にいるようだった。怒りはどこに向かうんだろう。
「憎くないんですか?」
俺は訊ねる。
「憎いよ。罵倒してぶん殴って、めちゃくちゃにしてやりたい。それだけじゃ気がすまないと思う」
目の前の俺を殴ってくれたらいいのに。そう思いながら、俺は歯を食いしばる。
続いておじさんは、一言一言をはっきりした声で、こうも言った。
「慎二は、殺されるために生まれたわけではない。その命を奪われたからといって、復讐したらそれで終わりになる訳でもない。激しい憤りがあっても、どうすることも出来ない」
息苦しい。
おじさんの葛藤が、震える肩にあらわれている。
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