第六章 真実

6-1 真実(1)

 目が覚めると、藍色の天井があった。まだ、リビングにいて隣に香奈がいるような気がした。そうだったらいいのに。そう思う自分がいる。

 少し冷房が効きすぎているのか、鳥肌がたっていた。

 マサキが走り回る音が聞こえた。この音が落ち着くようになっている。

 枕元の携帯のランプが点滅していた。じいちゃんからかもしれない。

 そう思って携帯の画面を見る。留守電にじいちゃんからのメッセージが入っていた。

 覇気のない声が、耳に残る。ばあちゃんの具合が悪くなっているから早く来るように、ということだった。

 シャワーを浴びて、制服に着替えた。それから、冷蔵庫の中の作り置きの麦茶を飲み干す。

 母さんの残したものが、こうやって少しずつなくなっていく。

 玄関を出て暫く歩いたところで、井原刑事と野口刑事が俺を待っていた。

「いつからここにいたんですか?」

 野口刑事が気まずそうな顔をしている。

「高瀬君が女の子と家に入ったところまでかな。でも、そのあと気になることがあったから、一旦離れたよ」

「暇なんですね。俺は祖父の家に行くので、話してる場合じゃないんです」

「一緒にいた女の子の事だが」

 井原刑事が冷ややかな口調で言った。

「信じないと思うが一応言っておく。彼女はこの町の中学に編入する前の記録が見当たらない。経歴がわからないんだ」

「経歴がわからない? こんなときに俺を動揺させてどうするつもりですか」

 俺は二人を信用できなくなっている。母さんに自殺する意思があったとしても、追い打ちかけたのは井原刑事だ。

「いい加減にしてください」

「この件から外されたから。だから安心してくれ。君にとって目障りな大人は現れないから」

 含みのある言い方が、苛々させる。

 俺は早足でその場を立ち去った。

 香奈の経歴がわからない。それは俺を動揺させるつもりで言ったでっちあげに違いない。

 だけど、香奈のプライベートな話を俺は何も聞いていない。何か事情があるから話してもらえないのだと思っている。

 香奈の顔を思い出す。照れ臭そうに俺を見つめる香奈の目は、ちゃんと俺だけを見てくれている。何かを隠しているようには思えない。

 香奈の口からちゃんとしたことを聞くまでは、誰がどんな風に香奈の話をしようと、俺は信じない。

 歩みを早め、じいちゃんの家に向かう。

 ばあちゃんは、母さんのそばから離れようとしない。火葬場に移動する時間になっても、すがりついて泣いていた。

 参列者は、じいちゃんの弟、じいちゃんの甥、その二人しかいない。ばあちゃんの泣き声以外は、とても静かだった。

 母さんの骨を骨壺に納めようとした瞬間、俺は慎二を埋めたときを思い出す。俺はおじさんとおばさんに、合わせる顔がない。母さんの自殺で証拠はなくなったけど、罪の重さは実感し始めている。

 香奈と一緒にいるためには、この罪を背負っていかないといけないのにら迷いが出てくる。井原刑事のあの言葉も気になる。

 じいちゃんは、「心の整理がついたら一緒に住めばいいんだから」と言った。仏壇はじいちゃんの家に置く事になった。ばあちゃんは疲れが出たのか、横になっていた。

「落ち着いてから渡そうと思ってたんだけど、母さんの手紙があるんだ」

 俺はじいちゃんに封筒を差し出す。

「良太はまだ見てないのか?」

「宛名が俺じゃなかったから見てない」

俺宛のがあったことは言わない。

「そうか……」

 じいちゃんは、はさみを取り出し、封を開けた。

『お父さん、お母さん、そして良太へ』という書き出しから始まって

いた。

自殺を選んだことに対しての謝罪の言葉が淡々と綴られていた。俺宛の遺書とは違って、端的な手紙。

『良太のことをよろしくお願いします。』

最後にその一文で締めくくられていた。

 じいちゃん宛にも、通帳を残していた。そこには俺が進学する為の貯金があった。

「良太、やっぱり一緒に住もう」

「俺は、慣れてる自分の部屋がいい。父さんがいつ戻るかもわからないだろ? 時々、遊びに来るから」

「良太に選ばせてくれと遺書これに書かれている。無理強いはしたくない。いつでも待っているから」

「うん。ばあちゃんの具合を時々見に来るよ」

 そう言って、じいちゃんの家を後にした。

 帰り道、アキさんに電話してみた。

『良太、お葬式は終わったのか?』

「この前、一緒に住もうとか言ってたけど、あれはどうして?」

『良太ひとりだと、飯困るだろ? 俺は料理出来るし』

「ほんとにそれだけ?」

『なんだよ、それだけじゃまずいのかよ』と、アキさんは笑う。

『俺が良太に惚れてるとかそういうのはないからな。安心しろよ』

 アキさんはいつものノリで喋っている。しんみりしないように、気を遣っているんだ。

「刑事が、中学に編入するまでの香奈の経歴がないって言うんだ。そんなことできるものなのかな?」

『経歴か。良太が通ってた中学って私立だろ。金持ってる奴なら、都合悪い過去を金にモノを言わせて隠蔽するとか聞いたことあるけど、香奈ちゃんに誤魔化さなきゃいけない過去があると思うか? それにそんな金があるとでも?』

「ないと信じたい。でも……」

『香奈ちゃんは何も言ってないだろ。だったら彼女の口から聞いてないことは信じない方がいい』

「そうだよな……」

『他に聞きたいことは?』

「この前のカフェの後、香奈は俺の家に泊まったんだ。不安そうな香奈を見てると、一緒にいられるだけでいいと思った。俺まで取り乱しちゃいけないと思ったから。でも、こういう時、女の子は何を望むものなんだろう?」

 俺は、アキさんならそういうの知っているように思えたから、思い切って聞いてみた。

『つまり、香奈ちゃんが良太の家に泊まったけど何もしてない。そういうことだろ?』

「うん」

『女子高生はどうかわからないけど、そうなることを狙ってそういうシチュエーションを作る女はいるよ。香奈ちゃんはそういう子だと思うか?』

 不安そうな香奈の表情を思い出す。

『全く何もしないと言うのも凄いな。俺にはそんなの無理だね。キスくらいすればよかったのに』

 アキさんは、さらっと笑いながら言った。

「そんなの……できないよ」

と、俺がぼやくと、アキさんは笑っていた。

『ちゃんと捕まえとかないと、女はすぐ不安だなんだと言って、面倒な事を言うイキモノだからさ。気を付けろよ』

 そういう話だけをして、電話を切った。

 香奈は純粋な女の子なんだ。アキさんが知ってるような遊び人のオンナとは違うはず。

 顔を赤らめたり、泣き出したり。それを計算してやっているとは思えない。

 アキさんのカフェにそのまま行こうと思った。店の前まで来て、お葬式帰りはよくないと思い、引き返そうとした。

 するとアキさんの店から、香奈が出てきた。その後ろにアキさんがいる。

 俺は咄嗟に電柱の陰に隠れた。

「一晩一緒にいて何もしないって信じらんない。手を繋いで満足しちゃってさ。あんなガキは、あたしの相手にはふさわしくないって思わない?」

 誰だよ。あそこにいるのは本当に香奈なのか?

「良太は、それだけ香奈のこと本気なんだよ。それは香奈もわかってるだろ。そうさせたのは香奈じゃん」

「アキはすっかりあのガキの味方になっちゃってさ。アキはあたしとあいつを引き離そうとしてるでしょ?」

「もう、やめようと思ってるから。こんなこと」

「今更なに言ってんの? ここまできてあいつに同情しちゃうわけ? アキ、どうかしちゃったんじゃない?」

「同情とかそういうんじゃない。良太は香奈しか見えてないんだからもういいだろ?」

「アキが降りても、あたしはまだ切り札あるからいいよ。でも、アキはこの件とは無関係ってわけにはいかないのわかってるでしょ?」

「わかってるよ。でも、こんなことになるとは思ってなかった。まさか良太の母親が自殺するなんて」

「どうでもいいじゃん。親なんて。あたしが思い通りに生きていけたらそれでいいの。アキだってずっとそうしてきたんじゃないの?」

 香奈とアキさんは、いったい何を言ってるんだ?

 俺の耳がおかしくなったのだろうか。慎二の幻覚だけじゃなく、香奈とアキさんの幻覚まで見るようになったのか?

 俺は、怖くなってその場から逃げ出した。気が付くと、公園にたどり着いていた。

 俺は何を信じたらいいんだろう。

 香奈に騙されていたのか?

 アキさんも、俺を嘲笑っていたのか?

 慎二も、香奈と一緒になって俺を騙していたのか?

 香奈はそんな子じゃない。違う。

 俺をまっすぐ見つめてくれていた。

 砂場にふらふらと歩み寄り、力なく座り込んだ。

 砂を手に取ってみるけれど、さらさらと零れ落ちていく。

 指の間から零れ落ちる砂が、今まで信じていたものが幻想だったと言っているように感じる。

 誰を信じればいいんだろう?

 目の前が真っ暗になっていく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る