5-13 そばにいるだけで
「うん」
そう言うのが精一杯だった。
「どうして?」
そう聞き返してくる香奈の顔が不安そうで、俺は照れくさい気持ちを振りはらって言う。
「香奈とずっと一緒にいたいから、消えたりしたくないんだ」
少し声が上ずってしまった。
香奈は顔を赤くして、俺から目をそらす。そんな様子がすごくかわいくて、ますます香奈を好きになる。
「何があっても、離れないでね」
「離れるわけないよ」
俺のその言葉を聞いて、香奈は照れくさそうに笑った。
「さっき、アキさんに一緒に住もうって言われたんだけど、香奈はどう思う?」
照れ臭いのを誤魔化すために、話をそらした。
香奈の表情が、固くなる。
「香奈?」
「良太君が大変なときに悩ませることを言うアキさん、不謹慎だよ」
香奈が他人を悪く言うところを初めて聞いた。
「おいおい、俺の店で俺の悪口?」
そこでアキさんが香奈のアイスティーを持ってきた。
「良太は、不謹慎だと思ったか?」
「いや、俺は」
アキさんが心配してくれてるのが伝わったから感じなかった。それを言うと、香奈を少し否定するようで強く言えない。
「俺は良太に無理強いしたつもりはないよ。親と暮らしていた家から離れたくない気持ちもあるだろ?」
そういう理由じゃない。だけど、今
はそういう事にした方がいいのかもしれない。
「ところで、時間大丈夫?」
アキさんは、店の時計を見た。十時近い。
「香奈、送るよ」
駅の方向へ向かおうとしたとき、香奈が立ち止まる。
「良太君は、私よりアキさんの味方なの?」
「そういうんじゃないよ」
「さっき、濁した言い方したよね」
「俺は香奈が一番だけど、アキさんのことも兄貴みたいだと思ってる。味方だとかそういうのじゃなくて」
「私から離れたりしないよね?」
香奈が、突然抱きついてきた。
「香奈?」
「どこか行ってしまいそうで不安なの」
「どうして?」
「明日になったらいなくなっていそうで怖いの。ここでまた明日、なんて言っても会える保証があるのかな」
「保証?」
香奈が背中に回した手に力をいれる。心臓がどうにかなりそうなくらい暴れてきた。
「だから。一緒にいたい」
香奈が物凄くか細い声で言った言葉が信じられなくて、俺は「え?」と聞き返す。
「かえりたくないの」
「香奈、どうした」
香奈がそんなことを言うなんて。聞き間違えたんだろうかと思った。
でも、俺に抱きついてる香奈の手が、震えている。どう答えたらいいのか、俺は考えた。
俺も一緒にいたい。
でも、香奈は家に帰らないとまずいんじゃないか。抜け出してきてくれたのに、家に送らずこのまま一緒にいてもいいものなのか。
香奈の家の事情を、知らない。
どこまで口を出していいかわからない。一緒にいたいと言ってくれる気持ちは嬉しいのに。考えれば考えるほどわからなくなる。
「家に帰らなくていいのか?」
これからもずっとそばにいられるんだ。今、朝まで一緒にいてもいなくても。
「……送るよ」
俺がそう言うと、香奈は俺からそっと離れた。これからの事を考えたら、ここで香奈の親に悪い印象を持たれるのはよくない。
そういう理性がある自分が不思議に思えた。人一人殺してるのに、そういう順番を大事にするのは、変なのかもしれない。
「一緒にいたくないの?」
香奈の声は震えている。
「一緒にいたいけど、やっぱりそれは……」
「不安なのに……。朝まで隣にいてほしい、そう思うことはだめなの?」
今までの香奈だったら、こんなことは言わない。不安がそうさせてるんだろうけど、俺はどうしたらいいのか、そういうことに疎いからわからない。
「アキさんから一緒に住もうと言われたら悩むのに、私の今の気持ちは受け止めてくれないの?」
香奈は、アキさんに嫉妬してるのか?
「こんなこと言いたくないの……」
香奈は俺に背を向けて立ち去ろうとした。
「香奈!」
俺は香奈の手を、咄嗟に握った。
「……ごめん」
「ごめんなさい。アキさんと比べたりして」
俺は香奈を抱き寄せた。香奈が不安なら、ここは一緒にいるべきなのかもしれない。
「今、家に来ても何もないんだけど」
不安が、香奈を大胆にさせているんだと思う。そっと香奈の手を取る。緊張とかそういうのよりも、香奈を安心させたかった。
香奈の左手を取り、ゆっくりと歩く。香奈の歩幅に合わせながら。
会話のないまま、長い時間をかけて家の前まで歩いていた。
玄関の鍵を開ける時、香奈の手を離すと、香奈ははっとしたように、俺を見る。
「こんな風に沢山手を繋ぐの、初めてだよね」
照れ笑いをする香奈が、どこか無理しているように思えた。
「あっちがリビングだから。とりあえず、着替えを探してくる」
香奈をリビングに案内して、俺は部屋に急いだ。部屋のドアを閉め、床に座り込む。
心臓の音がうるさい。
落ち着いて、よく考えないと。
香奈をこの部屋で寝かせるわけにはいかない。でも、一人でリビングにいてもらうのも不安にだろうか……。
どうすればいいんだろう。
床に座り込んで悩んでいても、答えが出てこない。仕方なく、着替えを準備してリビングへ戻った。香奈はソファーで眠っていた。
緊張が解けたんだろうか。小さな寝息を立てている。
香奈の寝顔を見ていると、力が抜けてきた。
ソファーに座り、香奈の手をそっと握る。安心感を覚え、ふっと体が軽くなる。香奈がこんな風に隣にいるだけで、心も軽い。
目が覚めると香奈が隣にいた。夢かと思った。間違いなくこの手は香奈の手を握っていて、香奈も握り返してくれている。
これが毎日続けばいいと思った。
香奈の寝顔がすぐそこにあるようなそんな毎日。
それを守るために俺は罪に蓋をする。香奈と繋がっているこの手は、罪人の手だ。事実は覆せないとしても。
「おはよ……」
眠そうな顔で、香奈がそう言った。「眠れた?」と聞いてくる香奈の優しい微笑み。
「久しぶりにちゃんと寝たような気がする」
「そう、よかった」
香奈が嬉しそうな顔をする。そういう表情をいつも見ていたい。
「良太君は、今日、学校はお休みするんだよね?」
「ああ」
お通夜と葬式は、じいちゃんちですることになっている。身内だけでひっそりと。
「お母さんの事、本当になんて言っていいか」
「大丈夫だよ。だいぶ落ち着いてきてる」
感情の一部が麻痺しているのかもしれないけど。
「落ち着くまでは会えないよね」
香奈は寂しそうな顔をする。
繋がったままの手に力が入る。
「どうなんだろう、これからのことはよくわからない」
この家から出たくないと、じいちゃん達に説得しなきゃいけない。ここに一人というのが、心配なんだろうけど。離れる訳にはいかない。
俺の部屋には、慎二を殺した形跡が残っている。
「そうだよね……」
「でも、メールがあるし。会えるならすぐメールするから」
「うん……」
また香奈は不安そうな顔をする。
「凄く不安なの。会えなくなる訳じゃないのはわかってるのに……」
目を潤ませて香奈は俺を見る。
こういう時、アキさんなら気の利いた言葉を言うんだろう。
俺は、香奈がそばにいてくれるというだけで安心できる。香奈はそれだけじゃだめなんだろうか。どうすれば香奈が安心できるんだろうか。
「そろそろ帰ろうかな。学校の準備もしないといけないし……」
香奈は俺から目をそらし、リビングの時計を見る。外は明るくなってきている。五時過ぎだ。
「家の近所まで送る」
「タクシーで帰るよ」
「でも」
「近くのコンビニにタクシー呼ぶから、着くまで一緒にいてほしい」
香奈は少し寂しそうな顔をしている。
「良太君は、本当に私の事、好きなの?」
どうして今、そんな質問されるのか。わからないけど俺は「うん」と言うくらいしかできずに、動揺した。
気持ちは伝わっていると思っていたけど、違うのだろうか。
「ごめんね、良太君の方が辛いはずなのに私の不安ばかりみせちゃって」
香奈はそこまで言うと、俺から手を離す。
「顔を洗いたい」
「洗面所、リビング出て左手のドアのところだから」
香奈がリビングを出て、俺はさっきまで繋いでいた手を見る。この手だけでは香奈を安心させられない。
どうすればいいんだろう。
そう考えていると、香奈が戻ってきた。
それから家を出て、ゆっくりコンビニまで歩く。手を繋いで歩くのは慣れない。照れ臭さがあって、会話がスムーズにできない。そういう所で香奈を不安にさせているのかもしれない。
会話がなくても、心は繋がっていると思えたはずなのに。香奈の不安だけが伝わってくる。香奈だけじゃなく、俺も不安なのか?
「タクシーもうすぐ来るから、もうかいいよ」
「一緒に待つよ」
「大丈夫だから。落ち着いたらメールしてね」
そう言ったとき、タクシーがコンビニに入ってきて、香奈はすぐに乗り込んでしまった。
足が動かなかった。
香奈は、タクシーに乗ったあと、俺を見ようとしなかった。
もやもやしたまま、家に戻った。リビングでぼんやりと、香奈が座っていたソファーに寝転ぶ。
何がいけなかったんだろう。
一緒にいたいだけなのに。
香奈を不安にさせないためには、どうすればいいのか。
アキさんなら、そういうのがわかるのかもしれない。今度聞いてみようか。
じいちゃんから連絡が来るまで、部屋で待つとしよう。
(第五章 おわり)
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