4-6 〈カナ〉

 部屋に戻り携帯を手に取る。香奈からのメールが何通か届いていた。

『体調どう? お母さんの迎えで早退したんだよね。落ち着いたらメールしてね』

『眠ってるのかな。具合、どう?』

『何かあった? 大丈夫?』

 早退してから一時間おきにメールが届いていたようだった。

 俺は香奈に電話することにした。

 呼び出し音が数回鳴り、香奈の声が優しく届く。

『良太君、具合はどう?』

「ごめん、家に戻ってすぐ、刑事が来たんだ。近所の子が階段から突き落とされたって。親からだよ? ひどいだろ?」

『その子はどうなったの?』

「一人は死んでしまって」

『一人は、ということは……もう一人は助かったの?』

「うん。もう一人は重体らしくて。もしかしたらその子たちの親が慎二に何かしてるかもしれない。近所でも噂になってるし、警察もこれからいろいろ調べるみたいなんだ」

 俺がそう言うと、香奈は黙ったままだった。

「香奈? どうかした?」

『びっくりしちゃって。それって慎二君が子どもたちの親に殺されてるかもってことなの?』

「もしかしたら、だよ。まだわからない」

『慎二君、無事だといいね』

「……そうだな」

『具合は、もういいの?』

 香奈の心配そうな声は、気分を穏やかにさせる。

『無理しないでね』

「大丈夫、さっき、アキさんのカフェでココア飲んできた。少し落ち着いたよ」

『アキさんのとこ、行ってたの?』

 香奈に、アキさんが話していた歯車の話を聞かせた。

『連絡ないと思ったら、アキさんのとこにいたんだね。心配してたんだよ! でも、アキさんのおかげで元気になったなら、よかった』

「ごめん、携帯を持ってなかったから」

『ううん、気が動転してたんだよ。今日はゆっくり眠ってね』

 そう話して電話を切った。

 俺自身の歯車は、父さんがいなくなってから噛み合わなくなっていたのかもしれない。

 これから先、俺と香奈の歯車が噛み合わなくなるような邪魔をするやつはもういない。



 そういえば小六の頃、父さんが俺と慎二に壊れかけたアナログの時計の中を開けてこう言っていた。

『歯車ひとつひとつに役割があって、一度噛みあわなくなると時間が少しずつ狂い始めるんだ。気付いたときに直さないと、この時計は買ったばかりのころのように正確な時間を刻まなくなる。人との繋がりもアナログの時計のようなもので、デジタルのようにいかない』

 あのときは父さんの話の意図がわからなかった。

 慎二は『噛み合わなくならないようにするにはどうすればいい?』と、父さんに聞いていた。

 父さんはいい質問だと慎二を褒めた。

『時計にはそのかなめになるゼンマイがある。そのほかには、分を刻む歯車、秒を刻む歯車、その二つを仲介をする歯車、あとは回転のスピードをコントロールする部品があるんだ』

 俺は、父さんがまだ他にも重要なことを言っていたような気がして、携帯で調べてみた。

【巻き上げられたゼンマイは、香箱車を回転させ、それぞれの歯車に伝わります。順に回転数を上げていき、スピードの違う分や秒の針を回転させることができます。】

 それぞれ役割がある歯車という事がわかった。ここに、「カナ」が出てきた。

 父さんの話に引き込まれていたのは慎二だけで、俺はアナログ時計には興味がなかったから、聞き流していたんだ。

 時計にとって「カナ」が必要なように、俺にも香奈が必要なんだ。

『後ろばかり見ていたら目の前の大事なものに気付けなくなる』というアキさんの言葉を心の中で繰り返した。

 俺の部屋の隣にある父さんの部屋には、父さんの時計のコレクションがあるはずだ。

 俺は父さんの部屋に入り、積み上げられた段ボールを、一つ一つ確かめていく。

 その中の一つに、父さんが愛用していた腕時計のコレクションがあった。

 その中で、時計に詳しくなくても高級だとわかる時計があった。凄く大事にしていたのに、これを置いていったんだな。

 俺はそれを手にして部屋に戻る。


 腕時計をじっくり見ていると、針は止まっていた。こういう時計を修理するのはいくらかかるんだろう。

 まさきの時間もこの時計のように止まるかもしれない、不意にそんなことを考えていると天井の藍色が黒に変わるような恐怖が押し寄せてきた。

 父さんは母さんから逃げたんだと思っていた。

 それは違うのかもしれない。

「良太が産まれてから、良太の鼓動の音が時計以上に大事なんだ」

 そう話していたのは父さんだ。

 時計も俺も捨てられていた。

 俺の歯車は、父さんが出ていった時から狂い始めていたんだ。香奈と出会ったことで俺は、なんとか動いているのだろう。

 まさきの歯車は俺と出会わなければ狂わなかったんだろうか? 狂い始めたのがいつだったか? 

 それは他人の俺にはわからない。まさきのこれからを思うと無力な自分に苛立ちを感じる。

 この手は罪で汚れている。うまく逃げられたとしても俺の記憶は消えることはない。

 止まった針を動かすには職人の手が必要なんだ。自分だけではどうにもならない。

 まさきが笑顔になるには、あの両親から離れたほうが良いと思う。

 俺の罪をかぶってもらえば、まさきは親から引き離されるかもしれない。

 それが不幸に繋がるかどうか、先のことはわからない。

 父さんが家を出てから、俺は香奈に出会えた。まさきも、いい出会いにめぐりあって、いい未来があるかもしれないじゃないか。

 ためらうことはない。

 明日、学校の帰りに香奈と一緒にまさきの入院先に行ってみよう。警察の動きもわかるかもしれない。

 止まった時計を握りしめたまま朝まで眠った。



 学校へ行くと、慎二のことが話題になっていた。まさきとみやびの事件が報道されたことで、上野たちと問題があった慎二が殺されているのではと、噂されていた。

 教室に入ると、クラスメートが群がってくる。

「慎二が行方不明って、どうなってんだよ」

 教室が一瞬にして静寂に包まれる。

「慎二の母親が体調悪いから休んでるって嘘だったのか? 上野って奴に監禁されてるとか殺されてるとかいろいろ噂があるけど、ホントのところはどうなんだよ。高瀬は何か知ってるんだろ?!」

 俺は俯く。どう話せばいいんだろうか。学校からは口止めされている。

 でも噂は広まっている。たった一晩で。

「慎二は……」と、言いかけたところで「高瀬!」と担任が俺を呼ぶ。

 ちょうどいいところに来てくれた。教室の静寂がざわめきに変わる。

「高瀬、ちょっと校長室に来い」

 担任が言う。俺は表情が見えないように俯いたまま立ち上がり、担任が教室を出ていくのを確かめてからその後に続いた。

 予鈴が鳴り廊下に出ていた生徒が教室に入っていく。

 


 

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