4-5 兄妹
「俺が十円玉を渡したんです。公園で夜遅くまで二人で遊んでいたから、何かあったら電話しろって教えました。それで俺の番号を書いたレシートを持っていたんだと思います。もしかして、それが見つかって怒られて、階段で?」
俺は、まさきだけでも命が助かればいいと思いながら話していた。でも、自分に不利な発言をしていないかも考える自分もいた。
「アパートの玄関の前でお金の話で怒鳴っていたのを聞いた人がいるよ。でも、高瀬君は自分を責めないでほしい。これはあの夫婦の歪んだ感情からこうなっただけなんだ。君は悪くないんだ」
野口刑事は神妙な顔をしている。
井原刑事はそっぽを向いて、俺を見ようとしない。
「もしも、まさきが意識を取り戻したらすぐに連絡してください!」
「ああ、そうするよ。携帯はレシートに書いてあった番号でいいよね?」
野口刑事の言葉に、俺は頷く。
「じゃあ、今日はこれで帰るよ。無茶しないでよ?」
野口刑事はそう言って、井原刑事を押しながら帰っていった。
二人の足音が聞こえなくなったのを確認して、俺は玄関に座り込んだ。
「みやび、ごめん……」
みやびを救えなかった自分を責める。慎二を殺したくせに。矛盾しているかもしれない。
ハムスターを初めて見たときの嬉しそうな顔。母親からココアを作ってもらったと満面の笑みを浮かべるみやびの姿。いろんな表情が俺の記憶の中で蘇る。
あの夫婦を犯人に仕立ててしまおう。あの二人を疑う人がいるのなら、それを真実にしてやろう。
俺は慎二以上に偽善者になってやる。
まさきが助かるのを祈る。これは、間違いなく本心だ。
俺は、これで逃げきることができる。
夜になり、気分が沈んでいた。みやびの死が思った以上に堪えている。
マサキとシンジがケージの中で動く音が空しく響く。ここにもミヤビがいない。鳥の名前をミヤビにすればよかった。
あの子は鳥になって自由に飛ぶこともできずに死んでしまった。
人一人殺していても、誰かを失うことが辛いと思えるなんて、おかしいだろうか。
あの兄妹は二人で、今までを乗り越えようとしてきた。俺には兄弟なんていない。一人だった。慎二が現れるまでは……。
翌日、俺は二人が住んでいたアパートへ足を運ぶ。まだ、現場検証が行われているようだった。
近所の野次馬に、聞き耳を立てる。
「最近、警察が聞き込みしてたでしょ。松原さんちの慎二君が行方不明になっていてそれの聞き込みだったんだって。もしかしたら上野の旦那さんが関係してるんじゃないかしら?」
「│
「前からこの子達、いつか殺されるんじゃないかって感じてたの。児童相談所は通報しても頼りにならないし」
「こんなことになってしまうなんて。噂通り慎二君も殺されてたりしてね。やりかねないわよね、上野さんなら」
この噂が
慎二の遺体は、いつ発見されるだろう。それが気になる。でも俺は表情を変えずに、野次馬の一人としてそこに居続けた。
アパートの階段の下に、血痕があった。なんとも表現しづらいこの空しさが息苦しくさせる。
二人がよくいた公園に向かった。隅っこのベンチで二人は仲良く遊んでいた。寄り添うように。
俺と慎二もあんな風に仲良く遊んでいた。俺は慎二に支えられていた。父さんがいなくなってからも。あの兄妹も俺と慎二のように支え合って生きていくはずだった。
まさきが目覚めたらどうするんだろうか。
まさきの親は、どんな罪に問われるのだろう。もしも慎二殺害まで罪をかぶったら上野夫婦は極刑は免れないのだろうか。そうなると、残されたまさきはどうなるんだろう。俺は逃げ切れてもまさきは一人になってしまう。
本当にこれでいいんだろうか。
不意に肩を軽く叩かれる。
振り向くと野口刑事がそこにいた。珍しく一人だった。
「高瀬君はどうしてあの二人に優しくしたのかな?」
「夜中に子供だけで公園にいたら、ほっとけないでしょう。慎二だってそうしていたみたいだし」
「見て見ぬフリも出来たと思うよ。他の人がそうしていたように」
「見て見ぬフリしていたら、あの二人はこんな目に遭わなかったんでしょうか」
「どうだろうね。何が最善なのかなんて誰にもわからないと思うよ。松原君が上野たちと、どういう関わり方をしていようと、それがどう転ぶか未来を知ることはできない。高瀬君がここで悩んでいても未来が変わらないようにね」
「もし、まさきの親が慎二の件にも関わっていたとしたら、まさきが意識を取り戻したあと、まさきに帰る場所があるんでしょうか?」
野口刑事はそこで暫く「うーん」と唸りながら考えていた。
「残念だけど、警察はまさき君の今後の事までは予想できないし、介入もできない」
「そうですか。そうですよね……」
「あまり落ち込まないでよ。警察も最善を尽くすから」
そこで野口刑事の携帯が鳴る。ボソボソと誰かと話しているようだ。
聞き耳を立てるのも怪しいと思い、俺は野口刑事にお辞儀だけしてその場から去った。
罪から逃れるチャンスなのに、足が重い。
気が付いたらアキさんの店に向かっていた。ドアを開けてアキさんと目を合わさないようにカウンターの座席を選ぶ。
「いらっしゃい。今日は一人?」
「コーヒー飲みたくなったから」
俺は覇気のない声で言った。
「ごめん。やっぱり、アイスココアにする」
みやびにアキさんの作ったココアを飲ませてあげたかった。
「珍しいな。何かあったのか?」
「近所の子が、死んだんだ。俺が見過ごしたせいかもしれない」
「人が一人動かなかっただけで、誰かの人生が終わることはないよ。その考えは間違ってる。一度噛み合わなくなった歯車は誰にも止められない。良太が動いていたとしても、歯車はもっと前から噛み合っていなかったかもしれないんだ。誰の介入で軌道修正が出来たかどうか、誰にもわからないんだよ。死んだ子がどういう経緯でそうなったかは知らないけど、良太のせいじゃないと思うぞ?」
アキさんはミルクパンでココアを作り始めた。
俺がまさきとみやびと知り合う前から周りは二人のことを知っていて、児童相談所に通報した人もいた。それでも状況は変わらなかった。
俺が動かなくてもいずれこうなっていた……なんてそんなに簡単に気持ちを切り替えられない。
「自分を責めても解決しないこともあるだろ。できなかったことを後悔するんじゃなくてこれから出来ることを考えた方がいいんじゃないか?」
「アキさんはポジティブだね」
「自分に都合いいように考えてるんだよ。簡単に切り替えられないかもしれないけど、後ろばかり見ていたら目の前の大事なものに気付けなくなる」
アキさんはコップに氷を入れて、ココアを注いだ。
「アキさんにとって、大事なものはなに?」
アキさんは俺にココアを差出し、曇った表情で俺を見た。
「俺にとって大事なものはこの店とお客様だよ。良太と香奈ちゃんはその中でも特別だ」
アキさんはそう言って厨房に消えた。曇った表情のアキさんを見るのは初めてだった。
歯車が噛み合わなくなったのは、俺だけのせいじゃない。俺がしたことがばれないように動き出してることをうまく利用するしかないんだ。
俺がまさきの未来を左右するかもしれなくても、それでまさきが不幸になるかまで考えていたら何も出来ない。
俺は、俺が捕まらないようにするために動けばいい。
ココアを飲みほした頃、アキさんはいつもの表情で接客をしていた。それを見てほっとして財布を取り出そうとしたとき、俺は家に携帯を忘れていることに気付く。
香奈が心配してるかもしれない。
俺は急いで勘定を済ませて店をでたあと、小走りで家まで向かった。
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