5-11 手紙

「良太!」

 俺は、二人を直視できないでいた。二人は病室に入っていく。暫くしてばあちゃんの嗚咽が部屋から漏れてきた。

「高瀬君、大丈夫?」

 力が入らなくなり廊下に座り込んでいると、安田先生がそばに来て俺の目線に合わせてしゃがみこんだ。

「母さんの手を握れなかった……」

 包帯だらけの手を握るのが怖かった。慎二を殺した汚い手で、母さんに触れちゃいけないと思った。

 母さんは証拠を消すために、死を選んだ。

 俺のせいだ。

 俺が母さんに気付かれないようにしていたら。

 いや、違う。慎二を殺さなかったらこんなことには……。

 でも、慎二は香奈を奪っていた。

 俺はどうしたら良かったんだろう?

 安田先生は何も言わず、ハンカチを差し出してきた。それを手に取り顔を覆っていると、病室のドアが開いた。

「良太、今晩はうちに泊まりなさい」

 じいちゃんのその言葉に首を横に振る。

「高校も通える距離にある。そのままずっとうちで一緒に暮らそう。ばあちゃんが良太と一緒に住みたいと言ってるんだ」

 俺は激しく首を横に振りながら「いやだ。俺は、あの家がいい」と言った。

 母さんが命がけで守った証拠を、俺は守らなきゃ。あの家から出るわけにはいかない。

「そうか……。良太のこと、待ってるからな。いつでもおいで」

 じいちゃんはそう言って、再び病室に戻っていった。

 母さんがお金を置いておくと言ったのを思い出した。今朝から覚悟していたのか?

 俺は安田先生に「今日はカウンセリング休ませてください」と言った。

「ええ、今日はゆっくり休んで」

「家に帰ります。じいちゃんたちにそう伝えてもらえますか。俺、今は誰にも会いたくないから……」

「そうなのね。伝えておくわね」

「ハンカチ、今度のカウンセリングで返します」

 そう言ってロビーを通り抜けていると、ロビーの隅に井原刑事がいた。

 井原刑事は俺に気がつくと、早足ですぐそばまに来たあと、

「申し訳ない……」

 井原刑事が、突然、土下座した。

「君のお母さんを止められなかった」

「誰かのせいにしたくないんです。だから、そんなことしないでください」

 俺は井原刑事を振り切って、早足で病院を出た。

 家に着いてから母さんの部屋に入り、机の上にある封筒を手にした。

『良太へ』と書かれた丁寧な文字。僅かに震えているのがわかる。

 どんな気持ちでこれを書いたんだろう。

 封筒の中には俺名義の通帳と印鑑とカード、そして手紙があった。

 通帳には百万の残高。履歴を見ると、昨日、六十万預け入れしてあった。

 手紙は、俺宛と、じいちゃん宛の二通。

 手紙を見るのが怖いと思った。

 でも見ないといけない。母さんの覚悟がそこに書かれているはず。

 書き出しの言葉は、『ごめんなさい』、だった。



良太へ

ごめんなさい。こんな謝罪の言葉では、償えないとわかっています。

ずっと、良太を一人にしていたこと。お父さんが一度は戻ってきていたのを黙っていたこと。そして、証拠を隠すためにこんな決断をしたこと。

本当にごめんなさい。

手紙で謝るよりも、良太の目を見て、向かい合って、伝えるべきなのでしょう。それが出来ないのが心残りです。

慎二君のご両親のことを思えば、申し訳ない気持ちで苦しくなる。本来なら、私が、良太の親として土下座しても足りないくらいの謝罪をしないといけないのです。

間違ってるのはわかってる。

証拠を隠して罪から逃れる手助けをするなんて、親としては最低だということもわかっているの。

わかっているけど、ずっと良太と向き合えなかったから、今の良太が望むことをしたかった。

母親として間違ってる。そう言われようと、良太が望むならすべてを被るくらいの気持ちがあるということ、それをわかってもらいたい。この気持ちはエゴかもしれないけど、どうか、わかってください。

お父さんは、一度戻ってきてました。

でも、そのあと、どこに行ったのか本当に知らないんです。

離婚したいと告げられたとき、良太と離れたくないと思った気持ちも嘘じゃない。

あの人の心が離れているとわかってしまって、ぽっかり穴が開いたようになったけど、良太がいてくれたから、頑張れたんだと思います。

台風の夜、雨の中、そっと傘をさしだしてくれてありがとう。

些細な優しさだったとしても、私には十分すぎるくらい嬉しかったんです。

いつの頃からか、私は変わった子供だと言われるようになり、誰からも相手にされなくなりました。

良平さんだけが、私を理解しようとしてくれたんです。だから離れたくなかった。

良太がお腹にいるとわかったとき、これで良平さんと離れなくていいんだと思った。子供で良平さんを縛りつけようなんて、母親として妻として、間違っていたかもしれない。

今は、良太を産んでよかったと、強く思っています。

慎二君を殺めた理由を、聞いておくべきだったと思いました。もう聞けないのだけど。

理由はどうあれ、命を奪った事実は覆せない。命を奪って、法で裁かれることから逃げても、良太の罪は一生消えないのだと、覚えておいてください。

これから先、苦しいことがたくさんあると思うけれど、信じる道を歩いて行ってください。

真っ当に生きていくなんて、その罪を考えたらできることはないのだけど、これ以上、過ちは犯さないでください。

同封する手紙は、私の両親宛のものです。

この手紙は読み終わったら焼却してください。

同封している通帳の暗証番号はxxxxです。

良太の未来を考えたら、少ない金額。だけど、大切に使ってください。

良太の幸せを、誰よりも祈ってます。

母より



 手紙を読み返す。母さんの遺した言葉を忘れないように。

 これは、手元に残しちゃいけない。

 涙の痕が乾いてくる。それに気づいたとき、手の震えが止まった。

 父親は、愛人を作り家を出ていった。母親は、俺の犯罪の証拠隠滅の為に自殺した。

 なんだこれ。

 悲しいことなのに、笑えてくる。

 乾いた笑い。心も乾いていく。

 命の重み、俺の中の矛盾。

 いろんな感情が、物凄く深いところで混ざり合わさっている。

 母さんは、慎二を殺めた理由を聞かなかった。普通の感覚が俺もよくわからない。その辺りが母さんの子だと痛感する。

 手紙に夢中で、母さんの部屋の様子に気付かなかった。よく見ると、時間をかけて整理されたものだとわかるくらい、綺麗なものだった。

 ベッドのシーツは、皺一つない。床には、塵ひとつ落ちていないようだ。

『古着として使えるもの』

『おばあちゃんに渡してほしいもの』

 一目で解るように、それぞれに付箋を貼って分類している。

 クローゼットを開けてみると、空っぽだった。いらないものは全て、処分したらしい。

 いつから準備していたんだろう。

 外食に行ったあの日から?

 この間の雨の夜の、母さんの迷いのない口振りを思い出す。

 そうか。あの時にはもう決めていたんだ。こうすることを。

 何もかもが乾いていく。

「手紙、焼かないと……」

 そう呟きながらキッチンへ向かった。庭で手紙を焼くのはまずい。誰が見ているかわからないから。

 手紙を細かく破り、耐熱皿の中に入れる。手紙のかけらに、ライターで火を点ける。母さんの文字が、灰になって消えていった。

 母さんが命がけで守ったもの。

 それを、俺は守る。

 手紙が燃え尽きたのを見届けたあと、皿の中の灰を水に浸しておいた。

 ぼんやりそれを見ていると、家の電話が鳴った。出るのは面倒だと思った。【コウシュウデンワ】と表示されている。出た方が良い気がした。

「はい……」

 落胆しているような声を出す。

 手紙を燃やしたことで、心は乾きき

っている。今の悲しみよりも、現実だ。

 母親が死んだ直後からドライになっている俺は、相当イカレてる。

『良太、今後のことなんだが……』

 じいちゃんからの電話だった。お通夜と葬式についての話だ。

 俺は、「うん」「わかった」という相槌だけ。じいちゃんの消え入りそうな声に、全く心が痛まない訳ではないけど。

『本当に一人で大丈夫なのか?』

 じいちゃんの優しい声。

 でも大丈夫じゃないのは、じいちゃんの方だと思う。母さんは一人娘だった。俺のせいで死んだとわかったら、どう思うだろう?

「大丈夫だよ」

 感情が麻痺しているのかもしれない。

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