1-7 高校

 香奈との時間は、慎二に知られないようにこっそりと作っていた。

 慎二は放課後、寄り道をすることなくまっすぐ家に帰る。おばさんの手伝いをするためだ。親思いの慎二にとってそれはあたりまえのことだったようだ。


 バレンタインは、香奈から手袋をもらった。手袋をすると、直接香奈に触れられない。そんなことがよぎったけれど、香奈が俺のために選んでくれたことは素直に嬉しかった。

 ホワイトデーに何を返せばいいのかわからず、俺は近所をうろうろして迷っていた。そのときに見つけたカフェが、俺と香奈をより一層親密にさせる場所になる。

 裏通りにあるそのカフェは、こっそり二人で会うにはぴったりの場所だった。


 中学の卒業式の後、慎二は家族で祝うということで足早に帰っていった。

 俺と香奈はいつものカフェで卒業を祝った。すっかりそのカフェの常連になり、店長のアキさんと親しくなった俺たちは、卒業祝いに特製のパスタをごちそうになった。

「高校生になっても、放課後デートはこの店使ってくれよ」と、アキさんはちょっと笑いながら言った。

 特別な言葉は必要なかった。「好きだ」と言わなくても、俺の気持ちは

伝わっているし、香奈の気持ちも伝わる。香奈の目や仕草ひとつひとつが、俺に向かっていると感じていた。

 これから先も、ずっとこの関係が続いて、より気持ちが深まっていくんだと思うと、嬉しくてどきどきした。


 高校に入学して、俺と香奈と慎二は同じクラスになった。香奈は、慎二に気を遣われるのがいやだからと、高校に入ってからは俺と二人きりで教室で話さなくなっていた。俺はもともと女と話さなかったから、慎二もあやしむことはなかったようだった。

 この頃には、母さんはパートをかけもちして、元気に働いていた。仕事でほとんど家にいない母さんのことを、俺は特に気にすることはない。

 慎二は高校からバンドを始めた。放課後も学校帰りに練習があるらしく、別行動になることが増えた。

 そのおかげで、香奈との二人の時間ができるようになった。

「そういえば、香奈って高校で新しく友達つくらないのか?」

 カフェでコーヒーを飲みながら、俺は香奈に訊ねた。

「話があんまりあわないの。それにね、女の子たちの中にいると、クラスの男の子の話題が出るの。そのときに良太君の話が出たら、私、恥ずかしくなっちゃうの」

 香奈は頬を赤らめながら言った。クラスのうるさい女と違う。そういうところも、香奈を好きでいて良かったと思う。


 順風満帆に一学期が終わり、初めての夏休みに入った。

 俺は、夏休みの自由研究に必要なものや、ちょっとした趣味になっていたDIYの用具を買いそろえるために、街をぶらぶらと歩いていた。

 背中の汗が流れているのがわかるくらい強い日差しの中、交差点で信号待ちをしていると、反対側の信号待ちをしている人の群れの中に慎二をみつけた。

 信号が青に変わり慎二を呼び止めようと一歩踏み出そうとしたとき、慎二の腕に絡み付く女の姿が見えた。

 慎二も彼女できたんだ。こんな街中でべたべたできるやつだったとは思わなかった。どんな女と付き合っているんだろう?

 そう思って人の群れから見え隠れする女を見る。

 ……香奈?

「慎二君はぁ、楽器屋さんに行くとギターばっかであたしのことほったらかしにするんだもん。もう一緒に行ってあげないよぉ?」

 妙に語尾をのばす喋り方、甘ったるい口調で、俺が聞いたことのない声が聞こえた。

 そんなの香奈じゃない。

 でも慎二の隣にいるのは、間違いなく香奈だった。

 俺が香奈を見間違えるはずがない。

 気が付くと、足は来た道を戻って走り続けていた。

 二人は、どういう関係なんだ?

 二人はつきあってるのか?

 家に着いて、息を切らしながら玄関に座り込んだ。買い物袋を床に投げつけ、玄関のドアにもたれかかる。

 二人の姿を思い出すと吐き気がして、トイレに駆け込む。

「香奈が俺を裏切るはずがないじゃないか」

 トイレで胃がからっぽになるくらい吐き続けた後、部屋に戻った。

 天井と壁の白が、まぶしい。

 絨毯や家具の黒が、うとましい。

 モノトーンの空間が、あの二人の真実の色をつきつけてくるようで、俺は頭を抱えてそれらを見ないようにした。

 目をつむる。

 真っ暗な中で憎悪というものが芽生えた。煮えたぎるような怒りだ。

 慎二が香奈を騙している。

 香奈が俺を裏切るはずがないんだか

ら。信じていも、やりきれなくていらいらして、気分が悪くなる。

 階段を駆け下りて、物置にあった黒いペンキで壁の白を黒く塗りつぶしてしまおうとした。壁の一部を黒く塗ったところで、我に返る。

「ここを黒くしたら、香奈まで黒だと認めてしまうんじゃないか?」

 香奈は悪くない。

 慎二だけが悪い。

 そういう結論にたどり着いたけれど、それでももやもやしていた。

 

 そして、この部屋は藍色の空間になった。

 俺はその日から、部屋に閉じ籠もった。藍色の空間で、慎二への憎悪だけ

が渦巻いていた。




(第一章 おわり)


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