-2 雪

 でも、今更どうにもならない。

 香奈を悪魔にしてしまったのは、俺だ。

 香奈が反省していないと感じたら、今度こそ俺が香奈を止めなければいけない。良太の最期の言葉どおりにはできない。




 雪が静かに舞う二月のある日、俺は香奈と一緒に、良太の墓参りに行った。

 香奈は、墓前に青い薔薇をお供えしている。

「白い景色に青い薔薇っていいね」

 なんて言いながら、香奈は苦笑いしている。

 少しは、自分のした事を悔やんでいるのか。香奈は変わり始めているのかと思って、決意が揺らぎそうになる。

 でも、それは俺の間違いだった。


「つまんない。あんな終わりになるなんて思ってもなかった。あたし、殺されるかと思ったよ。ほんと、よかったー」


 香奈は、後悔していないようだ。高瀬家の墓前で笑みを浮かべるのがその証だろう。

 それを見た俺は、ポケットにひそませていたサバイバルナイフを取り出す。

 良太の墓に背を向けた香奈は、ゆっくりと歩いている。あっさりと離れていこうとした香奈の背中を見つめた。そして、思い切り腕を振りかぶり、ナイフで刺した。

 香奈がびくんと震えて、足を止める。

「アキ?」 

 名前を呼びながら振り返った香奈の顔は、突然の痛みで歪んでいた。

 真っ白な雪の上に、赤い血が流れている。

 香奈は、うつむいた。地面に広がる赤い血を見て、背中に手を当てている。

 背中に触れたあと、ゆっくり赤く染まった手のひらを見つめながら、「なに、これ。どうして……」と呆然としているようだった。

 痛みと驚きで立っていられなくなった香奈は、雪の上に座り込んだ。


 香奈の、そんな顔は見たくなかった。香奈にはいつも笑っていてほしかったんだ。

 でも、ごめん。これで本当に終わりにする。終わりにしないと……


 俺は香奈の正面に回り込み、うずくまる香奈を抱きしめながら押し倒す。それから力強く、香奈の腹部深くにナイフを食いこませた。低く唸る声が静かな墓地に響いている。

 洋服に返り血を浴びた。それは覚悟の上だった。俺は起き上がり、香奈を見下ろす。

 香奈は起き上がれないでいる。青白い顔で震えながら、「ど……どうし……て?」とか細い声で俺を見つめる。


「終わりにしたい。俺は、香奈を守れそうにない。香奈がまた誰かを傷つける前に……俺が香奈を、香奈の人生を終わらせる」


 俺の言葉を全部聞かないまま、香奈の意識は途切れた。


 俺は、かつて少年課でお世話になった井原さんに電話した。

「久しぶりです。良太の件、これで終わりにしたいと思います」


 俺の言葉を聞いて、井原さんはすぐに察したようだった。


 冷たくなっていく香奈のそばで俺がうずくまっていると、井原さんが走ってきた。後ろには野口さんもいた。


「井原さんは香奈と会ったこと、ありますよね」

「ああ。忘れていたけどね。高瀬君が亡くなって暫くしてから思い出したよ。いつも君と一緒にいた女の子だ」

「そうです。俺が、香奈をだめにしたんです。今はそう思います。香奈に正しい道を教えてあげられなかった」

「君はそれでいいのか?」

「いいんです。死刑になっても罪は償えないと思ってますから。実はですね、もう、検察に話がついているんですよ。俺が松原慎二を殺したことにしてくれます」


 そう話していると、救急隊員が香奈を運びだした。

 井原さんは、なんとも言えない表情をして、空を仰いだ。冷たい雪が頬に落ち、すぐにとけていく。そして深いため息をついて、俺を車に連れていこうと歩きはじめた。


「郵便局での良太君の様子がおかしかったんだ。あのときもっと突っ込んだ話をしていれば!」

 野口刑事が、良太の墓を見つめながら泣き叫んだ。

「君は、……ほんとうに君はっ! それでいいのか!」

 野口刑事は俺の胸倉をつかみ、つばをまき散らしながら、

「こんなっ、こんな終わりは認めない! 解決してないじゃないか!」

と叫んでいる。


 井原刑事が、野口刑事を諌める。

「そうは言っても、検察を敵にまわしたくないだろ。それに、こいつ……アキは腹をくくったんだ。全ての罪をかぶる事で、あの子のやってきたことを償うつもりなんだろう。間違っていると思うけれど、これがこいつの愛情表現なんだよ」


 井原さんがそう言うと、野口さんは勢いよく背中を向け、車の方へ向かっていった。


「こんな終わり、刑事としては認めたくない。でも、一人の男として、少しだけわかるような気もする。極刑以外は受け入れない。それくらいの覚悟があるんだろう?」

 井原さんは、わかっているようだった。


 良太は、父親の失踪、幼馴染の死と母親の自死に耐えられず自殺したことになっている。

 良太の父親の監禁については、俺が雇った風俗の女と付き合っていた男に容疑をかけられたままだ。その男は国外逃亡させた。


「高瀬良平さんを監禁するように仕向けたのも俺です」

 週刊誌では、香奈と俺と良太と慎二、四人の過去が暴かれた。

 父母の虐待がありながらも、養父母の深い愛を感じ誰からも愛される人間になった松原慎二と、歪んだ人格のまま成長した俺と香奈と良太の過去が、面白おかしく暴露されていった。

 実の親から見放されたという過去を持つ俺は、弁護士に精神鑑定をすすめられたが、俺はそれを断った。


 俺は法廷でこう話した。


「俺は、確かにイカレてっけど、精神的におかしなところなんかない。精神鑑定なんてしなくていいです。そんなので罪を軽減されたくはないです。

 育成歴が人格形成に影響を及ぼした? 俺は誰が育てていようが変わってないと思いますけど。 

 だったら、松原慎二君は例外ってことですか? 実の親から疎まれた過去を持っていても、育ての親が立派な人で、俺や香奈とは違う家庭環境で育った松原君は例外なんですか? 

 育成歴やそれによる人格の歪みを理由にしてしまったら、もともとやばかった人間の隠れ蓑になるんじゃないですか。

 俺は香奈を松原君に取られたくなかっただけですよ。変わろうと思えば変われるはずだった香奈の命を、未来を奪ったんですよ。

 一連の事件が衝動的だったのかどうか、ですか?


 香奈の歪んだ人格を作った俺だからできたんです。

 つまりぜーんぶッ、俺が計画的にやりました。

 みんな俺の箱庭でコントロールされていたんです。




〈了〉

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藍色庭園 香坂 壱霧 @kohsaka_ichimu

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