第37話 守り人

 とうが振り下ろした剣は。

 妣丙ひへいの首元寸前にて。

 震えるように止まる。



「……と、湯?」

「……さ、さっさと僕から離れて。そんなに長く、意識を戻して、られない」



「何を言っているのですか。貴方の方こそ遊んでないで。さっさと戻ってきなさい。貴方がいなければ、一体誰がこの大陸を導くのです」



「そう言ってもね。気を抜けば、意識を持って行かれるんだよ。……って、何してるんだ。さっさと離れろと言っただろう!」



 妣丙は素手で刀身を掴み。

 手の出血にも構わず。

 首元に当てて言う。



「泣き言を聞く気はありませんわ」

「……死にたいのかい」



 妣丙が握り締めた刀身からは。

 夥しい血が流れ始める。



「ええ、貴方が少しでも呑まれれば、私は死ぬでしょうね。ですが、問題ありませんよね。……だって、貴方、私に言ったじゃないですか。強いひとだって」



「……っ!」



 湯は其の言葉により。

 強引に覇気を放ち。

 意識を戻そうとする。


 だが、奥深くまで沈み込んだ。

 意識はその程度は戻れず。



 深く。


 更に深く。


 引きずり込もうとする。



 意識が深海に墜ちてゆく中。

 あらゆる記憶がフラッシュバックする。



 その溢れ出る記憶の中で。

 監獄でのけいとの会話が浮かび上がった。



 啓は朽ちた木の棒で湯の肩を叩く。



「また、魔境へと墜ちたか。……言ったであろう、力を求めるのは忘れ。弱さに、弱者に寄り添えと」



「……理解できないね。なんで、僕が弱い奴に寄り添わなきゃいけないの」



「時代を変えるには、弱き者の心を知る必要があるからだ」



「そんなの知る必要なんてないよ。自らの道も選べない弱者なんて、皆……」



「「朽ち果てれば良い」」



 啓は湯と同じ言葉を同時に呟いた。



「…………」



 湯は思わず啓を見据える。



「そう言う心持ちだから。お主は惑うのだ。……湯よ。何故、僕が弱者に寄り添えと言っておるか分かるか」



「分からないし、興味もないね」



「なら、お主は奸雄にて終えることになるな。弱き者に寄り添えぬ者が、英傑になぞなれるはずもないのだからな」



「…………」



 啓は湯の目を見つめて言う。



「湯よ。これだけは覚えておくのだ。……時代を変えるのは、いつも弱者である。弱き者が必死の思いで立ち上がり。理想の世界を求め。歩み始めることで。初めて時代は変わろうとするのだ。だが、それだけでは世界は、時代は変わらぬ。英傑と呼ばれる、人々に道を示す存在がなければ、弱き者は道を見失ってしまうからだ」



「弱い奴の道を示す為に。僕に英傑になれと」



「思い上がるでない。孤高を気取っているお主に、英傑なぞなれる筈がない」



「…………」



「英傑とは孤高の存在ではない。ましてや聖人のようにあがめられる存在でもない。……英傑とは、人々の一歩前を歩き。理想の先の世界を示す存在である。その為には、誰よりも弱き者の心を知らねばならぬ」



「そんなの不要だよ。僕には覇者の徳があるんだろう」



「覇者の徳で強引に従わせて何になるのだ。人は屈服して従うのではない。心服して、初めて人は従うのだぞ」



「…………」



「さて、目を瞑るのだ。僕が唱える万の言葉より、お主の心に浮かんだ一つの言葉が唯一の真実である。その真実の言葉に耳を傾けるのだ」



 湯は緩やかに目を開くと。

 朧気な視界に。

 妣丙が信じる目で湯を見据えてる姿が浮かぶ。



 湯は緩やかにため息を漏らす。



「……守りたい。って、あの後、心のどこかから聞こえたんだっけ。何を守りたいのか分からなかったんだけど。やっと、守りたいモノが分かった気がする」



 湯は歯を強く噛み締めると。

 陰陽入り乱れる圧を周囲に放つ。



 自我が薄い者や。

 意志が弱い者が。

 湯の気に触れると。

 気を失うほどの圧であった。



 陰陽の流れが均一に定まりかけると。



 湯は腹の底から吐き出すように叫ぶ。


「……ハァッ!」

 


 其の声は戦場全体に駆け巡り。

 妣丙は圧に耐えきれず。



「きゃっ!」



 尻餅をつく。



 湯の瞳は蒼色に戻っており。

 気を落ち着かせ。

 妣丙に手を差しのばす。



「どうして僕の回りは、馬鹿か狂人しかいないんだろうね」

 


 遠目で眺めていた啓が頷きながら言う。



「類は友を呼ぶと言うからのう。僕の回りも何故か、狂える者しかおらぬ」



「狂人の代表が、何うそぶいてるんですか。……しかし戻ってこれましたね。湯」



「うむ。だが、事態は好転はしておらぬよ」



「勝てる見込みはあるのですか? 技も力も全て昆吾が上回っているのは明らかでしょう。貴方の技すらも、昆吾は会得しているのですから」



「問題ない。そもそも、僕は湯に技を教えてはおらぬ」



「なら、何を教えたのです?」



「……神妙へと至る心得だ。神妙の前には全ては児戯へと変わる」



 啓がそう言うと。

 湯は前に進み。


 逆手ではなく。

 普通に剣を握る。



 昆吾も決着をつける為。

 剣を構え。

 前へと出る。



 次なる時代を導く。

 英傑の戦いが。

 遂に、幕を引こうとしていた。




 二人の英傑を見守るように。


 ツインテールの少女が欠伸紛いに。

 戦局の流れを記録する。



「……さっさとけりつけちゃってよ。どう転ぼうが、問題ないんだから」

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