第38話 時代が求めし者

 とう昆吾こんごは剣を構えなおす。



 一撃。



 次の一撃で全てが決まる。



 直感めいた確信が共にあり。

 神経を研ぎ澄ませる。



 戦場に緊張が張り巡り。

 緊張は沈黙を生み出し。

 沈黙は静寂を生み出した。



 そして。



 その静寂は。



 流れ矢によって破られる。



 流れ矢が二人の間を通り抜けると。



 湯と昆吾は。 

 同時に踏み込む。



 自らの存在が。

 この時代に存在したと。

 知らしめるが如く。



 踏み込み音が轟く。



 刀身が先に奔ったのは。

 湯であった。


 湯が放った一閃は。

 光速とも呼べる一閃であり。

 音すらも置き去りに駆ける。



 人である限り。

 この一閃を上回ることは不可能であり。



 昆吾は為す術もなく切り伏せられる。



 そう、その筈であった――。 



 だが、其の一閃は。



 人成らざる抜刀によって。

 塗り替えられる。



 刹那にも満たぬ。

 


 僅かな遅れから放たれた昆吾の剣は。

 光すらも置き去りに奔る。



 湯は自らに向かう。

 死の太刀筋を捉え。



 時が止まったかのように。

 思考だけが動く。



 躱せるか。



 否。



 不可避の一撃。



 見切るは疎か。

 躱すことも赦されぬ一撃。



 受け止めるか。



 否。



 不可抗の一撃。

 


 止めるは疎か。

 流すも赦さぬ一撃。



 死ぬ。



 確実に死ぬ。



 確実に死へと誘われる。



 湯は自嘲気な笑みを浮かべ。

 死を覚悟すると。



 俯瞰するかのように。

 戦場全体が見渡せる。


 

 左陣では。

 仲虺ちゅうきが鬼気迫る戦いで。

 昆吾軍を押し返しており。



 右陣では。

 有莘ゆうしんの援軍が伊尹いいんと合流し。

 昆吾軍を圧倒し始める。



「……此処まで戦局が傾けば、僕が死んでも大丈夫だね」



 湯は悟ったように呟くと。

 後方の丘から視線を感じ。

 反射的に振り向いた。



 振り向いた先には。

 けいとマリがおり。



 マリは感情が読み取れぬ視線であったが。

 啓は何処か余裕ある表情で見据えており。


 その目はまるで。

 湯の勝利を確信するかのような目だった。



「流石に、今回は君の期待には応えられないよ。技も力も通じないのだか……」



 湯が呟くと。

 今呟いた言葉から。



 かつて。

 啓が監獄で言った言葉を思い起こす。



「……技も力も超越する。其れを神妙と呼ぶ」



 湯は記憶の中にいる啓の言葉が脳内に響いた。



 湯は啓が一度見せた動きを想起する。

 


(極意とは転ずること。あらゆる状況にも留まらず。常に流転し続けるならば……その動き。神妙へと至る)



 湯はあの時の啓の動きと言葉の意味を。

 死の瀬戸際で腑に落ちかけていた。



 あれは技であったのか?



 否。



 アレは技ではない。



 技ではアレは説明できぬ。



 では、技でなければ何というのか。



 現実では。

 刹那にも満たぬ時の狭間で。


 

 永遠とも呼べる。

 自問自答を行う。


 理性からの問いかけを。

 全否定し。



 感覚とも呼べる直感から。

 その糸口を掴む。



 技量を超越したあの動きは。

 技でばなく。


 同化であると――。



 森羅万象。



 ありとあらゆるモノと同化し。



 万物に身を委ねる。



 其処に我は必要なく。



 恐れる心も存在しない。



 ただ、万象と同化するのみ――。



 湯の眼光は蒼から紫に光り輝き。



 互いに交差した。




 *  *  *




 驚愕は誰の者であったのか。



 昆吾が確実に捉えた湯は眼前になく。



 まるで剣が擦り抜けるが如く。



 その刃が空を切る。



 昆吾の眼光が強く黄金色に輝くが。

 その事象を理解すること敵わず。



 否――。



 時代の加護により理解に至る。



 剣理と剣術。



 全ての理合いを極限まで修めた結果。



 其処へと至ったのだと。



 だが、其れは言葉だけの理解であり。



 其の極致に辿り着いていない者には。

 ただの言葉の羅列へと置き換わる。



 昆吾は驚愕の目で。

 背後を通り抜けた湯に振り返ると。

 湯は既に昆吾に向けて刃を放っていた。



 昆吾の目は見開き。



 先の動きを完全に模倣しようと。

 


 同じ剣速。

 同じ姿勢。

 同じ呼吸。



 寸分違わぬ動きを行う。



 だが。



 加護の直感が危険信号を大きく放つ。



 足りぬ。

 足りぬ。

 足りぬ。



(……何が足りねぇんだよ)



 受けろ。



 否。



 受け止めれぬ。



 下がれ。



 躱せ。



 (……受けも躱しもしねぇよ)



 昆吾は直感が告げる。 

 言葉を無視して強引に踏み込む。



(アイツが出来て俺にできねぇことはねぇ筈だ。不合理を捻じ伏せるために時代の加護があんだろうが。俺には此の、時代の加護があるのだか……)



 空中に大きく血飛沫が弾け飛ぶ――。



 互いに剣は動かず。



 相手が崩れるのを待っていた。



 僅かばかりの静音の後。



 昆吾が口元を緩めると。



「……ごふっ」



 湯は崩れ落ち。

 地面に膝を付く。



 昆吾は崩れた湯を見ることもせず。

 振り上げた刃を見つめる。



「……此れが、時代が求めた答え、ってか」



 昆吾はそう呟くと。

 胸元から血が噴き出し。 

 崩れ落ちた。



 湯が剣を杖にして立ち上がると。

 昆吾は自嘲紛いに言い放つ。



「淡い、淡い夢を見ちまったな。……さっさと、俺の首を刎ねて。此の戦いを終わらせろ」



「……ああ、そうさせて貰うよ」



 湯はおぼつかない足取りで近づき。

 刃を振り上げると。



 その刃は朱色の槍によって叩き折られた。



 遙か先の丘の上から。

 その朱色の槍は伸びており。



 五キロ近く伸縮した槍が。

 湯が握り締めた剣を叩き折る。



「……っ!」



 湯は舌打ち紛いに折れた剣を手離すと。

 天空から雲を割くように白い犬が現れ。



 昆吾を咥え。

 飛び立つ。



 昆吾は暴れていたが。



 伸びきった朱色の槍が振り上がり。

 振り落とす形で。

 昆吾の頭を殴打すると。



 昆吾は気を失い。



 為すがままに犬に咥えられていった。



 湯を含め。



 戦場にいた兵士達は。

 その光景に呆然としていると。



 伊尹は青銅の鐘を叩かせ。

 周囲の視線を集めてから。

 声を張り上げる。



「貴方方の大将は逃走しました。この戦い、我々、商の勝利です! 疾く、武器を捨て降伏なさい! 繰り返します……」



 伊尹が叫び続けると。

 昆吾の兵は周囲を見てから。

 武器を捨て始め。

 降伏が始まった。



 丘から眺めていた啓はマリに問いかける。



「先の、天まで届くかのような朱槍。アレはなんなのだ?」

「……宝具、火尖鎗かせんそう。自在に伸縮し。貫いたモノを燃やし尽くす宝具です」



「随分と奇天烈な武具を、彼方側の調停者は持っておるのだな」



「奇天烈具合なら貴方も負けてませんよ。時代の加護なく。教示だけで同格の英傑を造ったのですから」



「教示なぞ。そんな大それたことは行っておらぬよ。僕はただ、狂を示したに過ぎん。……それに、湯ならば。時間さえあれば。僕がおらずとも英傑にはなっておったよ。奴はそれほどの逸材であるからな」



 啓は遙か彼方先の夏の王都を眺める。



 其処には土煙と共に。

 夏王朝を示す蒼の御旗が掲げられ。

 膨大な兵が動いていた。



「……さて、次は夏との決戦か。このまま連戦を行うとは、実に狂であるな」



 商軍は休む間もなく。

 次なる戦いの地。



 鳴条めいじょうへと突き進む。



 後に、世紀の戦いと呼ばれる。



 鳴条の戦いの扉が遂に開いた。

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