第39話 湯誓

 戦地には屍がたむろっていた。



 戦いを終え。

 正気の者は少なく。



 皆一同に気が立っていた。



 殺した感覚を拭えず。

 嗚咽する者がおる傍らで。

 高揚感から殺傷数を語る者がおり。

 死兵から物を剥ぎ取る者もいた。



 剥ぎ取られた屍は裸体を曝し。

 可食部分が剥き出しとなると。

 鳥たちが群がり始める。

  


 降伏した昆吾こんご兵は商兵に。

 視線を合わさぬようにしており。

 気弱そうな者を前に立たせ。

 少しでも後方に隠れようとしていた。 



 皆、一同に狂い始める――。


 

 とうが其の様子を眺めていると。

 有莘ゆうしん妣丙ひへいが近づいてくる。



「やぁ、湯君。……散々、迷った結果、君達に付いていくことにしたよ」



「感謝するよ。君らの援軍がなければ、結果は逆になっていたからね。しかし、どうして、夏を裏切ってまで僕らに付いたんだい」



「そりゃぁ、妣丙ちゃんに嘆願されたからだよ。商、と言うより、湯を助けに行くべきと何度も……」



「時代の流れを見たからです! それ以上でも、それ以下でもありません」



「ああ、そう。……時代、か」



 湯は遠い光景を見るように戦地を見渡す。



「どうしたんだい。そんなに浮かない顔をしちゃって。夏王と戦うのは、やはり気が引けるかい」



「いいや。そうじゃない……」



 湯が重苦しい表情に変わると。

 伊尹いいんが近づいてきた。



「湯、非常に言い辛いですが。撤退を進言します」

「どうして」



「……被害が大きすぎます。半数近くの兵が負傷しました」



「半分が動けるのなら。問題ないだろう」



「半分も動かせませんよ。降伏した昆吾の兵を監視する為、兵の大半を割く必要が生まれてしまいました。……実質的に動かせる兵数は千を下回ります。幾ら、有莘の援軍があるとは言え。残った兵力では戦いを継続できません。速やかなる撤退を進言します」



「……一つ聞くんだけどさ。監視の兵を残す必要ってあるのかな」



「何ぼけたこと言ってるんですか。夏王の元に流れる恐れもありますし。再び、反旗を覆す恐れもあります。何れにせよ、易々と解放は出来ません」



「それなら違う選択肢をとろうか。全軍、捕虜の前に集めて」



 湯がそう言うと。

 伊尹の目が見開く。



「まさか。捕虜全員……殺す、とは言わないでしょうね」



「まぁ、其れが一番合理的だねぇ」



 有莘がそう呟くと。

 妣丙が睨み付ける。



「まさか。本当に、そうなされるのですか。湯」

「……いいから、さっさと全軍集めて」



 湯はそう言うと屍が積み重なる。

 戦地に向けて歩き始めた。



 死者から簒奪していた商兵は。

 湯に気づくと動きを止め。

 死者を労る振りを行う。



 湯は何も言わず。

 ただ、戦場の中心を歩き続け。



 降伏した二千近くの。

 捕虜の元にたどり着く。



 捕虜は武器を取り上げられ。

 商兵によって取り囲まれていた。



 湯は手を払って言う。



「君たち、武器を下ろして。そう構えていたら。警戒するだろう」


「し、しかし」

「下ろして」



 湯が圧ある声で言うと。

 商の兵達は湯の言葉に従う。



 湯の背後には兵が続々と集結し。

 眼前の降伏兵を威圧する。



 捕虜は虐殺されると感じ取っており。

 商兵は捕虜を始末する為。

 呼ばれたと判断していた。



 湯は商兵と降伏兵の境界線に立ち。



 双方の兵を見渡せる距離まで歩くと。

 振り返って言い放つ。



「……少し、距離を取り過ぎちゃったかな。君たち、もっと近くに寄って。そんなにピリピリしないで。僕の声が届く範囲まで近づいて」



 商兵は軽い足取りで近づき。

 降伏兵は恐る恐ると近づく。



 湯は優しげな笑みを浮かべると。

 ゆっくりと声を放つ。


「商の兵は無論、降伏に応じてくれた昆吾の兵もよく聞いてくれ。僕は……いや、は、軽々しく王に対して反乱を起こそうとしてるのではない。夏の君、けつに多くの罪があればこそ。私は天の意志によって皆を従えるのだ」



 湯が言葉を発すると。

 無意識的に兵達は。

 湯の言葉に惹かれ始める。



「今、兵士達よ。お前達は私にこう云っている。我が君、桀は民衆に慈悲をかけることなく残酷な政治を布いていると。……私は、お前達の言葉を耳にした以上、夏の罪を正さぬわけにはゆかないのだ」



 湯の言葉は異様に透き通っており。

 言ノ玉が弾むように響き渡る。



「罪があるのは桀に留まらぬ。夏の臣下は民衆から剥ぎ取ることしか頭になく。悪戯に民衆を苦しめる。それに対し民衆は、長い悪夢はいつか終わる。其れだけを信じ。ただ、耐え忍んできた」



 湯の眼光が紫色に光り輝いており。

 其れを目の当たりにした。

 啓は笑みを浮かべ。

 マリは冷や汗を流す。



「そして、今、長い悪夢から醒める時が来たのだ。……どうか、わたしに力を貸してくれ。我々の思いだけが、時代を変えるのだから」



 湯は深く頭を下げて言い切ると。



「…………」



 湯は商兵は疎か。

 降伏兵すらも心服しており。


 商兵が天に手を上げるように叫び声を上げる。



「おおぉぉぉ!」



 其の声に同調し。

 昆吾の兵も声を荒げる。



 湯は全ての者の心を一つに纏め上げ。

 緩やかに顔を上げた。



「…………」



 湯の紫に光り輝く両眼は。

 聖王を思わせる圧を放っていた。



 湯は昆吾の降伏兵すらも呑み込み。



 最後の決戦の地。

 鳴条の地へと進みゆく。 

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