第12話 歪みし王朝

 紀元前十六世紀。



 此の時代、夏の玉座に座っていたのは。

 桀王けつおうとよばれる中年の男性であった。



 桀王は商の反乱を聞きつけると。

 周辺諸侯に商討伐の命を出し。

 自らも出陣する。



 桀王は千にも満たぬ軍を率いていたが。

 進軍の過程で。

 夏の諸侯である伯との合流を繰り返し。

 商に迫る頃には、二千を超える軍に膨れ上がっていた。



 商邑が間近に迫ると。

 桀王は休息の命を出す。



「ひ、一先ず。今日の行軍は此処までだ。今日は休み。明日の決戦に向けて備える。……で、良いのだよな」

「ええ。ご英断です」



 部下の一人がそう返すと。

 桀王は安堵の溜息を漏らした。

 


 兵達は行軍を止め。

 野営の準備を始める。


 桀王は椅子に腰掛け。

 夜空を見上げる。


「……はぁ。数こそ揃えたが。果たして、大丈夫であろうか」



 桀王が不安を吐露すると。

 背後に控えていた仮面を被った女性が口を開く。



「桀王様。その様な不安を漏らさないでください。士気に関わります」


 

 桀王の背後には王師おうしと呼ばれる。

 仮面を被った七名の近衛兵が控えていた。



「す、すまんな。つい、気が動転して」



 桀王が反省紛いに言うと。

 推哆すいしが指の爪を見つめながら言う。



「好きに言わせないよ。第一、近衛兵に過ぎない。王師風情が桀王様に意見を申し上げるなんて不遜の極みよ」

「…………」



「あら、何か言いたげね。言いたいことがあるのなら口になさいな。まぁ、言える訳ないわよね。所詮、貴方達は名すらない。お人形なんだから」



 王師の女性は否定もせずに黙り込むと。

 関龍逢かんりゅうほうが急く足取りで桀王の前に現れる。



「王さんよ。報告することがある!」

「どうしたのだ。そのような血相を変えて」



昆吾伯こんごはくが反乱を起こした。至急、王都へ戻ってくれ!」

「なんと! 急いで戻らねば。……い、いや、しかし、商を討つ必要もある。ど、どうすれば」



 桀王が狼狽していると。

 推哆が呆れるように言い放つ。



「王都は堅い城壁で守られているのでしょう。そんな反乱ぐらい耐えきるわよ。放っておきなさいよ」



 関龍逢は苛立ちを見せて言い放つ。



「推哆さんよ。万が一にでも、王都が落ちたら。夏は簡単に崩壊するぞ。少しは、もの考えてから喋って欲しいね」



「あら、考えてから物を言ってるわよ。何も対処出来ず。慌ててきた。何処ぞの無能と違ってね」



「其の無能って誰のことだい? まさか、自己紹介でもしてくれてんのかい」



「あら、理解する頭もなかったの?」



 関龍逢と推哆が睨み合っていると。

 桀王は思いついたかのように言葉を放つ。



「ひ、一先ず、半数の兵は湯の討伐に残し。もう半分は儂と共に王都へ帰還しよう。うん、そうだ。それが良い」



 推哆は呆れた表情で言い放つ。



「ばっかじゃないの。そんな中途半端なことしたらどっちも崩れるわよ。戦うか、逃げるかはっきりなさいな。この決断力のない。馬鹿王が」



 王師の女性は其の言動に反応し。

 十メートルの距離を一息で飛び越え。

 背後から推哆の首元に小刀を押しつける。



「……王に向かって、今なんとおっしゃいましたか。中年太りの馬鹿王、と申しましたよね」



「中年太りまでは、言ってないわよ。貴女の私情まで混ぜないでくれる。……っ、悪かったわよ。感情的になって」



「だ、そうです。……桀王様。お許しになられますか」



「う、うむ。だが、王都は一体、どう対処すべきか」



 王師の女性は短刀を納刀して言う。



「案ずる必要はありません。王都には、我々、王師の長がおり。調停者と、加護を受けし英傑がいます。彼の者らがいる限り、王都が陥落することはあり得ません。恐れながら意見するならば……我々は、このまま行軍を続けるべきです」



「そ、そうであるか」



 桀王が王師の女性の意見に納得すると。

 伝令が駆けてくる。



「桀王様、報告があります! しょ、商より。湯が降伏してきました!」



 推哆は誰よりも真っ先に驚く。



「……なんですって!」

「と、通すのだ!」



 桀王は思わず椅子から立ち上がると。

 手枷を填められた湯が桀王の前に現れ。



 啓と伊尹がその後に続く。



 桀王は湯を見て驚きの声を上げる。



「お、思った以上に若いのだな。その歳で此程の騒動を起こすとは」



 桀王は湯の背後に視線を移すと。

 伊尹がおり。

 再び驚きの声を上げる。



「い、伊尹。何故、其方が湯に付き従っておるのだ。……よ、よもや、湯を庇う為に来たのか」

「庇う気なんてありませんよ。成り行き上で来ただけです。見学だと思って下さい」



「そ、そうであるか」



 伊尹の言動に桀王は呆気にとられていると。

 関龍逢は啓を見て。

 口元を緩める。



「まさか、こんな所で会うとはね。啓君だったか。君は、一体何用で来たんだい」

「無論。此度の騒動の弁明に参った」



「弁明ねぇ。事と次第によっては君も処罰されるよ。その覚悟はあって弁明するんだろうね」

「無論である」



 関龍逢は啓の覚悟を見て。

 桀王に意見を求めようとする。



「どうします桀王様。この者が商の弁明を図りたいと申していますが」

「う、うむ……」


 桀王の視線が泳ぎ。

 周りを見ていると。

 推哆が割り込む。



「弁明? そんなの必要ないわ。伯を殺しておきながら無罪放免なんて示しが付かない。夏に仇なす者は処刑よ、処刑。それしかないでしょうが」



 啓は顎に手を当て。

 考えるそぶりを見せてから言う。



「ふむ。夏に仇なす者を処刑か。……となると、お主も処刑になるが、其れは良いのだな。なんせ、王の許諾を得ず。大陸一の賢者を殺そうとしたのだからな」


「ど、どういうことだ? よもやお主、伊尹を殺そうとしたのか」

「少し、誤解があるみたいね」



 推哆は苦い笑みを浮かべ。

 言い訳の言葉を並べようとすると。 

 関龍逢は口元を緩めて遮る。



「まぁ、殺そうとしたのは事実よな」 

「……っ、関龍逢!」



 推哆が苛立った表情で関龍逢を睨み付けると。

 啓は言葉を続ける。


「場も暖まった事であるし。商が葛伯という小人を討った理由。そして……夏の罪について言及させて頂く。暫し、御静聴願おう」

「「…………!」」



 夏の罪と言ったことにより。

 全ての者が言葉を止め。

 啓に視線が集う。



 狂人が遂に歴史の表舞台に現れた。



 本来なら狂うはずのない時代の歯車が。

 静かに狂い始める。

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