第11話 商の降伏

 仲虺が城門に入ってから一刻余り。



 仲虺が啓とマリ、伊尹を引き連れ。

 戻って来た。



 仲虺の姿を見た。

 商兵は道を開くように左右へ分かれる。



 開いた道の先には一台の荷車が止まっており。

 湯は欠伸紛いに荷車から飛び降りた。



「思ったよりも早かったね。……で、その後ろの男が伊尹かい」



 仲虺は首を振って応える。



「いいえ。此方の少女が伊尹になります」

「…………」



 湯は伊尹を一瞥すると興味なさげに言い放つ。



「噂は所詮、噂ってことか。さっさと補給を終わらせ。王都へ向かおうか」



 湯が背中を見せると。

 伊尹が一歩踏み出して言い放つ。



「人を呼び出しておいて、何ですかその態度は。徳も礼も知らないのですね」


 

 湯は振り返って言う。



「そんなもの知らないし。興味もないよ」

「ああ、成る程。そんな浅薄な考えだから、何も考えず刃を握ったのですね。狂犬と聞いて、少し期待してましたが。その実、ただの躾のなってない馬鹿犬だったんですね」

「……なに、喧嘩売ってんの?」



 湯と伊尹が睨み合っていると。

 仲虺はわざとらしく咳き込んで沈黙を破る。



「馬鹿犬。ゴホン、湯。私としては、この者。伊尹らを仲介に立て。夏王に此度の騒動の弁明を図りたい所存でございます」

「……弁明なんて必要ないよ。刃向かう者は全て叩き潰す。其れだけだよ」



 伊尹は呆れ紛いに言う。



「少しは現実を見たらどうですか。此れしきの戦力で夏王に楯突くなんて自殺行為ですよ。夏王は千を越える兵を用いて、王都から動いています。また、有力諸侯も引き連れるでしょうから。総軍、二千を超える兵が集うでしょう。百にも満たぬ貴方方はどうやって戦うのですか?」



「……に、二千」



 夏軍の兵数の多さを聞き。 

 殆どの商兵は青ざめるが。

 湯は臆せず返す。



「戦わなければ分からないだろう」

「戦わなければ分からないのですね」



 伊尹は湯の言葉に被せ。

 煽るように言い放つと。

 啓が口を開く。



「まぁ、落ち着くのだ。そう睨み合っていては纏まる話も纏まらぬだろう」



「誰だい、君」

「啓という。夏王との交渉を引き受けた」

「そんなこと、僕は頼んでないよ」



「そうみたいであるな。だが、此処にいる者は皆。降伏を求めているようであるが」



 湯は商兵らを見渡すと。

 商兵は湯から目をそらし。

 辟易した態度を漏らす。



 商兵らは二千を超える兵と戦う現実を知り。

 高揚した感情は一気に消し飛んでいた。



「どうやら、周りが見えておらぬのはお主だけのようだな。こんな士気の落ちた兵を用いて。どうやって戦うのだ」

「…………」



 湯が黙り込むと。

 仲虺が湯に歩み寄って言う。



「湯。降伏を勧めます。今ならまだ、助かる可能性があります」



 湯は毅然とした態度で返す。



「降伏はしない。其れに、無理強いをする気はないよ。命を惜しむ者は此処で別れようか。僕は一人でも夏王を討ちに行くからね」



 湯は堂々とした足取りで前に進んでいくが。

 商兵はその背中を眺めるか。

 目を逸らすかの二択であり。



 誰一人としてその背中を追おうとする者はいなかった。



 湯が孤立した道を確立しようすると。

 啓が湯の前に立つ。



「まぁ、そう死に急ぐでない。折角、良いモノを持っておるのだ。このまま無駄死にするのは何とも惜しい」



「邪魔だよ。どいて」

「どかぬと言ったならば?」



「……二度は言わないよ。どいて」

「断わると……」



 啓の言葉が終える前に。

 湯は剣の柄で啓の顎を打ち抜こうとするが。

 啓は湯の腕を抑え。

 その奇襲を防ぐ。



「良い踏み込みであるな。だが、殺気があっては奇襲にならぬぞ」

「…………」



 湯は目が見開き。

 殺気だけで五感を麻痺させる程の圧を放つが。

 啓はその殺気に怯まずに言う。



「やはり、覇者の徳を持っておったのか。成る程、傍若無人でありながら。此程までに人を引き入れたのは其の資質からか。……うむ、実に惜しいな。時代を変えるほどの狂を持ちながら。狂いきれぬことが、何とも惜しい」



「……さっきから、何を言っているんだい」



 湯は腕に力を込めるが。

 啓の力に押されて制止する。



「お主、狂犬とまで揶揄されるほどの狂を持ちながら。何故、狂いきれぬのだ。何故、葛伯程度の小者を斬った程度で、この時代は変わると思い込んでおるのだ」

「…………」



「狂うのだ。もっと狂うのだ。狂いきるのだ。お主の狂は、その程度ではあるまい」

「…………」



 啓と湯が互いに睨み合っていると。

 湯は啓の狂気に当てられたのか。


 鼻で笑い。

 剣を納刀する。



「面白いね、君」

「面白いことを述べたつもりはないのだがな。……まぁ、良い。先ほど、シータが言ったとおり。お主には徳も礼が欠けておる。此れでは、大陸を治めるなぞ。到底出来ぬ。一度降伏し、自らを見つめ直すのだ」



「降伏は出来ない。降伏したら。商の者は皆、死刑になるからね」

「案ずる必要はない。此処には交渉の達人である僕と、大陸一の賢者がおるのだ。処刑なぞさせぬさ。そうであろう、シータよ」

 


 伊尹は怪訝な顔をして言い放つ。



「誰がシータですか。着いては行きますけど、私は庇いませんからね」

「其れで結構である。お主は僕の背中を見るのが仕事であるからな」



「本当に面白いね。……仲虺。僕の腕に縄を掛けてくれ」



 仲虺は猫背のまま近づいてくる。



「では、失礼ながら湯。腕に縄を掛けさせて貰います。大人しく、夏王の前でいてくださいね」

「何を言っているんだい。僕はいつも大人しいだろう」

「面白い冗談ですね。口も縛っていた方が良いみたいですね」



 湯の腕に縄がくくられ。

 啓と伊尹と共に。

 夏王の下へと向かう。



 狂いゆく時代を。

 更なる狂が塗りつぶそうとしていた。

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