第5話 商の湯

 夏の時代に於いて。

 王の次に位が高いのははくと呼ばれる地位であった。



 伯の者には、一国に相当する領土が与えられ。

 其の領土内に於いては。

 夏の名の下に絶対の権能を振りかざすことが赦された。



 この権能は領土内を円滑に動かす為のモノであったが。

 とある伯は、私腹を肥やす為に使い始める。



 私服に溺れた者の名は。



 かつ伯。 



 この者の台頭により。

 夏の崩壊が決定付けられる。





 * * *




 葛伯が管理する膨大な《ゆう》の一つに。

 しょうと呼ばれる邑があった。

 【*邑とは集落を指す】



 商邑の屋敷にて。

 青年が目を瞑り。

 猫背の男が淡々と口を開く。



「案の定と言うべきか、葛伯の横暴は、夏王の耳に届く前に臣下によって掻き消されたようです」



「……つまり、夏のお偉いさんは、葛伯が商の民を二人も殺しておきながら。何のお咎めもしないって言うんだね」

「そうなりますね。とう



 猫背の男が感情ない声で青年の名を言うと。

 湯と呼ばれた青年は立ち上がる。



「……さて、と」

「何処へ行く気ですか」



「少し、夜風に当たってくるよ」

「夜風に当たるのは結構ですが。……よもや、葛伯の首を落としにゆく。なぞと物騒なことはしないでしょうね」

「…………」



 湯は意味深な笑みを浮かべると。

 猫背の男は溜息交じりに言い放つ。



「湯。幾ら、貴方が強かろうが。所詮は一人です。三百の兵を有する。葛伯に勝てる道理はありません。少しは冷静になりなさい」



「面白いことを言うね。仲虺ちゅうき。まさか僕が、負けるとでも思っているのかい」



 仲虺と呼ばれた猫背の男は。

 目を瞑って言い放つ。



「貴方なら、一矢は報いるでしょう。ですが、この商という邑の立場が非常に悪くなります。其れを分かって動くのでしょうね。商の長、湯よ」



「……弱いモノは朽ちれば良い」



 湯は吐き捨てるように言ってから。

 仲虺に視線を合わせる。


 

「それに、君なら。僕が好き勝手に暴れようが、上手いこと立ち回るだろう。次の長の座は君にあげるよ」



「貴方の後始末の為に、長になぞなりたくはありませんよ。今一度、申し上げます。どうか、考え直しては頂けないでしょうか」



 仲虺は圧を込めて湯を睨むと。

 湯は口元を緩めて返す。



「僕に意見をするのならさ。実力で黙らせなよ」



「……ならば、そうさせてもらいましょう。此処で始末した方が、商のためにもなりますのでね」



 仲虺は猫背の姿勢になりながら剣の鍔に手を置く。



「準備運動に丁度良い。少しは楽しめそうだよ」



 湯が好戦的な笑みを浮かべ。

 剣に手を添えると。

 一人の青年が二人の間に飛び込んできた。



「なぁにやってんっすか! 互いに討つ相手を間違えてるっすよ。僕たちは。み、か、た。なんっすよ!」



 青年が飛び込むと同時に。

 二つの抜刀音が響き渡る。



 二つの刀身は青年の首元寸前で止まる。



「……五月蠅いね。君から斬るよ」

「あまり出しゃばらないでください。貴方の首から落としますよ」



 青年は冷や汗を流したまま言う。



「ま、待ったッス。敵は葛伯ですよ。僕、葛伯じゃないっす。落ち着いてください。落ち着いて深呼吸っすよ。ひっ、ひっ、ふぅ。ひっ、ひふぅ!」



 湯は青年の鳩尾に膝を入れる。



大戯たいぎ。君と馬鹿してるほど暇じゃないんだよ。さっさとどいて」



 仲虺も呆れながら言い放つ。



「邑の部外者である貴方が我々に口を挟む余地はありません。さっさと下がりなさい」



 大戯と呼ばれた青年は胸元を抑えながら立ち上がる。



「馬鹿は、どっちすっかねぇ。……自殺紛いに突撃する奴と。邑の保身しか考えない奴。果たしてどっちが馬鹿っすかねぇ」



「「…………」」



 湯と仲虺は無言のまま大戯を睨みつける。



 大戯は圧に屈さずに言い放つ。



「本当にあの二人の死を思うなら。自分らで抱え込まず。皆の命も賭けろって言ってるんっすよ。其れが報いるってことでしょう」

「皆の命、だって?」



 大戯が屋敷の扉を開くと。

 外では武器を身に纏った若者が集っており。

 老人や女子供は食料や衣類を纏め。

 旅立つ準備を整えていた。



「君たち……」



 湯が驚きの表情を浮かべると。

 集った若者らが言う。



「湯さん。俺らはアンタに着いていくぜ」

「皆で、あの二人の仇を討とうじゃないか」



 湯は僅かばかり口元を緩める。



「着いてくるのは勝手だけど。足手まといにはならないでね」



 湯が歩みを進めると若者達は付き従う。



 仲虺は大戯を睨みつけて言い放つ。



「一体どういうつもりですか、皆を決起させるとは。貴方は、この邑を滅ぼしたいのですか」

「そんな大それた考えは持ってないッスよ。ただ、皆が馬鹿みたいに好戦的だったのでね。道を示してあげただけっすよ。そんで、アンタはどうするんっすか。女子供と一緒に逃げちゃいます?」



「そんなこと出来るはずがないでしょう。……ですが、大戯、覚えておきなさい。この借りは、必ず返しますので」

「借りだなんて思わないで結構ッスよ。善意で行っただけッスからね」



 湯は群衆を掻き分け。

 夏の傘下を示す。

 蒼色の旗を切り捨てる。



「さて、これで僕らを縛るモノは何もない。朽ち果てるまで戦おうか」


 

 商は湯の指揮の下。

 独立した道を歩み始めた。

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