第28話 混沌する大陸
歩き続けるが。
遂に体力に限界を迎える。
視界は定まらず。
視点が揺らめく。
「……此処までか」
啓は前に倒れるように崩れると。
その身体を誰かが受け止めた。
啓は薄れゆく意識の中。
男女の言い争う声を聞くが。
其の言葉を理解する余力はなく。
意識を失った――。
* * *
啓が目を開くと。
見慣れぬ天井が見えた。
「此処は……」
啓が朧気な瞳で周囲を見渡すと。
マリは食事を取っており。
啓の気配を察した。
マリが振り返る。
「起きたのですか、啓。貴方も食べなさい。いくら貴方でも。体力がなければ何も出来ないでしょう」
「……此処は何処なのだ」
「何処って。
「いいや。僕は途中で力尽きた。筈だ」
マリの箸が止まる。
「……なら、誰が此処まで、運んできたくれたのでしょうか」
湯はゆっくりと瞼を開ける。
「……若い、男女だったよ。夢うつつたったから。何処まで夢かは分からないけど。空飛ぶ犬に乗せられ。此処まで運ばれた」
「面白いことを言う。犬が空を飛ぶはずがなかろう」
「……だから言ったでしょ。夢うつつだって。真に受けないでよ」
湯が軽く言うと。
「…………」
マリは訝しげな表情のまま。
お茶碗を握り締めていた。
マリの茶碗が空になると。
有莘伯の妹である。
「あら、あなたたち、起きたのかしら」
「おかわりお願いします」
マリは茶碗を妣丙に渡す。
「……もう、釜三つは食べてるわよ。お腹、大丈夫なの」
「断食後なので。マリさん、お腹ペコペコです。マリペコです」
「断食後って。普通、胃が受けつけないって聞いているのだけど」
「私は普通ではないので大丈夫です。おかわりお願いします」
「はいはい」
妣丙は茶碗をよそいながら。
啓と湯に向けて言う。
「あなたたちも食べなさい。牢獄では満足に食事が取れなかったでしょう。はい、啓さん」
啓に盛られたご飯が渡される。
「すまぬな」
「……湯でしたっけ。貴方もどうぞ」
「悪いね」
湯が茶碗を受け取ると。
茶碗の中には。
数粒の雑穀しか入っていなかった。
「ねぇ、有莘伯の妹。僕の茶碗。数粒しか入ってないんだけど」
「あら。多かったですかね。では、減らしますね」
「なに、僕に恨みでもあんの?」
妣丙は湯に視線を合わせて言う。
「大ありです。貴方が反乱を起こした所為で。大陸の秩序が大きく乱れました。
湯は深い溜息を吐き。
妣丙を見据える。
「……ねぇ、君さ。自分の食事すらマトモに取れないのに、他人に食事を与えたことは或るかい」
「いきなり何を言っているのですか。話をはぐらかさないで下さい」
「此の世界に救いはないと知りながらも。救いの手を差しのばそうとした子供を知っているかい」
「だから、何を言って」
湯は冷たい眼差しで言い放つ。
「葛伯に殺された奴らのことだよ。皆、自分なりに必死になって生きていた。……僕はね。葛伯が、祖先を祀る祭典を潰そうが。嘘を重ねて儀礼品をふんだくろうが。大抵のことは眼を瞑るよ。だけどね。人として、外れてはいけないモノがあるんだよ。それに逸脱するモノは、例え、何であろう斬り伏せる。……それが、夏に歯向かうことになっても、ね」
「その考えが危険だと言っているのです! その凶刃は葛伯だけでなく。この大陸そのものを傷つけます。……良いですか。どんなに通じなくとも対話により解決しなければなりません。言葉に勝る武器は存在しないのですから」
「対話なら何度も行ったよ。だけど、葛伯は聞く耳は持たず。夏王に上奏しようにも。官僚からは検討するという言葉しか返ってこない。……さて、僕らは一体、誰と対話すれば良かったんだい」
「……っ。それでも対話を続けるのです。愚直こそが信です。信に勝るモノは存在しないのですから」
「成る程。つまり、僕らは。死ぬまで、都合良く踊らされろと言うんだね」
「そんなつもりで言ったのではありません!」
妣丙が口元を噛み締めると。
マリはもっきゅもっきゅしながら頷く。
「若いですねぇ」
「結構なことではないか。正しきなき世界で。自らの正しさを主張し合う。なんと、狂なることか。実に狂である」
啓が他人事のように雑穀を食べていると。
邑の外で。
鐘が鳴り響く。
「騒々しいであるな」
啓が茶碗を置くと。
有莘伯が屋敷に入ってきた。
「兄様、何があったのです」
有莘伯は重い溜息の後に口を開く。
「……反乱さ」
「反乱ですって!」
妣丙が思わず立ち上がる。
有莘伯は湯を一目見てから言う。
「……湯。君の名を騙る者が反乱を起こした。兵の中には女子供までいる始末だ」
「ま、先ずは交渉を行いましょう。不満の原因が分かれば、解決するはずです!」
妣丙は動揺を隠すように言うと。
有莘伯は首を振る。
「使者ならとっくに送ったさ。だけど、帰ってこないということは。……そう言うことなんだろうねぇ」
妣丙は握りこぶしを作ったまま。
歯を噛み締める。
湯は深い溜息の後。
妣丙に向けて言う。
「で、いつになったら。その茶碗くれるんだい。三日近く食べてないから。お腹が空いて動けないんだよ」
「……っ。勝手に食べてなさい!」
妣丙が乱暴に湯に茶碗を押しつけ。
身支度の準備を始めると。
有莘伯は声を荒げる。
「妣丙ちゃん。何をするつもりだい」
「私が交渉に向かいます。伯の妹が交渉に向かえば、話ぐらいは聞くはずです」
有莘伯が止めようとすると。
湯が茶碗を一気に掻き込み。
立ち上がる。
「僕が行くよ」
妣丙は湯を睨み付けて言い放つ。
「……結構です。これは、私達の問題です。貴方には関係ありません」
「関係ならあるさ。僕の名を騙っているんだろう。なら、これは僕の問題だ」
湯はそう言うと剣を腰に掛け。
屋敷の外に向かって行った。
「ま、待ちなさい。勝手な行動は慎むのです」
湯を追うように妣丙が駆ける。
啓は湯飲みをすすりながら頷く。
「青春の一ページであるなぁ」
「そうですねぇ。若いですねぇ」
マリも湯飲みをすすっていた。
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