第23話 末喜の決意

 桀王けつおう関龍逢かんりゅうほうを殺した事実は。

 大陸中へと駆け巡る。



 商邑にも次の日には。

 関龍逢が誅殺された話が届き。



 伊尹いいんは其の報告を聞いて耳を疑う。



「……嘘でしょう。あの関龍逢が殺されたなんて」



「私も嘘と思いたかったわ。でも、事実なんだって。……薬に溺れるだなんて、何処までも弱い人」



 末喜ばっきは吐き捨てるように言うと。

 屋敷の縁側に出て。

 月を眺める。



 無言の時が長らく流れ。



 消え入れそうなほど。

 澄みきって。

 か細い声で言う。



「……ねぇ。伊尹。少し、おとぎ話に付き合ってくれないかな」

「珍しいですね。貴女がそんなことを言うだなんて。……良いですよ。好きなだけ吐露して下さい」



 末喜は独り言のように。

 自らに語りかけるように言う。



「とある田舎の邑で。すっごい可愛い女の子が生まれました。その子は小さい頃はわんぱくで男の子によく間違われるほど活発な女の子でした」

「…………」



「十歳を過ぎると。男の人の目が変わってくることに気づきました。そして、僅か十二、三歳で。その子は容貌を買われ。長の愛妾になることが決まりました。その夜、その子は訳も分からないまま。気持ち悪く、痛いことをさせられ。どうして、こんな目に遭うのかと思いました。でも、泣きませんでした。泣いたら。余計に惨めになる気がしたから。決して泣きませんでした」



 伊尹は何も言わず。

 ただ、其の言葉に耳を傾ける。



「その子は聡明で。このまま愛玩として終わる気はなく。男が気に入る所作や振る舞いを必死になって学び。行商人や夏王の巡礼が来たら。率先して自らの容貌を売り込み。この腐った世界から逃げだそうとしました。……そして、其の努力が実を結び。先代王に顔を覚えられ。息子であるけつの妾の一人として指名されたのです」



 末喜はおとぎ話を語るかのように続ける。



「その子にしては夢みたいな話でした。王都は花の都と聞いていたし。夏の王と言えば、大陸を統べる王。神様みたいな存在だったからです」

「…………」



「夏の皇太子であった桀と出会った印象は。普通の人でした。私の色香に直ぐに落ち。目すらもまともに合わせられていない有様を見て。落胆したのを覚えてます。……でも、桀は私の心も分からぬまま口を開きます。欲しいものを何でも言え。余は其方の願いなら、何でもかなえてやると。……さて、問題です。彼女は一体何を願ったでしょうか」



 末喜は伊尹の回答を聞くこともなく。

 物語を続ける。



「正解は、大陸の更なる繁栄と栄華を願ったのでした。こう言えば、この男は喜ぶ。そう思ったから口走りました。案の定、桀は其の言葉に喜び。他の妾を見る前に、私を皇后にすることを決めました。全てが、私の思うがままに進んでいきました。夜伽も行いましたが。妙に優しい動きに幻滅したのを覚えています。……こんな人間が、こんな俗を持った人間が大陸の王だなんて。笑い話にもならない。本気でそう思いました」

「…………」



「皇后になってから。一週間後。桀は私の元に一切来なくなりました。新しい女性でもできたのかと思い。再び、自分に寵愛を向ける為。深夜に王宮に向かうと。桀は関龍逢や文官から政務を学んでいました。次の日も、その次の日も。私は気になって聞きに行きました。どうしてこんな深夜に渡ってまで政務を頑張るのかと。……すると、周囲の者は軽く笑い。桀は笑うなと言ってから。照れながら、私に言いました。……お主との約束を守る為。余は夏で最も優れた君主となる。そして、この大陸の更なる繁栄と栄華を造るのだ、と。それを聞いて、思わず素の声で笑ってしまいました。少女が適当に唱えた戯言を本気にしている姿を見て。笑いが止まらなくなったのです」



 末喜の目から涙が溢れる。



「そして、あの時に気づいたんです。幼少期に朧気ながらに願っていたのは。大陸の人がみぃんな、幸せに暮らせる。明るい世界が欲しかったって。そんな子供じみた戯言を、真に受けた桀にも、それを支えると言った関龍逢や文官にもおかしくて。本当、おかしくて。涙が出るくらいに笑っちゃったのです」



 末喜は手で涙を拭き取る。



「でも、そんな子供じみた夢は現実に容易く押しつぶされました。先代夏王が亡くなり、桀が即位すると。私は皇后として、妻として。夏を守ろうしましたが。私が政務に口を出せば出すほど。貴族官僚に疎んじられ。やがて、狂った天女と呼ばれるように変わりました。……桀の周囲には悪臣が集い。目も耳も塞がれ。忠臣を処刑する有様に変わりました。大陸は荒れに荒れ。私が何を言おうが聞き入れてもらえず。葛伯かつはくのような輩が野放しされ。私が望んでいた世界と真逆の世界へと突き進んでいきました。……こうして、少女の淡い夢は崩れ去り。少女に残ったのは、誓いを破った桀に対しての深い憎悪だけでした。たわいのない約束だったのだけど。あれが少女の全てだと気づいてしまったからです」



 伊尹は全てを聞いてから。

 頷いて言う。



「成る程。……でも、終わってませんよね」

「何が、終わってないの?」



「まだ、物語は終わってませんよ。続きの物語が白紙で残ってるじゃないですか」



「…………」



「子供じみた夢と嘲笑してましたが。高き志があったのでしょう。どんなに嫌なことがあっても涙を流さなかったのに、流してしまったほど。叶えたい夢を知ってしまったのでしょう。……ならば、どうして立ち止まるのです。どうして、狂いきれぬのです」



 末喜の目からは涙が零れ。

 唇を噛みしめて呟く。



「……狂い、きれないからよ」



「其れでも狂うのです。理想を叶える為に狂いきるのです。高き志の下、突き進むのです。それが貴女の道なのでしょう!」



「…………」



 末喜は口元を噛みしめたまま。

 伊尹を見据える。



「私達は過去の後悔から立ち止まり。未来の不安から動けなくなります。だからこそ、高き志を持ち。今を懸命に駆け抜けるのです。狂を以て駆け抜けるのが、私達に赦された唯一の方法なのです!」



 伊尹は末喜の心に語りかけるよう言う。



「末喜様。貴女の狂は。夏を滅ぼすことじゃないでしょう。夏王の皇后として、大陸の更なる繁栄を築くのが貴女の狂でしょうが、それなのに何故、立ち止まるのです!」



「…………!」



 末喜は涙を拭ってから。

 気丈な笑みを浮かべる。



「後悔、しても、しんないからね。私が夏に戻ったら。次なる王朝なんてずっと来なくなるんだから」



「それで結構ですよ。貴女は、貴女の狂を以て、駆け抜けるのです。其れが大陸の安寧に繋がるのですから」



 末喜は背中を向けたまま。

 消え入れそうな声で言う。



「……ありがと。伊尹」



 翌日。



 末喜は二百の私兵と共に。

 王都へと戻る。



 夏の歪みは。

 彼女が戻ることでどう変わるのか。



 新たなる狂が。

 大陸の歪みを正そうとしていた。

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