第22話 関龍逢の死

 桀王けつおうは玉座に腰掛け。

 誰もいない王宮にて呟く。



「数多の政策を行ったが。貴族や官僚に邪魔をされ。何一つ上手くいかなんだ。……此程までに、夏は腐っておったのか」



 桀王は唇を噛みしめると。

 王宮に伝令が駆けてくる。



「桀王様、報告が御座います! 黄河流域にて大規模な反乱が生じました。其の数、凡そ千!」



「……っ! 決して、戦ってはならぬ。大陸の全ての民は夏の赤子せきしなのだ。関龍逢かんりゅうほうを呼ぶのだ。彼奴なら、此処ら一帯に顔が利く」

「はっ!」



 使者が関龍逢を呼ぶ為に王宮から出ると。

 入れ違いになる形で。

 昆吾こんごが入ってくる。



「よう、桀王」



「昆吾。……お主、義弟の鎮圧に向かったはずでは」



「そんなのとうに終わらせた。ついでに、さっきの伝令が報告してきた。決起とやらも鎮圧してきたぜ」

「鎮圧、とな」



「百近く斬り伏せたら。蜘蛛の子を散らすように逃げやがった。まぁ、首謀者の首はちゃんと落としたから安心しな」



「……そのような命は出しておらぬぞ」



「気を利かせてやったんだよ。感謝こそされ。睨まれる筋合いはねぇだろう」



 桀王と昆吾が睨み合っていると。

 桀王は頭を抑える。



「……っ。うぅぅ」


 唸るように声を押し殺すと。

 目は血走り始め。

 机上に置かれていた小型の木箱に向け。

 震える手を動かす。



「く、薬が切れた」



 桀王は小型の木箱を乱雑に掴み。

 丸薬を取り出すと。

 急くように飲み込んだ。



「……はぁ、はぁ、はぁ」



 昆吾は呆れ紛いに言い放つ。



「まだ。そんな薬に頼っていたのか。くだらねぇな」



「くだらなくなぞはない。……余のような凡人は薬で自らを偽らなければ。王にはなれねぇのだ」



「其れが、くだんねぇって言ってんだよ」



 昆吾が吐き捨てるように言うと。

 桀王の視線は安定し。

 定まった視点で昆吾を捉える。



「はぁ、はぁ、はぁ。……其れで、何用だ。よもや、報告する為だけに来たわけでもあるまい」



「察しが良いじゃねぇか。ちょっと、桀王様にお願いがあってな」



「願いだと。これ以上、何を求めるのだ。過分な地位と財は既に授けたであろう」

「分かってねぇな。欲ってのはな。満たされれば、満たされるほど欠けてくんだよ」



「分からぬよ。其方ほど強欲ではないのでな。……愛しい者が側にいれば、私は其れだけで良い」



「女一つで幸せを甘受できるとは。王としては下の下以下だな」



「其方と感性が異なるのは、分かりきったことであろう。其れで、何が欲しいのだ。よもや、夏の宝剣を欲すか」

「はっ、あんな錆び付いた剣に興味なんぞねぇよ。……俺が欲しいのはな。末喜ばっき。あの女が欲しい。扱いきれずに捨てたんだろう。なら、俺に寄越せや。反抗なんて考えさせないほど、可愛がってやるよ」

「…………」



 桀王は殺気に近しい視線を昆吾に向けると。

 関龍逢が入ってくる。



 関龍逢は緩い口調で言い放つ。



「話の前後は見えねぇが。笑えねぇ冗談が好きみてぇだな。昆吾伯」

「冗談じゃなかったらどうすんだ。腰巾着」



「冗談じゃなかったら。大層、頭が悪いってことになるな」



 昆吾と関龍逢が殺気をぶつけ合っていると。



 桀王は冷たい表情で言い放つ。



「よせ。……昆吾。先の言葉がお主の真意とすれば。此処で袂を分かつことになるが、其れで良いか」



 昆吾は桀王の毅然とした態度を見て。

 笑みを漏らす。



「なんだよ。まだ、未練があったのかよ。てっきり、どこぞのカスと同じように。古い女を捨てたのかと思ったが。そうでもねぇんだな」



 昆吾はそう言うと。

 後ろ首に手を当てて続ける。



「まぁ、末喜は諦めてやるよ。……その代わり、王師に女が一人いるだろう。其奴を寄越せ」



 関龍逢は苛立った口調で言い放つ。



「王師は愛妾じゃなく。夏王の近衛兵だぞ。其れを分かって言ってんのか」



「相応の働きは見せているだろうが。其れこそ、代えがきかねぇほどにな」



 僅かばかりの沈黙の後。

 桀王は重い溜息を漏らす。



「好きにせよ」

「なっ、桀王!」



「流石、王様。実に寛大だねぇ」



 昆吾が背中を見せて退室すると。

 関龍逢が舌打ち混じりに言う。



「良いのですか、あそこまで増長させて!」



「良い。彼奴の存在が。大陸の抑止力になっておるのだ。無駄に戦うことがなくなるのが、其れが最も良い」



 桀王が気を緩めると。

 再び激しい頭痛に襲われ。

 頭を抑える。



「……く、薬が切れてしまった」



 桀王は木箱を漁るが空であり。

 木箱を投げ捨てると。

 叫ぶ様に言い放つ。



推哆すいし、推哆はおらぬか! ……頭痛が、頭痛が止まらぬのだ。あの薬を、あの薬丸を調合させよ!」



 関龍逢は目を瞑って言う。



「……推哆なら。遠方に出向いています」

「な、なら、奴の私室に迎え。予備の丸薬がまだあるはずだ」



「残念ながら。予備はありませんよ」

「……何故、言い切れるのだ」



 関龍逢は長い沈黙の後に。

 ゆっくりと応える。



「私が処分したからです」



「ど、どういうつもりだ。其方まで余を裏切るのか!」



「裏切ってはおりません。これも全て貴方の為です」



 桀王の余裕はなくなり。

 鬼気迫った表情に変わる。



 関龍逢は其の視線を受け止めて言う。



「優柔不断な貴方が、薬一つで変わったことを異様に思い。あの薬をネズミに呑ませてみました。……すると、どうなったと思います」



「知らぬわ! そんなことよりも薬を早く出すのだ」



「ネズミは異様な動きを見せ続け。薬を与え続けたネズミは……皆一様に、狂い死にました。それでもまだ、お飲みになると言うのですか」

「…………」



 関龍逢は膝を付き。

 懇願するように言い放つ。



「桀王様。関龍逢、たっての願いです。その薬を飲まれるのをお止めくだされ。其の薬は命を削る。魔性の薬で御座います!」



「……ならぬ。ならぬのだ! この薬があったからこそ。始めて、決断でき。自らの判断で国を動かすことが出来たのだ。この薬がなければ、余は、余は王の使命を果たせず。余の代で国を失ってしまう!」



「それは思い過ごしです。貴方の代で国が滅ぶなぞあり得ません」



「決まっておるのだ! 全て、全てが決まっておるのだ! 余の代にて夏は終焉を迎え。余は後世にて暴君として、末喜は国を惑わした妖婦として語られる!」



 桀王は額に手を深く当てながら続ける。



「余は良い。例え、後世でどのように誹謗されようが。だが、末喜は違う。……あの者は、あの者は、穢れ一つない本物の天女であった」

「…………」



「あの天女を狂わせたのは余だ。余の意志が弱さが。天女を狂わせてしまったのだ。だからこそ、あの天女は私から離れねばならぬ。私の側から離れれば、少なくとも国を乱した妖婦とは言われずに……」



 桀王は嗚咽交じりの咳を放つ。



 桀王の呼吸は荒くなり。

 視点が定まらず。

 縋るように言う。



「……頼む。頼むのだ。関龍逢よ。薬を、薬を寄越してくれ。あれがなければ、あれがなければ、私は正気すらも失ってしまう」



「……なりません。これ以上、服用を続けたら。取り返しの付かないところまでいってしまいます。止めるのは、今しかないのです」



 桀王の呼吸は更に荒くなり。

 血走った目で関龍逢を見つめると。

 関龍逢の懐が膨らんでいることに気づく。



 桀王は剣を抜刀する。



「……まだ持っておったか。まだ、捨てておらなんだか。さぁ、寄越すのだ。薬を寄越すのだ」

 


 関龍逢は自嘲紛いに笑みを浮かべると。

 覚悟を決める。



「其れだけ狂いながらも。愛すべき者を覚えてんなら。きっと立ち直る、か。……俺は信じているぜ。かつてのみたいに、純粋なアンタに戻るってな」



 関龍逢が目を瞑ると同時に。

 血飛沫が舞い飛ぶ。



 関龍逢は緩やかに崩れ落ち。

 懐からは。

 歪な装飾が成された小刀が零れ落ちた。

 


 桀王は徐々に焦点が定まり。

 落ちた小刀を見て。

 眼が見開く。



「……これは!」



 桀王はおぼつかない足取りで駆け寄り。

 地面に崩れ落ちた関龍逢を抱きかかえる。



「関龍逢、関龍逢よ! 死ぬな、死ぬでない!」



 関龍逢は消え行く呼吸の中。

 緩やかに声を繋げた。



「幼、少期に。王に足りる器ではなかったら。この剣で討てって、言われたが。出来るわけねぇよな」



 関龍逢は桀王の手を。

 軽く握り締め。



「……最期まで、不忠な、この身を、どうか、お許し、を」



 関龍逢はそう言うと。

 力なく腕が落ちた。



「あ、ああぁぁぁぁぁ!」



 桀王の慟哭は王宮へと響き渡る。


 

 推哆が柱に隠れるように眺めており。

 好奇な声で呟く。



「……あらあら。随分とドラマチックじゃない」



 夏の命運は終わりへと近づく。


 緩やかに。

 緩やかに。

 時代は狂い始めた。

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