第16話 狂と英傑

 とうは蹴り上げた足を戻し。

 苛立った表情で言い放つ。



「まさか、勝てるとでも思ってるの? この僕に」

「思っておるぞ」


「あっ、そ。なら、御託は良いから。かかってきなよ」

「ふむ。では、そうさせてもらおう、か!」



 けいは身体ごと回転し。

 全体重が乗った蹴りが湯の顔面を捉える。



 湯は辛うじて腕で防ぐが。

 威力を抑えきれず。

 よろめきながらも体制を整える



「……っ。面白い動きだね」



「ほう、防ぐとはな。一撃で決めるつもりであったのだが」



「夜は長いんだ。楽しもうじゃないか」

「楽しむつもりはないが。存分に、狂を見せよう」



 湯と啓は蹴りを交差させ。

 月光の下で。

 踊り狂う。



 二人の狂気の前に。

 月の狂気は霞み始め。



 月光は逃げるように。

 日の光にバトンを渡す。



 朝日が差し込むと。

 二人の身体は傷だらけであり。



 互いの唇からは血が零れていた。



 湯は過呼吸になりながら啓を睨み付ける。



「……なんで、なんで倒れないんだよ」

「それは僕の台詞である。加減した所為で、良いものを数発貰ってしまった」


 

 湯は日の光を見て。

 笑みを浮かる。


「……時間もなさそうだし。次で決めようか」

「うむ。これ以上長引くと。看守がやって来る時間になる。次の一撃で決めてやろう」



 互いに相手に駆けると。

 鉄格子が開き。

 篭に入った水が落とされる。



「いい加減にしねぇか。あほ共、昨夜からうるせぇんだよ!」



 看守は苛立った表情で叫んだ。



「いい所なんだから邪魔しないでよ」

「お主、空気が読めぬと言われぬか」



「うっせぇよぃ! ガス抜きに暴れさせていたら。ずっと暴れやがって。なんだ、てめぇらアホなのか。阿呆なのか」



「啓。アホだってさ」

「それはお主に向けて言っておるのだ。何故なら、僕はあほではない。狂なる者である」



「だまらっしゃい! っ、良いかアホ共、これ以上暴れるのなら。朝食だけでなく。夕食も抜くからな。少しは大人しく反省しやがれ。寝直してくる!」



 看守は苛立った足取りで階段を上る。



 湯は髪に被った水を払い。

 啓は濡れた髪をかき上げ。

 壁に腰掛ける。



 湯は不機嫌な表情を見せて言う。



「なに、もうやめるの。まだ、決着は付いてないけど」

「これ以上は不毛であろう。それは、お主も分かっておるだろう」



 啓はそう言うと瞑想を行い。

 乱れた呼吸を安定させる。



 湯は毒気が抜かれたように。

 深い溜息を吐き。

 壁に腰当てた。



 日の日差しが更に入り込むと。

 湯は崩れるように床に座り。

 口を開く。



「……ねぇ。その瞑想ってやつ。楽しいの?」


「苦も楽もない。ただ、自分という存在がこの時、この場所にある。それが認識ができる」



「つまらなさそうだね」



「正しい行動というのは、得てしてつまらぬモノだ」



 湯は呆れるような溜息を吐き。

 啓と同じ瞑想の姿勢を取る。



「目を瞑って。呼吸していればいいわけ」

「うむ。雑念に囚われず。ただ、呼吸をする。今は余計なことは考えず。それだけを行うのだ」

「……あっ、そ」



 湯は興味なさげに言うが。

 啓の見よう見まねを行い。

 瞑想を始めだした。






 三ヶ月後――。






 薄暗い牢獄の中。

 啓と湯は瞑想を行っており。



 静かさの中に圧を感じさせる。

 呼吸を繰り返す。


 看守は食器台を持ち。

 二人に声を掛ける。



「飯の時間だ。今、降ろすぞ」



「かたじけない」



 啓は食事が下ろされると手に取り。

 ゆっくりと食べ始める。



 湯は瞑想に浸っており。

 看守の存在にも食事にも興味を示さなかった。



 看守は関心紛いに言う。

「にしても、お前ら、よく気が狂わねぇな。此処に入った奴は長くても三ヶ月で気が狂うって言われてんのに」



「心留まらねば、気は狂わぬよ。どうだ、お主もしてみるか?」

「結構だ。しっかし、男をずっと監視してるのも目に毒だな。むさ苦しくてありゃしねぇ。若い女なら。暫く見てられる。……いや、末喜ばっき様のようなお方なら。ずっと見ていられるんだがな」



「末喜様、とな?」



「まさか、お前。夏の皇后である末喜様を知らねぇのかよ」

「うむ、知らぬ」



「はぁ。人生の九割損してるぜ。……透明な肌に、柔らかな微笑み。振る舞いから所作まで全てが完璧。かつては、天女とまで呼ばれたお方だ」



「かつて、と言うことは今は違うのか」



「ああ。相も変わらず容姿と所作は美しいんだが。夏王を誑かし。不要な宮殿を造らせたり。絹の裂く音が聞きたいと言った理由で、次々と絹が引き裂いたり。挙句の果てには、式典に裸足で現れたらしい。……かつての天女も今じゃ、狂った天女とまで揶揄やゆされてるよ」



「興味深いであるな」



 啓がそう言うと。

 階段を下りてくる足音が響き渡る。



「誰か来てたみたいであるな」

「上の見張りだろう。ったく、門番が下りてきてどうすん……」



 看守がそう言って振り返ると。



「……嘘、だろ」



 そう呟き。

 足がたじろぐ。



「どうしたのだ。そのように驚いて」

 


 啓がそう言うと。

 柔らかさの中に艶を持つ女性の声が放たれる。



「……この牢の下に。夏に反逆した者達がいるのね」

「は、はっ!」



 看守が萎縮した声色で言うと。

 女性は柔らかな口調で言い放つ。



「では、貴方は上に戻りなさい。彼らと少し。お話がしたいの」

「で、ですが」



「お願い」



 女性の柔らかであるが。

 圧ある声と其の美貌に惑わされ。

 看守は頷くしか出来ず。



「わ、わかりました」


 心を奪われたかのように階段を上っていく。



 女性は鉄格子に近づき。

 鉄格子越しに二人を見下ろす。



「……君たちね。夏に反逆した子達は」



 啓は訝しげな表情で女性を見つめ。

 湯は本能的に目を開き。

 絶世の美女と言っても過言のない女性を見上げる。



 女性は柔和な笑みを見せて言う。



「始めまして。夏の反逆者さん。私は、夏皇后、末喜。……この腐った王朝を滅ぼす。女の名前よ」



 末喜は傾国の笑みを見せて。

 二人を惑わす。



 大国すらも狂わせた笑みは。

 二人すらも呑み込もうとしていた。

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