第19話 末喜の来襲

 伊尹いいんは異民族との国境沿いに。

 一定の間隔を以て兵舎が置く。



 平時は農耕を行い。

 


 異民族の襲撃が見えれば。

 戦場へと駆け出した。



 五つの兵舎は赴任地の防衛が遵守されるが。

 他の兵舎への救援も赦されており。



 大規模な異民族の侵攻があった際は。

 狼煙を上げることによって。

 五つの兵舎が一斉に動き。



 商の全軍を以て。

 異民族の侵攻を食い止める仕組みを構築した。



 伊尹が構想した。

 防衛網により。



 異民族の侵攻は止まり。



 商と庇護下の邑に。

 僅かばかりの安らぎの時が訪れる。





 商邑の屋敷にて――。

 




 伊尹と仲虺ちゅうきがこれからの展望について。

 論議していると。

 門番が駆けてきた。



「仲虺さん! 大変です。とんでもない美人が訪れてきました。マジやばいほど美人です。通して良いですよね」



 仲虺は呆れ紛いに言う。


「……美人と言う理由で。通して良いわけがないでしょうが」

「美人と言う理由があるじゃないですか!」



 門番が手を握り締めて力説すると。

 仲虺は頭を抱える。



「其れは理由になり得ませんよ。ですが、一人ぐらいなら通しても良いでしょう」



「何言ってるんっすか。一人だったらとっくに通してますよ。ただ、背後に二百人近くの女性がいたので報告に来たのです」



「二百ですって! 其れを早く言いなさい」



 仲虺の驚きとは余所に。

 伊尹は冷静であり。

 口元に手を当てて問いかける。



「よもや、背後にいる女性って。皆、武装してませんでしたか」

「ええ。革鎧を纏って。武器も持ってました」



 仲虺は苛立ち紛いに言う。



「よもや、異民族の女性が決起して攻め込んで来るとは。此処にいる兵数だけでは心許ない。狼煙を上げ。救援を求めるか。いや」



 伊尹は落ち着いた声で返す。



「其の必要はありませんよ。だって、異民族でもなんでもありませんから」

「……何故、分かるのです」



「男を惑わす。傾国の美貌を持ち。二百の女兵を引き入れられる者なんて、大陸広しども一人しかいません。……大陸の天女にて、夏の皇后」



「……まさか」



「夏皇后。末喜ばっき。彼女しか考えられません。お淑やかな見た目に反して、気の強い方なので。早く招いた方が良いですよ」



「伊尹、まさか二百の兵も全て通すのですか」



「彼女が本気で攻め込む気でしたら。一々、開門の要求なんてしませんよ。何かしら話があるはずです。先ずは、其れを確かめましょう」



「……わかりました」



 仲虺が固唾を呑んで座っていると。

 屋敷に透明感のある。

 髪の短い女性が入ってくる。



 末喜は男装の身なりで。

 腰に剣をかざす。

 


 普通なら。

 其の歪な格好に目が移るが。

 末喜の容姿が視線を逃さず。



 有無を言わさぬ美貌で黙らせる。

 


 末喜は品のある佇まいで挨拶を行った。



「貴方が、この邑の長代行ですね。お初、お目に掛かります。夏皇后、末喜です」



 仲虺はその容貌に囚われており。

 言葉なく頷く。



 伊尹は溜息を吐き。

 仲虺の腹部に肘を全力で叩きつけてから問いかける。



「お久しぶりですね。末喜様。王宮にて料理番をしていた伊尹です。覚えていませんか?」

「……い、息が」



 仲虺が悶絶しているのを無視し。

 末喜は伊尹を見て。

 笑みを覗かせる。



「忘れるわけないでしょう。腐った貴族官僚と、肥え太った豚、あっ、ごめんなさい。夏の王、けつに対して。あそこまで直言したのは貴女ぐらいだからね。貴女を見ていると、昔の私を見ているようで。……可哀想って思って、眺めていたわ」



「可哀想、ですか」



「ええ。どれだけ清廉でも。王宮に入った時点で穢れるか、死ぬしか残っていないのだから。本当、可哀想な伊尹ちゃん。って思って、遠目で愛でていたの」



「そうですか。……まぁ、下らぬ話は此処までにして。本題に入りましょう。私兵を此程、引き入れて何を考えているのです。まさか、夏王と戦争でも起こす気ですか」



 末喜は意地悪い笑みを見せて言う。



「ええ。そうよ。……って、言えば信じるかしら」



 伊尹は末喜以上に。

 意地悪い笑みを見せて返す。



「信じますよ。……だって、夏王に捨てられたのでしょう。新たな后が出来たと言う理由で。可哀想ですね。元、皇后の末喜様。それほど、美しくても十代の時のような天女の美しさからは幾分も落ちますからね。本当に、可哀想な末喜様です」



「……さっき、可哀想って言ったのを根に持ってるの」

「ええ。言葉で喧嘩を売られたら、倍にして返すのが礼儀と思っていますので」



 末喜は僅かばかり黙り込むが。

 漏れるように笑みを漏らし。


 

 両手を叩きながら。

 気さくな笑みを見せる。



「あっははは。貴女、本当に良いわ。貴女みたいな真っ直ぐな子、好きよ。まるで、昔の自分みたいで。……ねぇ、伊尹ちゃん。聞かせてくれないかしら。どうやって、其処まで立ち直ったの。まるで王宮に入る前のような、いえ、それ以上に真っ直ぐで澄んだ瞳に、どうやって戻ったの」



 伊尹は少し思案し。

 納得できない表情を浮かべると。

 嫌々ながら言う。



「そう、ですね。強いて言うなら。……どっかの狂人に。立ち止まるな。と言われたからでしょうか」



「…………」



 末喜は狂人と言う言葉を聞き。

 瞳を開いて黙り込むと。



 グワーン、グワーン、グワーン――。



 正門で戦いの銅鑼が鳴り響く。



 仲虺は其の音を聞き。

 末喜を見つめる。



「なっ、これは一体どういうつもりです」

「……そっちこそ。どういうつもりかな。騙し討ちだなんて。伊尹。貴女も随分上手くなったわね」



 伊尹は末喜の表情を眺めてから。

 冷静な口調で言う。



「落ち着いてください。私らは攻撃の命を下してませんし。末喜様も同様でしょう。ならば、この戦闘は……末喜様、貴女を連れ戻す為に夏王が送った刺客とみるのが妥当ではないでしょうか」



「……へぇ。離縁を叩きつけながら。連れ戻しに来るだなんて。何処まで私を馬鹿にするのかしら」



 末喜はそう言うと。

 仲虺の部下が駆けてくる。



「ほ、報告します! 我が邑が攻められています」


「そんなのは言われずとも分かってるわよ。敵は何人なの」



 末喜が前に出て。

 苛立った表情で言うと。

 伝令が言い辛そうに口を開く。



「……ひ、一人です! たった一人によって、三十人近くが斬られました」

「「「なっ!」」」

 


 末喜らは其の言葉を聞いて。

 耳を疑う。



 大陸の嵐が遂に到来する。

 

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