第18話 商の復興
商の屋敷にて――。
老人や若者。
乳のみ子を抱えた女性が集い。
長代行である
「半年も放置したせいで。この邑の田畑は荒れ果てて。今日食べる食料にも困る始末だ。せめて、子供らが空腹に苦しまない程度の食料を、他の邑から融通するように交渉してくれよ。仲虺さん」
「家にある家財でも何でも渡しますから。食料に交換するように頼んでください。お願いします、仲虺さん」
「…………」
仲虺は何も言えぬ表情になって黙り込むが。
民衆はひたすらに訴える。
「仲虺さん。何か言ってくれよ。アンタだけが頼りなんだ」
「仲虺さん。何とかしてください。貴方だけが頼りなのです」
「仲虺さん」
「仲虺さん」
ヤジに近しい声に紛れ。
一人の少女が言い放つ。
「黙ってないで何か言ったらどうですか。仲虺さん。いえ、無能の木偶の坊さん」
「……今、無能の木偶の坊と言った者、前に出なさい。私と共に、三十六時間、耐久、車輪造りの刑に処します」
商の民は一斉に下がるが。
少女が前に進み出て言い放つ。
「車輪を造る前に、やることがあるでしょうが」
仲虺は少女を見て目を開く。
「
「狂に乗ってきました」
伊尹は笑みを浮かべると。
商の民に向けて言い放つ。
「皆さん、後は、私がなんとかしますので。下がってくれますか。私は、この木偶の坊とお話がしたいので」
伊尹がそう言うと。
群衆は
「誰なの。あの少女」
「夏王との交渉の場に立った子だよ。あの子と風変わりな男が、商の罪を弁明してくれた」
商の人々は僅かばかりの希望の光を見いだすと。
一人、一人と屋敷から離れる。
民衆が屋敷から離れると。
仲虺は腑に落ちぬ顔で言う。
「何故、此処に来たのです。あれほど、厄介ごとは嫌と言ってましたのに」
「理想を追い求める為、突き進む事にしたのです」
「理想、ですか」
「ええ。腐った夏の政権では、私の理想を叶えるのは不可能なので。いっその事、打ち倒し。新たなる王朝を造ろうと思いましてね。比較的、見込みのある貴方方に力を貸すことに決めました」
「伊尹、貴女の理想とは一体何なのですか」
「……正しい者が報われる世界です。ただ、其れだけを私は求めているのです」
「……こんなことを言っては水を差しますが。。貴女の理想は叶ったとしても、貴女が生きている時に留まる、と言うことは理解してますか。どんなに清廉な王朝が生まれたとしても、時と共に必ずや腐敗しますよ」
「そうならぬように、私が後世の見本となるのですよ。……聖人が政務を携わった時代に於いては、正しいモノが報われる世界であったと。後世の人々に示す為にね」
伊尹の覚悟した目を見た。
仲虺は静かに頷く。
「なんにせよ。貴女が味方になってくれるのは心強いです。歓迎しますよ、伊尹」
仲虺は手を差しのばそうとすると。
お腹が鳴り響く。
伊尹は訝しい表情をして問いかける。
「随分と食料に困っているようですが、これからの展望はあるのですか」
「……展望はありませんね。どの邑も、商と関わることを危険視して。交流を断ち切られました。このままだと、後、一月も持たず。食料が尽きます」
「一月ですか。成る程」
伊尹は顎に手を当てると。
緩やかに口を開く。
「なら、なんとかなりそうですね」
「なんとかって、どうするつもりです」
「取りあえず。空の荷車を数台用意してください。荷車があればなんとかなります」
「物々交換ですか。生憎、そういった交渉は既に断られています」
「私は空の荷車を用意せよと言ったのですよ。中に何も入れる必要はありません」
「……何を、考えているのです」
「まぁ、お楽しみにと言ったところでしょうか。貴方は、いつも通り。車輪でも造っていなさい。食料調達は私がしますので。それでは」
伊尹はそう言うと。
荷車と牽引する若者を連れ。
商邑から出て行った。
伊尹が商から出て。
一週間。
二週間。
そして。
三週間が過ぎ去る。
商の食料は枯渇する寸前に陥っており。
仲虺はなけなしの食料を子供達に分け与え。
五日近く絶食していた。
食料が数日分しかなくなり。
若者が武器を手に集い始める。
「立ち上がるんだ! このまま黙っていたら。餓死しちまう。他の邑を脅せば、食料を分けてくれるはずだ。皆、武器を持て!」
「そうだ! 仲虺さんも。あの伊尹って小娘も当てにならねぇ。俺らの手でなんとかするしかねぇ」
広場が騒動しくなると。
仲虺は深い猫背をして広場に来る。
「……騒がしいですね。其れだけ体力があるのなら。木の実でも砕いてください」
「……っ、黙れ! 役立たずが。俺らはもう限界なんだ。このまま餓死するって言うなら。他の邑から略奪してでも生き延びてやる」
「確かに、私は役立たずです。ですが、私は長代行として。この邑を守るという使命を帯びています。夏王に赦されたばかりの状況で、そのような野盗の真似事をすれば。どうなるかお分かりでしょう。少しは冷静になりなさい」
「なら、黙って餓死しろってか!」
「…………」
仲虺は押し黙ると。
少女の声が響き渡る。
「思った以上に元気ですね。皆さん」
「こ、小娘」
武器を手にした青年は。
伊尹の登場に驚きの声を上げる。
「小娘ではありませんよ。伊尹です」
「なっ、てめぇ。手ぶらじゃねぇか。あれだけ大口を叩いて。アワやキビ(雑穀)の一つも持ってこれねぇのかよ」
「随分と鬼気迫ってますね。まるで、飢えた獣のようですよ。まぁ、戦う気力があるのは結構なことです。……慌てずとも、もうすぐ食料は届きますよ」
「届くだって?」
車輪が軋む音を鳴らせながら。
商邑に荷車が到着する。
荷台には膨大な食料が詰まっており。
其れを見た若い衆は武器を捨て。
一斉に駆け出す。
「た、食べ物だ! 皆、食べ物が届いたぞ!」
伊尹は荷車に群がる人々に制止も行わず。
仲虺に近づく。
「随分と頬が痩せこけてますね。ちゃんと食べなきゃだめですよ」
「……ふっ。後でゆっくり食べますよ。しかし、配分しなくて良いのですか」
「大丈夫ですよ。まだ荷車が来ますからね」
伊尹がそう言うと。
二台目。
三台目と食料が詰まった荷車が続々と到着する。
「……どうやって、これほどの食料を」
仲虺は信じられない表情で言う。
「数多の邑と交渉したのですよ。我々、商は異民族が攻めてきた際、貴方方を保護しますので、その保証として食料を分け与えるようにと」
「そんな、交渉を行っていたのですか」
「邑の保護は、本来なら夏王朝の役割ですが。知っての通り、夏は腐敗しきっており。見て見ぬふりをします。……遠く守ってくれない夏より、近くの商を選ぶのは必然でしょう」
「確かに、そうですが。其れだけの理由で、此程の食料を分け与えてくれたのですか」
「良い勘してますね。貴方の言うとおり。出し惜しんだので。少しばかり、例え話をさせて頂きました」
伊尹は悪い顔をして続ける。
「近年、異民族が大人しかったのは、狂犬と言われた湯が守っていたからです。……さて、その湯がいなくなった今。異民族はどう動くでしょうか。報復には、報復がついて回ります。貴方方は、次なる報復をどう止めるのですか。どう戦うのでしょうか ……と言うと、大抵の邑は、喜んで食料を差し出してくれました」
「成る程、交渉ではなく。脅しに行ったのですね。……まぁ、何にせよ。貴女が交渉に立ってくれて助かりました。私では、このような事は出来なかったでしょうから」
仲虺がそう言うと。
小さな女の子が仲虺に走ってきて。
リンゴを渡す。
「お兄ちゃん。いつも、ありがとう。一杯、食べ物が届いたから、一緒に食べよう」
「……ありがとうございます」
仲虺は手渡されたリンゴを囓ると。
目から涙が漏れる。
伊尹は自嘲するような笑みを見せる。
「……かつての私は、随分と幼い絶食をしていたのですね」
膨大な食事が届けられ。
商では夜通しの祭りが行われた。
人々は満足するまで食事を平らげる。
祭りの後に。
嵐がやって来るとも知らずに。
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