第17話 夏皇后 末喜

 末喜ばっきの傾国の美貌を目の当たりにした。

 とうは心が抜かれたかのような表情に陥る。



 けいは呆れ紛いに言う。



「惑わされるなと言っておるであろうが。如何に天女が目の前にいようが、動じてはならぬ」



「……暫く。女性を見ていなかったから。ちょっと心が動いただけだよ。啓と違って若いからね。美人に心が動くには当然だろう」



「精進が足らぬな。僕は十代でも。おなごに心を奪われるなぞなかったぞ」



「だから、彼女がいなかったんじゃない」

「……さて、夏の皇后よ。一体何用で参ったのだ」

「話逸らしたね」



 湯が冷ややかな目で言うと。

 末喜は自らの容貌に惹かれぬ事が面白くないのか。



 歪な笑みを一瞬覗かせ。

 純白な微笑みを啓に投げかける。



「此処に訪れた理由はね。君たちを解放してあげようと思ったからよ」



 湯は訝しい表情で問いかける。



「……どうして僕らを解放するんだい」



 末喜は純粋な笑みで返す



「葛伯の良くない噂は聞いていたわ。だから、葛伯かつはくを討ったことが悪いと思ってないの。……あんなヤツを斬って処刑だなんて納得できないから。解放しにきたのよ」



「……桀王けつおうは納得しているのかい。僕らの解放に」

「桀は私のやったことなら何でも赦してくれるから。納得なんて必要ないの」



 啓は末喜の瞳を見つめて言う。



「お主、先ほど。この腐った王朝を滅ぼすと言っておったよな。……よもや、僕らを解放するのは、この王朝を潰す為であるか」



 末喜は冷たい表情を見せると。

 純白な笑みを見せる



「話が早いわね。……君たちを解放するのは。この国を、この夏を滅ぼして欲しいからよ。こんな腐った王朝なんて誰も望んでないでしょ。だから、少しでも早く滅ぼしてあげようと思ってね。さぁ、一緒に夏を滅ぼしましょう」



 末喜は手を差しのばす素振りを見せると。

 啓は湯に問いかける。



「だそうだ。湯よ。お主はどうしたい」

「聞くまでもないだろう。断るよ」



 湯の返答を聞いた。

 末喜は笑みを作ったまま問いかける。



「……あら、どうして」



「君の言葉と振る舞いに。歪みって言うのかな。それを感じる。歪な人とは余り関わりたくないんだ。だから、他当たって」



 末喜は呆れた様子を見せつける。



「分かってないねぇ。私が助けなきゃ、このまま死刑よ。其れで本当に良いの。君たち」

「……良いよ。闇雲に嚙み付くのはもう止めたんだ。それに、僕の道は君ごときじゃ造れない」



 末喜は予想外の返答に面を食らうと。

 啓は頷く。



「うむ。其の通りであるな。では、瞑想に戻ろうか。次は、あれしきの天女に心を揺らされぬように精進することだ」

「……あれしきの、天女」



 末喜は口元を噛みしめ。

 苛立ちを見せぬようにすると。

 啓と湯は瞑想に戻っていた。



「……へぇ、強がっちゃって。でも、良いのかな。このままだと君たち死刑よ。例え、利用されると分かっていても、今は私に従うのが賢明なんじゃないの」



「…………」



 啓と湯は呼吸が乱れず。

 整った姿勢で瞑想に入っていた。



「こんなことで恰好付けても、全然、格好よくないわよ。貴方たちが果敢に戦う。格好良いところみたいなぁ」



「…………」



 啓と湯は末喜の言葉を受け流し。

 整った呼吸だけが響き渡る。



 末喜は苛立ちを隠しきれなくなったのか。

 遂に声を荒げる。



「ちょっと! どうして無視すんのよ。私がお願いしてんだから。ちょっとは力になりなさいよ!」



 啓は深い溜息を吐き。

 目を開く。



「まだ、おったのか。よもや、僕の講義でも受けたいのか。狂えぬ天女よ」


 末喜は先ほどの。

 くだけた雰囲気から一転して。

 冷たい雰囲気に変わる。



「……狂った天女の間違いじゃないの」



「お主の何処が狂っておるのだ。歪みこそ抱えておるが、常人も常人ではないか」

「あら、もしかして。私がやったことご存じない」



「噂程度には聞いておるよ。無用な宮殿を造らせたり。高価な絹を切り裂いて遊んだり。裸足で式典に出たのであろう」



「なら、わかるでしょう。十分に狂ってるって」



「其れが真実ならばな」

「……どうして、真実じゃないと思うのかな」



「お主、気が狂うには真っ直ぐすぎる。大方、真っ直ぐに諫言したが故に。ない噂を造り上げられたり、嵌められたりしたのであろう。お主のような真っ直ぐな輩は、奸計や虚言に得てして弱いであるからな」



「…………」



「歪みが生まれたのも。信頼していた者にも裏切られ。自暴自棄になったからであろう。それ故、裏切った全てが赦せず。夏の崩壊まで求めるように変わった。……細やかな点は異なれど、大筋は間違ってないと思うが」



 末喜の瞳孔は開き。

 信じられない表情を浮かべていたが。



 口元を緩めると。

 一転して。

 影のない少女の笑みに変わる。



「あっははは! 大正解。凄いね君。初めてだよ。噂に惑わされずに、私のことが分かった人は。嬉しいなぁ。まともな人が、まだいたんだ」



「それで、狂えぬ天女よ。一つ聞きたいのだが」



「あら、なに? 機嫌が良いから。何でも答えてあげる。破廉恥なこと以外なら何でも答えてあげ……」



 末喜が機嫌よく言うのを遮り。

 啓は末喜の目を見据えて言いきる。



「お主、何故、狂いきれぬのだ」



「……なに、言ってるの」



「お主の目を見れば分かる。高き志があったのであろう。其の志を叶いたいが故に、誰に何を言われようとも歩み続け。突き進もうとしたのであろう。……ならば、何故、狂いきれずに立ち止まったのだ」

「だ、だから、何言っているのよ」



「狂うのだ。もっと狂うのだ。狂いきるのだ。……お主の狂は、下らぬ王朝を終わらせることではあるまい」

「………」



「初心を思い起こし。高き志の下に狂いきるのだ」



 末喜は啓の圧と言葉に圧巻され。

 頬から冷汗が流れ。

 思わず一歩下がる。

 


 啓は不敵な笑みを浮かべて言う。



「……さぁ、存分に狂うがよい」


 

 末喜は啓の狂気の前に。

 立ちすくみ。



 傾国の美貌すらも一蹴する。

 異様な雰囲気が牢獄を支配する。



「啓。一般人相手にやり過ぎだよ」



「うむ。そうであったな。……では、狂えぬ天女よ。次会いまみれる時には、狂った天女になっておることを願っておるぞ。其れとも、まだ、僕の講義を聴きたいか」

「……っ!」



 末喜は逃げるように階段を駆け上がった。

 看守や門番の制止を振り切り。



「末喜様。どうかなされたのですか」

「末喜様!」



 末喜の私兵である。 

 二百を超える女兵をも振り抜く。



 誰もいない森林にて立ち止まると。

 大きく天を見上げて叫ぶ。


「あったまおかしいんじゃないの、あの男! 何が狂えよ! 私に魅了されないのも気に食んないけど、それ以上に、あの見透かした目が気に入んない! 何もかも分かった気になって。ほんっと頭くる!」



 末喜はひとしきりに叫ぶと。

 落ち着いたのか。

 蒼天を見上げる。



「……でも、言いたいことは分かるわ。高いとは思わないけど。志はあった。守りたい理想もあった。貴族や官僚にどんなに嘘を振りまかれようが。噂を真に受けた宮女に嫌がらせをされ。裸足で式典に向かわざる負えなかった時も。気にはしないようにしていた。でも、桀があの誓いを破ったことだけは赦せないの。だから、私は」



 末喜は決意を思い起こしていると。

 女兵が追いつく。

 


「此処にいたのですか。末喜様。先ほど、何やら叫んでいたようですが」

「……何でもないよ。狂人にあてられて。ちょっと頭がおかしくなっただけ。着替えをちょうだい。こんな天女が羽織る服は好きじゃないの。男を釣る、下品な撒き餌にしか思えないから」

「いつもの服を用意しております」



 末喜は男装の服を身に纏うと。

 剣を腰に掛ける。



「それじゃあ、商邑へ行こうかしら」

「良いのですか。湯と啓というモノを引き入れて行く予定では」



「良いのよ。私の美貌に墜ちない。あんな屑共……っ、さっさと行くわよ」

「はっ!」



 女兵が進軍を始めると。

 末喜は呟くように言い放つ。



「……狂えぬ天女、か」



 末喜は狂に当てられたまま。

 歩みを進める。



 其の狂が自らを侵食し。

 自らの命運すらも変えるとは知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る