第35話 魔境

 とう昆吾こんごは互いに一閃を放った。



 踏み込んだ地面は亀裂が走り。

 剣の衝突により。

 空気を隔てて衝撃波が生じる。



 一合。



 十合。



 十五合。



 絶え間ない剣の衝突が鳴り響く。



 昆吾の一撃は苛烈極まりなく。

 剣筋に合わせるだけで湯の剣が軋み。



 二十合も持たずに。

 剣に亀裂が生じた。



 昆吾はそれを見逃さず。

 強引に間合いを詰め。

 素手で湯の剣を叩き折る。



 「……っ」



 湯が折れた刀身に目を移すと。

 昆吾は間髪入れずに。

 振りかぶった。



「……じゃあな、時代の敗北者」



 湯の胸元に剣が振り下ろされる。



 その瞬間――。



 昆吾の顔に回し蹴りが入る。



 昆吾はとっさに手の甲で受け止めるが。

 湯はすかさず。

 逆回転して昆吾の胸元を蹴り飛ばした。



「……っ、てめぇ」



 昆吾が腹部を押さえると。

 湯は折れた剣を捨てて言い放つ。



「どっかの狂人と、監獄内でやり合う程度には素手には自信があるんだ」



 湯は地面に転がっている。

 剣を拾い上げると。

 次は逆手で持ち。

 間合いを詰める。



 互いの間合いまで。

 あと一歩の所で膠着し。



 不動となって相手を見合った。



 戦場の中心にて。

 指揮官の二人が硬直しており。



 一部の兵はこれを好機と捉え。

 背後から斬りかかろうとする。



 すると。



 数十の兵の首が宙を舞った――。



 昆吾と湯は変わらず互いに見合っているが。

 足下には。

 地面が擦れた跡があり。

 刀身からは生々しい血が付着していた。



 血の雫が地面へ落ちると。



 それに付随するかのように。

 鈍い音を靡かせ。

 兵の頭が地面へと堕ちる。



 瞬きしか出来ぬその頭は。



 立ちすくんだ胴体を視認し。



 其れが自らの身体であると。

 理解すると同時に。

 身体は崩れ落ちた。



 周囲の兵達は。

 其の光景を目の当たりにして。



 昆吾と湯から距離を取り。

 相手に目配せして戦闘の真似事をする。



 死という生々しさから逃げるように。



 死なぬように。

 殺されぬように。

 戦場で抗っていた――。






 昆吾と湯は。

 相手の太刀を見定めようと静観を続ける。



 予知と予感が。

 先に動いた者が一手遅れると告げる為。

 互いに動けず。



 異様なまでの緊迫感を周囲に放つ。 



 数分に及ぶ静止の後。



 昆吾は自嘲するかのように笑うと。

 目を見開き。

 一気に飛び込んだ。



 湯は軽く躱して。

 剣を振るうが。

 昆吾も当然のように躱し。

 演舞のように剣筋が踊り狂う。



 湯は剣筋を合わせぬように戦っていたが。

 次第に剣筋が見切られ始め。



 遂に鍔迫り合いになる。



「おいおい。つれねぇじゃねぇか。俺と剣を合わすのを、こんなに避けるなんぞよ」



「もう少し避けても良かったんだけどね。寂しそうに振るうから。合わせてあげたんだよ。感謝してよね」



 湯は皮肉を交えて返すと。

 強引に剣を弾き。

 距離を取る。



 湯は呼吸を整えながら構え直すと。

 昆吾は余裕気に肩に剣を当てる。



「しっかし。こんなもんか。期待外れだな」



「何が、期待外れなんだい」



「人の手で創り上げた英傑とやらが、どれ程のもんか期待してたんだが。この程度か。……時代の駒、如きに潰されるなら。そんな存在、必要ねぇ、よな」

「何言って……」



 湯が言い終える前に。

 昆吾は湯の眼前に飛び込んだ。



 湯は無防備とも言える昆吾に向けて。

 刃を振るう。



 昆吾が笑みを浮かべると。

 両眼の奥が。

 黄金色に輝き。

 


 不可避の一閃を。

 啓がかつて放った技で躱す。


 死角を利用し。

 一瞬にて。

 眼前から消える動きに。 

 湯は対応しきれず。



 湯は地面へと剣を振り落とすと。

 昆吾は背後に回っており。

 湯に剣が振り下ろされた。



 湯はとっさに剣を盾にするが。

 剣ごと。

 叩き斬られ。

 


 緩やかに崩れる。



 昆吾の両眼の奥が。

 黄金色に光り輝いており。

 崩れ落ちていく湯を退屈そうに見下した。



「つまんねぇ、幕切れだな」



 湯は剣を地面に突き立て。

 膝が付くのを。

 必死になって足掻く。



「…………っ」



 昆吾は後ろ首に手を当てて。

 呆れるように言い放つ。



「足掻いても無駄だ。……戦場を見ろ。右陣も左陣も制圧が始まった。そして、中央は、お前が倒れることによって瓦解する」



 昆吾の援軍が遅れて到着し。

 昆吾に流れが傾いていた。



 湯の目には全てが揺らめき始め。

 昆吾の言った言葉すらも。

 マトモに聞き取れず。

 意識すら朧気に変わる。



 激しい出血と。

 絶する痛みにより。



 意識が遮断しかけるが。

 強引に意識を繋ぎ合わせ。

 崩れぬように立ち上がる。

 


 湯の瞳には光はなくなっており。



 戦場の光景は。

 深海の如く。



 深淵なる蒼の世界へと移り変わり。

 沈んでゆく。


 

 深淵へと引きずり込まれていく感覚に。

 湯は無意識的に呟いた。



「あの監獄の時も。こんな感じだったな。ありとあらゆる苦悩の果てに、何も聞こえない。何も見えない世界へと沈んでいった。……そういえば、あのとき、啓。なんて、言ったんだっけ」



 マリは湯を見て呟く。



「……決着は付いたみたいですね。もう、湯には戦う力が残っていません」



「うむ。だが、決着は付いておらぬぞ」



「昆吾が剣を振り下ろすだけで決着は付きますよ」

「それは、どうかのう」



 湯が拾った剣を地面に突き立て。

 うつむいたまま動かぬ姿を見た昆吾は。

 呆れるように言う。



「……お前ら、そいつの首を刎ねておけ。俺が手を下すまでもねぇ」



 昆吾が背を向けると。

 武功を求めた兵が一斉に走る。

 


「……ああ、嫌だな。この沈んでいく感覚」



 湯の眼光は黒く沈み始め。

 何かに囚われたかのように濁り始める。



 兵達は湯の変化に気づかぬまま。

 剣を振り下ろすと。



 一瞬にして。

 周囲の兵の首が刎ね飛んだ。



 弾け飛んだ血は霧雨となって。

 周囲に降り注ぐ。



 昆吾は尋常ならざる殺気を感じ取り。

 振り返る。



 そして、湯の姿を目にした昆吾は。

 笑みを浮かる。



「そうだよな。そうこなくっちゃ、ならねぇよな。あの程度で、英傑って言うには余りにも張りがねぇ」



 昆吾が首の後ろに手を当てると。

 湯は昆吾の眼前へと飛び込み。

 剣を振るう。



 昆吾は余裕気に剣を弾くが。

 その剣筋に終わりなく。



 次第に昆吾の余裕が欠けていく。



「っ、調子にのんなよ!」



 昆吾は再び啓の技を使い。

 湯の背後に回り。



 反撃の剣を振り下ろそうとすると。

 湯は振り下ろした剣を手放し。



 後ろを見ずに。

 回転して蹴りを放った。



 昆吾は剣を盾に蹴りを受け止めるが。



 湯は肉が裂け。

 骨まで剣が食い込もうが構わず。

 力を籠め。



 昆吾の顔を蹴り飛ばした。



 昆吾の握っていた剣は砕け散り。

 昆吾は地面に打ち付けられる。



 昆吾は血反吐を吐き。

 嘲笑しながら言い放つ。 



「気でも狂ったか。足を捨ててまで俺に蹴りを入れるなんぞ」

「……」



 湯は昆吾を無視して攻勢に出る。



 マリ漏らすように呟く。



「……力を求めるがあまり、魔境へと呑まれましたか。確かに、あの状態で戦うなら痛みも損傷も忘れ。加護を受けた者と同等に渡り合うでしょう。ですが、このまま戦い続ければ」



「廃人に成り果てる、か」



「助けに行くなら。今ですよ。貴方が望むのなら、あそこまで送りますが」



 啓は遙か遠方の丘を見据えて言う。



「不要だ。阿奴はまだ抗っておる。此処で茶々を入れるのは、野暮というモノよ。……そうであろう、調停者よ」



 啓は遙か先の丘にいる者に向けて言い放った。

 その圧は大気を震撼させ。



 丘にいる者達の動きを静止させる。

 


 戦場が崩れ始めてゆく。



 昆吾は刻一刻と。

 湯に追い込まれており。



 湯は刻一刻と。

 廃人へと突き進む。



 時代は確実に英傑なき時代。



 空白の時代に向かおうとしていた――。

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