第26話 舌戦

 伊尹いいんが夏の罪を問いかけたことにより。

 宮殿は異様なまでの静けさが訪れる。



 誰もがその狂人めいた言葉を投げた。

 伊尹に目が離せず。

 


 桀王けつおうの返答を待っていた。


「…………」



 桀王は何かを発したいようだったが。

 言葉に出さず。



 異様な雰囲気が生まれる。


 末喜ばっきはその圧を。

 掻き消すように口を開く。



「伊尹。これ以上の無礼は赦しませんわよ。とく、下がりなさい!」



「末喜様。私は、貴女が戻ることで何かが変わると思い。この二年。淡い期待を抱いていました。ですが、何一つ変わりませんでした。……それ故、この場にて夏の罪をうことを決めたのです」



「……っ。改善ならしています。数多の私腹を肥やす者達を罰し。邑への貢納も減らして」



 末喜は苦悶の表情を浮かべて弁明するが。

 伊尹は冷たく切り捨てる。



「確かに、官僚などは処罰されましたね。ですが、伯を始めとした。有力貴族に対しては何の処罰がないのが現状です。また、王に収める。邑の貢納は減りましたが、貴族官僚が勝手な税を造り上げ。貢納が減った分を徴収しています。……名目が変わっただけで、本質的な問題は何一つ解決していません」



「そ、それは……」



 末喜が口ごもると。

 桀王が末喜の前に手を出し。



「あ、アナタ」



 末喜を下がらせてから。

 桀王は遂に、その口を開く。



「……あぁぁ。ピーチク、パーチク、うっせぇな。こっちが黙っているのを良いことに好き勝手に言いやがって」



 桀王は耳をほじりながら言い放つ。


 桀王の外面から想像できない。

 若く覇気ある声に。

 周囲の者達が騒然とする。



「伊尹っていったか。このちびっ子! 物事には何でも順序ってモンがあんだよ。米を炊くのも、先ずは研ぐことからだ。米を研がずに焚いたら、雑味混じりで食えたもんじゃねぇ。国も同じ理屈だ。先ずは研ぎ。灰汁を出すことから始まんだよ」



 伊尹は桀王の声色や圧に。

 一切屈さずに返す。



「分かってませんね。……雑穀の味を決めるのは灰汁ではなく火力ですよ。夏はその前提となる。火加減を誤っていると言っているのです」



 伊尹は桀王の眼を見据えて続ける。



「現状、伯や貴族と言う火は強大すぎて、夏と言う釜すらも焦がしています。早々に、伯の位の者達から権力をそぎ落とさなければ。夏の釜は耐えきれずに割れるでしょう。……幾ら、米を研ごうが、ガワとなる釜がなければ炊けませんよ。こんなこと子供でも自明の理屈でしょう」



「はっ、お前は米を研ぐ前から、釜を暖めてんのかよ。どんだけ不器用なんだよ。どっかの大御所俳優でも、もっと上手いことするわ。いいか、火にあてんのは米を研ぎ。水を注いでからだろうが。そして、水とは謂わば民だ。民に善政を施すことにより釜の中の水位が上がり。如何に業火であろうが釜は耐えきるんだよ」



「それこそ屁理屈ですね。そもそも夏の政体に於いて、水とは民ではなく……」



 伊尹が反論を言おうとした矢先。



「……もうよい」



 正殿の奥から男の声が響いた。



 ゆっくりと扉を開き。

 その姿を見せる。



 目は虚ろであり。

 痩せ細った桀王が現れた。



 式典に集った者達は二人目の桀王を見て騒然とする。


 細身の桀王は。

 玉座に座った男に向かって言う。



「聞こえなかったのか。調停者よ。もう、良いと言ったのだ。これ以上、無駄に言葉を重ねさせるな」

「……わぁたよ」



 調停者と呼ばれた男は。

 溜息交じりに立ち上がり。

 階段を降りて中央の道を歩いて行く。



 憲兵は中央の門を通して良いのか分からず。

 困惑していると。



 調停者の男は当然のように中央の扉を通って。

 宮殿の外に出ていった。



 桀王は玉座に腰掛ける。



「……しかし、今宵の式典は随分と騒がしい」



 伊尹はやつれきった桀王を見て。

 眉をひそめる。



「影武者を立てたのに。何故、出てきたのです」



「どこかの狂人のような口調を聞き。自然と足が運んでしまったのだ。……其れで

、伊尹よ。お主が此処まで啖呵を切ったと言う事は、何かしらの意図があるのだろう。率直に申せ。何を求めにきた」



 伊尹は僅かばかり。

 目を瞑ってから言う。



「……とうと、あの狂人、けいの解放を求めます」



「出来ぬ、と言えば」



「ならば、早々なる処刑を求めます」

「…………」



 桀王は伊尹の言葉に眉が寄る。



「私としては早々に処刑してくれる方が望ましいです。……だって、処刑により。あの二人は聖人の如く持ち上げられ。其れに感化された英傑が続々と現れるのですから。実に面白いじゃないですか。自らが管轄する領土で、次代の英傑が溢れてくる。あの二人が処刑された暁には、夏の次となる王朝の担い手は……伯や長である皆様かもしれませんよ」



 伊尹が振り返り。

 伯や邑の長達に告げた。



 伊尹の言葉により。

 伯や長達の態度が明確に分かれる。



 眼を反らし。

 何も聞かなかった振りをする者。


 表情こそ出さぬようにするが。

 口元が歪んでいる者。



 忠義と野心が入り組み合い。

 異様な雰囲気が宮殿を包み込む。 

 


 桀王は視殺せん勢いで。

 伊尹を睨み付ける。



「あの時、貴様も夏台の牢に送り込んでおくべきであったか」



 桀王は数秒ほど思案してから言い放つ。



「……良いだろう。解放してやろう。これで、満足か。満足ならば、下がるが良い」



「王のご慈悲に感謝します」



 伊尹が深くお辞儀して下がると。



 式典は通常通りに進み。



 閉会へと進む。



 有莘伯が立ち上がり。

 桀王に一礼してから退出し。



 序列が高い順に退出していく。


 

 広大な宮殿に残ったのは。

 桀王と末喜だけになった。



 桀王は力なく椅子に腰掛けると。

 末喜が問いかける。



「良いのですか。湯や、……あの狂人を解放して」



「……よい。昆吾伯も湯の勢力も力を持ちすぎておる。故に、あの二人には潰し合って貰わねばならぬ。そして、生き残った者を夏の総力を以て叩き潰す。さすれば、夏に脅威は払拭される。この選択こそが、夏の唯一の存続の道なのだ」



 桀王が言い終えると。

 仮面を被った長髪の男が階段を隔てて現れる。



 桀王は訝しげな表情で言い放つ。



「……今まで何処に行っていたのだ。王師、師団長よ」



「南蛮の征討です。不穏な動きが見えた為。制圧してきました」



「その様な話、聞いてはおらぬぞ」

「それはそうでしょう。私の独断で動いたのですから」



「一体、どういう了見だ。王の指示なく動くとは」



「……桀王様。貴方は少しばかり誤解しています。王師が守るのは夏王ではありません」


「余を守らず、一体何を守るというのだ」



「夏の社稷しゃしょく(政体)です。くれぐれも其処を履き違えぬよう、お願い致します」



 師団長はそう言うと桀王に背中を見せる。



「次は何処へ行く気だ」



「湯と啓の抹殺です。……あの者達は貴方が思い描いている以上の存在です。処刑ならまだしも。解放なぞ、もっての他。あの者達は私が責任以て処分致します」



 師団長はそう言うと。

 桀王の前から消え去った。



「…………」



 時代は佳境へと向かいゆく。



 其れ其れが思い描く。

 新たなる時代を目指して。

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