第0話 原初の世界

 けいが目を開くと。

 眼前には。

 宇宙空間が広がっていた。



 数多の天体が浮かび上がり。

 光り輝く星々が。

 幻想的な光景を映し出す。



「死せば六道りくどうを巡ると聞いておるが。此処は、何処なのであろうな」



 啓が周囲を眺めていると。

 背後から少女の声が響く。



「此処は六道でも何処でもないわよ。……この場所は、始まりの、原初の世界」



 啓が振り返ると。

 年端もいかぬ少女が立っていた。



 少女の容姿は整っており。

 いや、整いすぎており――。



 美麗や秀麗を超越し。

 異形とすらも思わせる容貌を覗かせる。



 少女は妙に長い。

 左のもみあげに触れながら言う。



「初めまして、夏宮啓なつみやけい。私は女神……そうね、女禍じょかとでも名乗りましょうか」

「女禍、であるか」



「あら、ご存じない。貴方の世界では、ポピュラーな名だと思ったのだけど」



「中国神話に於ける三皇の一人であろう。知っておるよ。……もみたんよ」

「もみたん?」



 女禍が不可解な表情で呟くと。

 啓は頷きながら言う。



「うむ。左側のもみあげだけが妙に長いから、もみたんだ。良い名であろう」



 女媧は零すような笑みを見せて言う。



「まぁ、名前なんて何でも良いわ。好きに呼びなさい」



「了承した。もみたんよ。……其れで、僕は何故、此処におるのだ? よもや、お主が呼んだのか」



「ええ、そうよ。面白いと思ったから。貴方を招いたの」

「面白い、であるか?」



「だって、貴方……伏羲ふっきが造り上げた。時代の流れを打ち壊そうとしたのだから」



 啓は表情が固まる。



「……造り上げた、とはどういうことであるか?」



 女禍は笑みを見せて言う。



「貴方の世界はね。伏羲と言う。唐変木の神が時代の流れを定めているの。ああ、伏羲はご存じよね。三皇のもう一人であり……」



八卦はっけの生みの存在であろう。そんなのはどうでも良い。……時代の流れが定まっているとは、どう言うことであるか。人の歴史は人が築くモノである。例え、神であろうが、介入できる余地がないはずだ」



 啓は余裕のない表情で言い放つと。

 女禍は楽し気に返す。



「あら、純粋ね。其れとも、必死になって目を逸らそうとしているのかしら」

「…………」



「睨まないでよ。別に挑発しているつもりはないのよ。……そうね。なら、一つ聞くけど。史書(歴史書)を開いた際、疑問に感じたことはないかしら」



「史書の何に疑問を感じるのだ」



きたるべき時に、英雄が現れる事についてよ」

「…………」



「王朝の衰退期にはね。必ず、と言っていいほど、適切なタイミングで英傑が現れるわ。そのことについて、疑問に感じたことは。本当に、一度も、ないの?」



 啓が言葉を返せないのを見た。

 女禍は楽しそうに続ける。



「不思議ねぇ。どうして、時代の節目、節目に。都合良く。英傑が現れるのかしら」

「…………」



 女禍は啓の心を。

 見透かしたかのように続ける。



「あら、残念。伏羲は三千世界を管轄しているの。一つ一つの世界に介入し。自らの手で英傑を造り出すなんて。そんな面倒なことはしないわ」



「なら、一体、誰が英傑を造り出しておるのだ」



 女禍は少しばかり。

 勿体ぶってから言う。



「調停者、と呼ばれる存在よ」

「調停者、だと?」



「そう、調停者。時代の節目節目を調し。次なる時代に繋ぐ。其れが調

 


「…………」



「調停者の本来の役割は。人と寄り添い。新たなる時代を紡ぐのが役割だったのだけど」



 女禍は残念そうに口を開く。



「伏羲は合理を求めた結果。調停者を用いて。時代を意のままに動かし始めた。……こうして定められた時代に、定められた英傑が造られることになる」

「……定められた時代に。定められた英、傑」



 啓の瞳孔が開くと。

 女禍は笑みを見せて言う。



「ええ。貴方の想像通りよ。松下村塾しょうかそんじゅくで数多の傑物を育て上げた。貴方の師も。伏羲の調停者の手によって、時代の駒に成り下がった一つよ。どの世界に於いても。安政の大獄で処刑されることによって。其の役割を完遂する。此れ等は全て、定められていることなの」



 啓は唇を噛みしめて言い放つ。



「……理解、できぬな。何故、お主ら神は、調停者とやらを用いてまで。人の歴史に介入しようとするのだ」



 女禍は呆れ紛いに答える。



「空白の時代を生み出さぬ為よ」

「空白の時代だと?」



「そう、空白の時代。……王朝の交代期にはね。必ずと言って良いほど空白の時代が生まれるの。空白の時代とは謂わば、人の業が密集する時代」

「随分と、勝手な言い草であるな」



「そう言うのなら、見てみるかしら。調停者なき世界を」



 女禍が指を鳴らすと。

 宇宙空間に映像が映り込む。



「これは……」



 都市は略奪と破壊により衰退しており。

 河川は死体の山で埋め尽くされていた。



 取るに足らぬ者達は。

 錆び付いた王宮で王のように振る舞い。



 容姿が整った女官達は。

 穢された絢爛な衣服を纏わされ。

 清廉な者は屍すらも辱められていた。



「調停者なき世界では、貴方が見知っている歴史よりも凄惨な歴史を辿るの。人類史とは、言い換えれば業の歴史。屍が積み重なることによって時代が築かれゆく」



 異なる時代が次々と映し出されるが。

 全て似たような光景であり。



 文明が発展しても。

 人の本質は何一つ変わっていなかった。



「面白いわよね。幾ら、時代を隔てようが、同じようなことを行っているのだから。呆れるのを通り越して笑えてくるでしょう」



 女禍は冷笑すると指を鳴らし。

 映像を閉じる。



「今のは事実か。……いや、事実であろうな。文献で類似した事象を目の当たりしたことがある。あそこまで長く、凄惨ではなかったが」



 女禍は感情の見えぬ色で言う。



「この空白の時代を防ぐ為に調停者が存在するの。……だけどね。伏羲はやりすぎている。加護を用い。人工的に英傑を造り上げても。其処に、時代を生きるモノの意思は存在しない。こんなんじゃ、循環なんてしない。ただのオママゴトに成り下がる」



 女禍が言い終わると。

 啓の指先が粒子に変わり始めた。



「……ぬっ!」



「あら。もう、時間なのね。残念だけど。人の魂魄では此処に長くいられないの。時間もなさそうだし。本題に入ろうかしら」



 女禍は畏まった声色で言う。



「狂なる思想家、夏宮啓。……私の、調停者として、伏羲が造り上げた時代を打ち崩してくれないかしら。時代を崩そうとした。貴方になら、私の調停者になる資格があるわ」



「お主の、調停者にだと」



 女禍は透明の本を。

 閉じて言い放つ。



「私はね。こんな活版印刷が吐き捨てた物語じゃなく。人の手で描かれる物語が見たいの。……なにも無償で従えと言っているわけではないわ。この調停を終えた暁には、貴方が叶えたい望みを叶えてあげる」



「生憎と、俗物的な望みはないのだがな」

「そうかしら。魂の根幹から。救いたい人物がいるのじゃなくて」



 女禍は啓の瞳に合わせた。



 女禍の瞳は水晶の如く澄み切っており。

 その反射した瞳が啓を照らす。



 女禍の瞳を目の当たりにした。

 啓は頭を押さえつける。



「……くっ!」

 


 啓の脳裏に。

 一人の人物が浮かび上がる。



 ザッピングが酷く。

 男女の見分けすら付かなかったが。

 其の人物は。

 振り向かずに言葉を発する。



「……啓、どんな時も私は貴方を見守っています。死ぬゆく私の代わりに。貴方は、一人でも多くの人を導いて下さい。お師匠様とのお約束、守れ、ますよね」



 断絶した意識の中。

 再び目を開くと先の光景は消え去り。

 一粒の涙が零れ落ちる。



「……今、のは」

「あら、其れを私に聞くの。随分と野暮ね」



 女禍がそう言うと。

 啓の胴体まで粒子になり始めていた。



「あらあら、もう時間はもうないわよ。さぁ、どうするの?」



 啓は頬に零れ落ちた水滴を払って言う。



「……僕は、何を成せば良いのだ」



 女禍はわざとらしい笑みを造る。



「あら、手伝ってくれるのね。助かるわ。詳細を話したいのだけど。時間もなさそうだから。簡潔に言うわね。……貴方にやって貰いたいのは。たった一つだけよ」



 女禍は啓の目を見据えながら言う。



「貴方の狂をもって、次なる時代を創り出して貰いたいの」



「次なる時代だと?」



「伏羲は、次なる時代としていん王朝を建国するわ。その為に、調停者を派遣し。加護を用いて英傑を造り上げるでしょう。……貴方には、この造られた英傑を凌ぐ、英傑を創り上げ。新たなる王朝を築いて貰いたいの」



「簡単に言ってくれる」



「ふっふふ。期待しているわよ。……さて、もう時間がないみたいだし。後の詳しいことは、送られた先にいる、もう一人の調停者に聞きなさい」



「相方もおるのか」



「ええ。調停者は原則、二人一組よ。人の身の調停者と神格を持つ調停者が新たな時代を導くの。送られた先にいる調停者の名は――」



 女禍は相方の名を言うが。

 その名は女禍の手に浮かぶ。

 水晶の振動によって掻き消された。



 水晶には太極図の紋様が浮かんでおり。

 啓の周囲に八卦を刻みつける。



「ああ、そうだったわ。一つ言いそびれていたけど。先入観を消す為に。記憶の一部を消させて貰うわ。其の時代の英傑や戦いを覚えていると、色々とやりにくいでしょうからね」



 啓の周囲の八卦が刻み終えると。

 女禍は笑みを浮かべる。 



「それでは、啓。貴方に中国大陸の調停の命を与えます。送る時代は古代中国、王朝末期。時代で言うならば、紀元前16世紀。……啓、貴方の手で。調停者の本来の役割を思い知らせてあげなさい」

 


 女禍が指を鳴らすと啓の姿は消え去った。



 誰もいない虚空の宇宙で。

 女禍は水晶を回しながら笑みを浮かべる。



「さぁて、賽は投げられたわ。……私が送り出した調停者と、伏羲が送り出した調停者。果たして、どちらが次の時代を造るのかしら」

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