これより時代を調停します 古代中国 夏王朝編

橘風儀

プロローグ

 同じ夢を見る。



 顔の見えぬ兵が矛を取り。

 死に抗うように殺し合う。



 幾千と時代が移ろうが変わらぬ。

 不変の光景が広がっていた。

 


 大義と言う旗の下に。

 幾千の兵が崩れ落ちる。



 崩れ落ちた兵は天に。

 手を差し伸ばすが。

 其の手に救いはなく。



 伸ばした手は踏み潰され。

 腕から下は蹂躙され。



 骸と成りて其の役割を完遂する。



 戦地に屍が覆い尽くすと。

 戦いは終わりを迎え。



 副官と思わしき。

 顔の見えぬ男が期待の眼差しで言う。



「***様、我々の勝利です。新たなる、新たなる時代を築きましょう」



 嗚呼、そうか。



 また築かれるのか。



 定められた時代が――。







        第1章


   これより時代を調停します  

       

        夏王朝編





日ノ本の國。

明治十四年。




「……きろ。起きろ、死刑囚!」



 死刑囚と呼ばれた青年は頭を掻きながら上体を起こす。



「死刑囚ではない。夏宮啓なつみや けいだ。いい加減に覚えよ。のっぽよ」



「そんなら、お前も看守の名をいい加減覚えやがれ。一ヶ月も経ってんだぞ」

「了承した、のっぽよ」



「……はぁ、アンタと会話するのも今日が最後だから。目瞑ってやるよ」



「最後、という事は。つまり、今日という訳か。僕が解放される日が」

「そう、アンタが解放される日が今日……なわけねぇだろうが! 明治政府の転覆を目論んだ奴が解放される訳ねぇよ」



「冗談だ。お主が暗い顔をせぬよう小粋な冗談を交えたのだ。此処は笑うところだぞ」

「冗談なら、もっと笑える冗談を言いやがれ」



 看守は乱雑に頭を掻くと。

 言い辛そうに呟く。



「……なぁ、アンタ。看守の俺が、こんなこと言ちゃ不味いかもしれねぇが。なんで無実の罪で処刑されるのを受け入れんだよ」



 啓は当然のように返す。



「そんなの決まっておろう。僕の死によって。人々は時代に立ち向かうからだ。……狂なき時代に狂を起こす。うむ、実に、狂であろう」



 看守は僅かばかりの間を持つと。

 吹き出すように笑う。



「はっ、ははは! アンタ本当に狂人だよ」

「相も変わらず。お主の笑いの壺は分からぬのう」



 二人が笑みを漏らしていると。

 憲兵の足音が響き渡る。



 看守は其の足音に気づくと。

 真面目な表情に変わる。



「……最後になるから言うけどさ。文字も読めねぇ俺に。学問を教えてくれてありがとよ」



「うむ。お主は情に弱く。頭も悪いが。弱き者を守るという志は立派だ。座学で終わらさず。常に、その目で人々を見るのである。さすれば、お主の理想は象られ。誰よりも清廉な裁判官になれるであろうよ」



「はっはは。そうだな。そうなれるようにもっと足掻くさ」



 看守がそう言うと。

 憲兵が牢屋前に辿り着き。

 感情のこもらぬ声で言う。



「出ろ、処刑囚、夏宮啓」



 看守は複雑な顔をして牢獄の鍵を開ける。



「……処刑場まで案内する。付いてきてくれ」



 啓は馬車で広場へと護送される。



 広場では既に群衆が集っており。

 啓が降りると。

 野次と嘲笑が渦巻いた。



 広場には啓に死刑を申し渡した。

 裁判官と政府高官がおり。

 嘲笑混じりに啓の姿を見る。



 穢れに満ちた広場の中。



 啓の瞳だけが澄んでおり。

 声を荒げていた群衆や。

 政府高官は啓の瞳に映り込んだ。

 己を見てしまい。

 言葉を呑み込んだ。



 啓は静かになったのを見届けると。

 処刑台の階段に足を進め。

 重々しくも堂々とした言霊を放つ。



「……私は、咎人ではない」



 透き通った声と。

 階段を上る足音が響き渡る。


 

「……私は、狂人ではない」



 群衆に是非を唱える暇も与えず。

 静かな足取りで。

 一段、一段と。

 踏み抜いてゆく。



 全ての階段を上り終え。

 縄が啓の首に掛けられた。



 啓は死に怯えるそぶりを一切見せず。

 群衆に視線を合わせ。

 最後の言霊を投げかける。



「私は、狂なき時代に抗う。狂なる思想家である」



 啓は僅かばかりの間を以て。

 口元を緩めて言い放つ。


 

「……さぁ、諸君、存分に狂いたまえ」



 そう言い放つと同時に足場が落ち。

 ガコンと言う音と共に木の床が開いた。



 縄が軋む音と。

 首の骨が折れる音が同時に響き渡る。



 啓は僅かばかりの痙攣の後。

 屍へと移り変わった。



 ざわめく群衆の中。

 銀髪のポニーテールの少女が。

 懐中時計を片手に呟く。



「……我ら調停者。王朝の寿命尽きし時現れ。新たなる時代を切り開く者」



 少女はそう言うと懐中時計を閉じた。



 閉じられた瞬間――。



 空間が制止し。

 世界が暗転する。



 絞首台にぶら下がっていた。

 男の遺体は消え去り。

 


 此の世界のありとあらゆる。

 文献から其の男の名が消失した。



 消失した男の名は夏宮啓。



 明治を代表する兵学者であり。

 狂なる思想家と呼ばれた人物である。



 彼の存在した記録は記憶と共に抹消され。

 誰の記憶に留まる事も赦されなかった。



 彼の者が存在した事を証明出来るのは。

 絞首台でぶら下がっている。

 縄の跡だけであった。



 少女が指を鳴らすと。

 暗転した世界は光を指して動き出す。



 官僚は処刑すべき人物の名が。

 載っていない事に慌てており。

 看守は理解できぬ涙が溢れ落ちていた。



 群衆は互いの顔を見合い。

 此処に集った理由が分からず。

 首を傾げる。



 空から小雨が降り始め。

 少女の頬にも一粒の水滴が濡れる。



「全ては、ただ、循環の為に。……また、お会いましょう、お弟子さん」

 少女は人混みに紛れ込むと陽炎の様に消え去った。

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