第27話 解放される狂者

 夏台の牢に官僚が訪れ。

 けいとうに解放を告げる。



 縄は解かれ。



 三年ぶりに地上へ回帰する。



 おぼつかない足取りで歩いていると。



 陽炎のように揺らめき。

 マリが姿を見せた。



「歩くだけでも一杯一杯ですね」



 啓は乾いた声で言う。



「運動不足に加え。食事も水も最低限だったからな。大分、鈍っておるよ」



「こんな状態で襲撃でもされたら。お終いですね」



「その場合は、マリアージュよ。お主が守ってくれるのであろう」

「結婚はしてませんよ。マリです。……余り、私を当てにしない方が良いですよ。私も食事を絶ってましたからね。今の私に力はありません」



「成る程。なら、今の状況は文字通り。絶体絶命と言うわけであるな」



 啓が目の前を見据えると。

 六名の仮面を被った者が立っていた。



 湯は仮面の者達を見て呟く。



「白の仮面に蒼の衣服。……夏の近衛軍、王師だね」



 長髪の仮面の男が一歩前に進み。

 胸元に手を当てて言い放つ。



「お初、お目に掛かります。時代の調停者、啓。そして、時代に抗いし英傑、湯よ」

 


 長髪の仮面の男は上体を戻し。

 手を上げる。



「そして、お別れです。夏に仇なした愚者共よ」

 


 長髪の仮面の男が天に上げた。

 指を鳴らすと。



 二人の仮面の男が抜刀し。

 啓に向けて駆け抜けた。



 眼に追えぬ速度で動いており。

 啓は遅れながらも。

 二人の一閃を躱す。



「ほぅ、なかなかの動きであるな」



 啓が間一髪で躱すと。

 三人目の仮面の男が目の前に現れ。



 啓の腹部に正拳を叩き込む。



「……っ!」



 啓は後方に大きく吹き飛ばされるが。

 強引に体勢を立て直し。

 構える。



 長髪の仮面の男は呆れ紛いに言い放つ。


 

「抵抗しても無駄ですよ。我ら、王師は一人一人が一騎当千に値します。時代の加護もなく。魔術すらも扱えぬ。貴方方に負ける道理はありませんよ。……大人しく、死に候え」



 啓は口元の血を拭うと。

 湯が言い放つ。



「啓、代わろうか」



「結構だ。……湯よ。牢で講義した。新陰流の極意。覚えておるか」

「……転ずる、だっけ」



「うむ。では、その極意。この実践にて見せよう。……こう見えても、新陰流の心得を持っておる。後の先の極みとまで呼ばれる武術、お見せしよう」



 啓は無為自然の構えで。

 三人の兵を見据える。



 三人は互いの顔を見あうと。

 頷き合い。

 剣を持った二人が先に動いた。



 一閃は地面すら切り裂き。

 横薙ぎは鎌鼬を起こす。


 だが、その剣筋は。

 啓に触れることなく。



 流水の如く。


 

 啓は躱してゆく。



「新陰流の極意とは転ずること。あらゆる状況にも留まらず。常に流転し続けるならば……」



 二筋の一閃は遂に啓に直撃するが。

 蜃気楼のように啓の姿が透け。



 一閃は空を切る。



「その動き。神妙へと至る」



 眼前の現象が信じられず。

 二人の振るう剣が僅かばかり止まると。



 啓は二人の手首を掴み上げ。

 同時に地面へと叩きつけた。



「「……がっ!」」



 兵が気を失うと。

 啓は剣を奪い取り。

 素手の兵を見据える。



「どうした、心が止まっておるぞ。さぁ、転ぜよ」

「……っ!」



 素手の兵は愚直すると。

 啓が一閃を振るう動作を見せ。


「……ぁぁぁ」



 兵は首元を押さえ。

 泡を吹いて地面へと崩れ落ちた。


 

 長髪の仮面の男の頬には。

 冷や汗が流れており。

 動揺を見せぬように言い放つ。



「腐っても調停者、と言う訳ですか。……致し方ありません。湯だけでも始末させて頂きましょう」



 其の言葉と共に。

 三名の仮面の兵達は一斉に湯に向かう。



 啓は握っていた剣を湯に投げ渡す。



「さぁ、今の技を真似てみるのだ」



 湯は剣を手を受け取り。

 好戦的な笑みを浮かべる。



「君の言うことなんて聞くわけないだろう。僕は僕のやり方で道を開くよ」



 剣を持った三人の仮面の男が。

 人とは思えぬ速さで。

 湯に向けて駆け抜ける。



 湯は剣を逆手に持ち。

 臨戦態勢を取ると。



 瞳の奥が澄んだ蒼色に光り輝いた――。


 

 仮面の男たちの動きは人間離れしており。

 湯が人である以上。

 斬り伏せられるしか道は残されていなかった。



 だが、湯は笑みを浮かべ。



 向かってくる剣を受けることも。

 避けることもせず。


 

 堂々とした足取りで前へと進み。



 ただ、一閃を放つ――。



 その一閃は。

 ありとあらゆる因果を断ち切り。



 三名の仮面の者は受けることも避けることも赦されず。



 大きく宙を舞い。


 

 地面に叩き落ちた。



「あれ、随分と身体が軽いや」



 湯は不可思議そうに剣を眺めていると。



 長髪の仮面の男は湯の眼光を捉え。

 口元を歪める。



「これは、予想外ですね。まさか、元始羅盤げんしらばんを開いてるとは」



 其の言葉にマリが反応する。



「元始羅盤。どうして、貴方がその名称を知っているのです」



「……さぁ、どうしてでしょうね」



 長髪の仮面の男は意味深な笑みを浮かべると。

 背中を見せる。



「何処行く気。まだ、君とは遊んでないよ」



 湯が好戦的な笑みを浮かべて言うと。

 長髪の仮面の男は淡々と言う。



「貴方と、遊びたいのは山々ですが、此処は引かせて貰いましょう。万が一にでも、私が倒れることがあっては、予定が狂うのでね」



 長髪の仮面の男が指を鳴らすと。

 崩れ落ちた兵達に魔方陣が浮かび上がり。

 身体が治癒されていく。


 治癒された兵は痛みを抑えるように立ち上がり。

 長髪の仮面の男と共に。

 緩やかに消え去った。



 緊迫した状況から解放されると。

 湯が崩れ落ちる。



「あ……っ。なに、これ」



「どうしたのだ。湯よ」



 啓が駆け寄ると。

 湯は頭を抑えながら訴える。



「か、感覚が研ぎ澄まされすぎて。あ、頭が割れる!」



 マリは湯の目を見つめる。



「元始羅盤が開きっぱなしですね。……強引に開くからですよ。本来なら長い年月を掛けて、ゆっくりと馴染ませるモノですから。湯、眼を瞑りなさい」



 湯が眼を瞑ると。

 マリは湯の額に手を当てる。



 マリの手を触れた湯は。

 崩れ落ちるように眠りに落ちた。



「何をしたのだ?」

「眠らせただけです。眠りに落ちれば、元始羅盤も閉じますからね」

「……そうか」



 マリは何かを感じ取ったのか。

 目を見開いて啓に言い放つ。



「……啓。非常にマズいことになりました」

「どうしたのだ。よもや、また追っ手が来たのか」



「ま、魔力、使った所為で。く、空腹を刺激してしまいました。し、至急、一文字屋和輔のあぶり餅……を」



 マリはそう言うと。

 湯より瀕死の状態で崩れ落ちる。



「ちょっと待つのだ。なんで、お主まで倒れるのだ! 言っておくが、僕も限界で。一杯、一杯なのだぞぉ!」



 啓の慟哭とも呼べる叫びは空へと飛び立つ。



 解放から半刻余り。



 三人の灯は早々に消えかけるのであった。

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