第8話 偽りの平和

 けいは鶏の羽をむしりながら。

 伊尹いいんに向けて言う。



「かつて、お主とよく似たことを言う奴がおってな。其の者は、清廉な心さえあらば、混濁する世を変えれると、本気で思っていた」



「……」



「だが、諫言すればするほど、煙たがられ。世間を正そうと動けば、動くほど疎んじられ。そして、其の者は最期、此の世に絶望し……」



 啓が言い淀んだのを見て。

 伊尹は思わず漏らす。



「自殺、したのですね」



「いいや。開き直って。チンドン屋に紛れ。打楽器を叩きながら。無能な政府高官らを批難しまくった。その結果、何故だか、捕まってしまったのだ。……何でも、頭も思慮も足りぬ。鶏にも劣る存在と言ったことが、まさかの事実のようでな。国家機密漏洩罪で絞首が決まったのだ」



 伊尹は失笑紛いに言う。



「面白い冗談ですね」

「冗談ではない。事実である。まぁ、多少は脚色しておるがな」



「王宮で使えてましたけど。貴方が言ったような人なんて聞いたことがありませんよ。みぃんな、能なしの高官に媚びるか、謙るかのどっちかでしたからね。そんな自殺にも似た事をする愚か者はいませんよ」



「はて、自暴自棄となり自殺する者と。狂なるままに突き進んだ者。果たして、どちらが愚か者であろうな」



 啓は鶏の羽をむしり終える。



「……私を愚か者と揶揄やゆするのですか」



「この世には清濁が満ちておると言うのに、お主は清しか認めようとしない。これを愚か者と言わず。何と呼ぶのだ」



「説教、ですか」



 伊尹が鼻で笑うように言うと。

 間髪入れずに返す。



「そのような心の持ちようだから。お主も、この時代も変わらぬのだぞ」



 啓の言動に始めて伊尹は感情を見せる。



「……っ、どいつもこいつも。全て、私の所為にしますね」



 伊尹は啓を睨み付けながら続ける。



「王朝が低迷するのも私の所為。下らぬ輩が、のさばるのも私の所為。あぁ、そうですか。楽で良いですよね。そうやって他人の所為にしていれば間抜け面晒して、自分の手は汚さずに済むのですから」



「お主も、手を汚すのを嫌がったではないか」



 啓は首の落ちた鶏を見つめて言うと。



「……っ」



 伊尹は苦い表情をして黙り込んだ。



「この鶏に何を重ねておるのかは知らぬが。この鶏は絞首された者でも、斬首された者でもなんでもないぞ」



「さっきから何ですか。私の心を見知ったつもりですか」

「お主の心までは分からぬが、推測は立つ。よもや、誤っておったか?」



「……合ってますよ! 無実の者が処刑され。此の世に疑問を感じたから、何も口にできなくなったのですよ。聞けて満足ですか。なら、これ以上、私の心の奥に踏み込んでこないで下さい。実に不愉快」



 伊尹はそう言うと立ち上がった。



「何処へ行くのだ」

「お花を摘みに行くのですよ。……覗きに来たら埋めますよ」

「そうか、厠か。ゆっくりとしてくるのだぞ」



 伊尹は啓を睨んで立ち去った。



 啓は一刻ほどで料理を作り終え。

 食卓には鶏を主材にした料理並ぶ。


 

 伊尹の義母は驚きの声を上げる。



「啓君。これ、一人で作ったの」

「うむ。シータの厠が長引いているみたいなのでな。僕が全部作った。……こう見えても、鶏料理の心得があるのだ」



「……シータって、まさか、伊尹のことですか」



 マリが問いかけると啓は頷く。



「うむ。椎茸みたいな髪型であったから。シータと呼ぶことに決めた。良い名であろう」

「相も変わらず独特なネーミングを」



 マリが呆れるように言うと。

 伊尹の義母は両手を合わす。



「冷めたら味も落ちるでしょうし。先に食べましょうか。あっ、でも。此れだけあるのなら、ご近所さんに分けにいかなきゃね」



 義母が包みに入れ。

 玄関を出る前に振り返って言う。



「先に食べといてね」



「うむ。では、食べるとするか」



 啓がそう言って数口食べると。

 伊尹が戻ってきた。



「食べ終わったと思って。戻ってきたのですが、まだ、食べてなかったのですか。……って、なんですかこの料理。王宮でも見たことありませんよ!」



「シータよ。やっと戻ってきたな」

「誰が、シータですか!」



「良い匂いですよ。これでも食べませんか」



 マリはそう言うと。

 伊尹は食事から眼を反らす。



「食べませんよ。私のような。……死を、待ち望んでいる者が、無為に命を頂くことは出来ませんから」



「そうですか。なら、救われませんね。……貴女も、此れまで貴女に食されてきた命も」



「……」



 伊尹が押し黙ると、マリが優しく言葉を掛ける。



「私達が生まれてきたことには何かしらの意義があります。少なくとも、この両腕と心は。誰かを幸せにしたり、守ったりする為にあるのですよ。貴女には、命を賭してまで守り通したいモノはあるのですか?」

「……それは」



「言い返したい言葉があるなら、食べてから言い返しなさい。と言うより、小難しいことは良いですから、さっさと食べるのです」



 マリが伊尹の口元に焼きキノコを押し当てる。


 

 伊尹は始めこそ固く口を閉ざしていたが。

 マリが強引に押しつけた為。

 次第に緩み始め。



 恐る恐る

 小さく囓る。



 長い咀嚼の後。



 ゆっくりと飲み込むと。

 目から涙が溢れていた。



「……美味しいです」



「涙が出るという事は、身体は生きたいと必死に訴えているのです。どんな事情があるのかは知りませんが。貴女はまだ、死ぬべきではありません。だって、身体が生きたいと、こんなに抗っているのですから」



 伊尹はゆっくりと食事を味わうように口の中に入れていた。


 


 

 翌日の早朝。

 


 啓達は畑仕事に精を出す。



 伊尹の義母は笑みで言う。



「助かるわ。男手が足らなかったの」

「こう見えても畑仕事は慣れ親しんでいる。任せるが良い」



 啓が得意気に言うと。

 マリは寝癖を立たせながら桑を振るう。



「なんで、私まで」

「一宿一飯の恩だ。人十倍食べた、マリリンも働くべきである」

「リンは不要と言ってるでしょう。マリです。朝から突っ込ませないで下さい」



 その日の夕暮れ。



 葛伯かつはくの使者が啓達が住まう邑に駆け込んでくる。



 偽りの平和が間もなく。

 終わりを迎えようとしていた。

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