第41話 鳴条の戦い

 鳴条めいじょうの地にて。

 夏と商の両戦力が集う。



 互いに横陣おうじんと呼ぶ。

 部隊を横一列に立ち並ばせる陣形を組み上げ。

 相手の出方を窺っていた。



 どちらの兵も相手を見合っており。

  


 このまま波のように雪崩れ込み。

 戦闘が行われると思われた矢先。



 夏の中央にて。

 銅鑼と太鼓が盛大に鳴り響く――。



 空気すらも裂く轟音と共に。

 夏の陣形が崩れ始め。



 夏を示す蒼旗が靡かれながら部隊を導く。



 夏の指揮権は王師、師団長。

 大戯たいぎに委ねられており。



 大戯は八卦図はっけずを模した陣形を組み上げた。 



 高台で其の陣を見た。

 マリは目を見開く。



「……あれは八卦の陣。どうして、この時代に。いいえ、此の世界に存在するのです」



「珍しいな。マリトッツォよ。お主が、其処まで動揺するとは」



 マリはけいの呼び間違いを無視して言い放つ。


「あの陣。……あの八卦の陣は、太公望たいこうぼうの名を冠する者の一人、呂尚りょしょうと呼ばれる人物が編み出した陣形です。並列世界では無敗を誇り。伏羲ふっきが定めた時代の流れすらも破壊した。とんでもない陣です」



「ほう、無敗とな。実に狂ではないか」



 啓が笑みを浮かべながら言うと。

 マリは訝しげな表情で返す。



「余裕ですね。まさか、あの陣相手に、何か勝算でもあるのですか」



「勝算ならある。なんせ、商には類まれなる英傑がおるからな」



とう、ですか」

 


「いいや。湯ではない。……伊水より生まれ出づし者、伊尹いいんである。あやつは無意識的にも水を理解しておる」



「水、ですか?」



 啓は遠目で伊尹を見つめながら言う。



「例え、単調な陣であろうが、水の如く。状況に応じても移り変わるならば。如何なる陣相手でも臆すことはない」



「つまり。この戦いでは、伊尹の力量が試されると言うことですね」



 マリがそう言うと。

 夏の中央にて銅鑼と太鼓が鳴り響いた――。



 其の音に木霊するように。

 八卦に鎮座した夏の部隊は。

 円を描くように。

 夏王の部隊の周囲を旋回し始める。



 緩やかな歩調は。

 銅鑼の激しさに伴い。

 速まり始め。



 歩調は更に速まった。



 五千を超える膨大な兵が旋回を行った結果。

 広大な土煙が巻き上がり。



 自然の恐れを。

 人工にて作り上げる。



 異様なる動きに商兵は疎か。

 湯や伊尹、仲虺ちゅうきすらも吞まれるが。



 伊尹は自らの頬を引っぱたき。

 敵陣を見据える。



「……私まで吞まれてはいけません。落ち着いて見極めるのです。あの動きが何を意味するのか」



 伊尹は冷静な目で。

 動きの意味を捕えようとする。



「……旋回しながら此方の陣にぶつかる。いや、非効率的過ぎる。兵の体力が保ちません。もっと、もっとです。もっと観察するのです。あの陣が意味することを」



 伊尹の瞳は大きくなり始め。

 その眼は遂に。

 敵陣の意味することを捉える。



「まさか、あの陣の意味は……」



「「中央突破」」



 遠目で見ていた啓と伊尹の呟きが重なった。



 マリは表情こそ変わらなかったが。

 驚き紛いに言う。



「よく、分かりましたね。あの動きの意図することを。……あれは、八卦の陣の一つ。しんの卦。車懸くるまがかり。相手の脆い地点の見いだし。一点突破を強行する陣です」



「一つと言うことは、他にも派生があるのだな。成程、実に狂である。八卦の陣とやらも。この戦いの行く末もな」



 啓は興味深く。

 戦いの行方を眺めていた。



 伊尹は目を見開いて。

 唇を噛みしめる。



「不味いです。非常に不味いです。このまま突撃されたら一溜まりもありません」



 伊尹は思考をめぐらす。



「中央部を固くする? いえ、駄目です。幾ら中央を盛っても、止めきれない」



 伊尹が焦っていると。

 天から僅かばかりの水滴が降り注いだ。



「幸先が悪い。こんな時に雨、だなんて……」



 伊尹は頬に付いた水滴を手に移すと。

 神妙な面持ちに変わる。



「……雨」


 

 数秒の思案の後。

 伝令を呼びだし。

 矢継ぎ早に言い放つ。



「……以上になります。中央にいる湯と左陣を率いる仲虺に今の伝令を伝えなさい!」



 伝令はその真意を問いたかったが。



 伊尹の剣幕に押され。

 其の真意を問う暇もなく走った。



 円を描くかのように動いていた夏の軍勢は。

 最後に大きく旋回を行うと。



 大蛇が如く。 

 部隊が連なって。

 商の中央部を喰らわんと駆け出した。



 * * *



 夏軍が大蛇と成して。

 接近してくるが。

 伊尹からの指示はなく。



 湯は待ちきれずに命を放つ。



「斉射! 一兵足りとも近づけるな!」



 幅広く隊列した商の中央の弓兵が。

 一斉に矢を放つ。



 小雨すらも打ち払う。

 膨大な矢の雨が。

 夏の先陣へと降り注ぐ。



 夏の先兵達は。

 前進を余儀なくされている為。

 避けることも。

 弾くことも出来ず。



 為すがままに貫かれるが。



 夏の勢いは衰えることなく。



 先兵の死を軽んじるように。

 其の屍を踏み潰し。

 愚直する。



「……っ。僕が前に出る。僕が中央を抑えている間に両翼で包み込むように動けと。伊尹と仲虺に伝えて!」



 湯が舌打ち紛いに叫ぶと。

 伝令が駆けてきた。



「い、伊尹様より伝令がございます」



「遅い! さっさと内容!」



 伝令は言うことを躊躇ったが。

 夏の軍勢が迫っていることもあって。

 伊尹の言葉をそのまま伝える。



「ちゅ、中央は退却せよ。とのことです」



「……本気で言ってんの」



「は、はい。退却を伝えるように命じられました」



 湯は頭を掻きむしり。

 伊尹の意図を読み解こうとするが。

 敵陣が迫ってきており。



 湯は決断に迫られる。



 湯は僅かばかりの躊躇いの後。



「……引いて! 殿は僕が持つ。中央は引くんだ!」



 戦う前から退却の命が出され。

 兵は驚きから。

 僅かばかり静止するが。



 湯の有無言わさぬ目を見て。

 中央部隊の撤退が始まった。



 中央の部隊は。

 右陣と左陣を取り残す形で後退を行う。



 桀王が控える馬車にて。

 不知火のように揺らめいてから。

 推哆すいしが現れる。


 桀王と末喜は驚きもせずに。

 推哆を見据えた。



 推哆は笑みを浮かべて言う。



「あら、良い感じに盛り上がってきてるじゃない。何だって、時代の分岐点だものね」

「……で、一体、何のよう。推哆」



「あら、末喜。そんな目で見ないでよ。折角、時代の流れまで教えてあげた仲って言うのに、邪険にしないで。こう見えても私、夏の為に色々動いているのよ。貴方たちに時代の流れを教えたのもそうだし。王師である大戯に、魔術を教えたのも私よ」



「確かに、貴方は夏の為に色々してくれたのは認める。だから、分からないの。どうして、桀に毒を盛ったのかがね」



「誤解よ。あれは一種の治療薬。……この宝剣を使う為のね」



 推哆は剣を取り出した。


 

 剣には華美な装飾が鞘に施されており。

 其れを見た末喜は訝しい表情をする。



「この剣、まさか、夏の宝剣? でも、もっと錆び付いていたはず」



「よく覚えてるじゃない。これは、夏の宝剣、軒轅剣けんえんけん。長らくの間、使われてなかったから。私が手入れしてあげたの。……桀王、いざという時は此れを使いなさい。さすれば、貴方は英傑になれるわ」



「……代償があるのであろう。伝承でそう聞いておる」



「些細なモノよ。気にする必要はないわ。それに、貴方は守りたいのでしょう。この国を。なら、他の何を失おうが全て些事に変わるわよ」



 桀王は何も返せずに黙り込んだ。



 様々な思惑が入り交じる中。




 夏の先陣は。

 湯の撤退する部隊へと突き進む。



 紀元前1600年――。



 時代を定める。

 今世紀最後にして最大の決戦。



 鳴条の戦いが幕を開いた。

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