第15話 夏台の牢

 夏の王都より遙か離れた地。

 夏台かだいと呼ばれる地下牢があった。 

 

 

 夏の権勢が落ちてから。

 半世紀近くも使用されず。



 人々の記憶から忘却した牢獄に啓と湯は送られる。



 二人は看守に率いられ。

 地下へと続く階段を。

 ひたすらに下っていく。



 最深部に辿り着くと。

 地面に丸穴が開いた場所に辿り着き。



 看守は纏わりついた。

 蜘蛛の巣を払いながら言う。



「この穴の下にある部屋が、てめぇらの住処だ。今、梯子を降ろして……」



 看守が縄梯子を手にする前に。

 けいは穴の中に飛び込む。



「ほう、そこそこの深さであるな」



 看守が意表を突かれている合間にとうも飛び降りる。



「ふぅん、思ったより広いんだね」



「……っ、折角、梯子を降ろしてやろうとしたのによ。まぁ、いい。精々、処刑の日まで仲良くするこったな」



 看守は鉄格子にて丸穴を塞いだ。


 

 啓は鉄格子を見上げ。

 僅かばかり漏れる。

 光を見つめる。



「日の光が殆ど入らぬな」



 湯は怪訝な表情をして。

 四方の壁を見つめていた。



 土壁には掻きつけられた跡や。

 額を打ち付けた跡が残っており。

 こびり付いた血の跡が。

 正気を保つことの難しさを示しつける。



 二人は距離を取り。

 壁に背を当て。

 ゆっくりと

 腰を下ろした。



「居心地が悪い牢であるな」

「……そうだね」



「しかし、このような牢獄でも学ぶことが出来る。先ずは、心を留めぬ方法を教授しよう。瞑想と言うモノを知っておるか」

「知らないね」



「瞑想というのはな。自らの心を無にして」

「興味ないよ。……少し、黙っててくれるかな」



 湯が会話を遮断した為。

 牢獄は沈黙で支配される。



 啓は呼吸を整え。

 流れゆく時に身を任せるが。



 湯は虚空を見つめ。

 流れゆく時に抗い。

 摩耗してゆく。



 日の光は時と共に喪失し。

 陰鬱な空間に。

 狂気を孕んだ月光が入り込んだ。



 朝日が迎えると。

 鉄格子が開き。

 僅かばかりの朝食が降ろされ。



 夕日が喪失すると。

 夕食が降ろされる。



 啓は食事に手を付け。

 衰弱する様子を見せなかったが。



 湯は食事を殆ど取っておらず。

 心身共に弱り果て。

 日に日に。

 やつれ始めた。

 



 五日ほど過ぎた夜――。




 薄気味悪い月光が牢獄に浸食し。

 壁に人影が映し出される。



 人と呼ぶには余りにも歪な影であったが。

 壁には子供と老人が映り込んでおり。



 湯は朦朧とした意識で。

 其の幻影を凝視する。



 幻影は湯に向けて口を開いた。



(……お兄ちゃん。どうして助けてくれなかったの。最後までずっと待ってたのに)

(……湯よ。何故、反旗を翻したのだ。お主の軽率な行動で、商の仲間は沢山亡くなったのだぞ。死した商兵が痛い、寒いと嘆いておる。お主は、この者達に、どうつぐなうのだ)



「…………」



 湯の目は見開いて。

 幻影を見つめており。



 月光は新たな幻影を創り出す。

 新たに生まれた幻影は肥え太っており。

 癪に障る声で叫ぶ。



(……儂の言ったとおりになったであろう。商は滅ぶのだ。そして、商の者は何度でも殺してやる。このように何度も、何度もな!)



 葛伯かつはくと思わしき影は。

 剣を乱雑に振りおとし。

 子供と老人の五体を刎ね。

 


 胴だけとなった二つの影を踏みつける。



(はっははは!)



 葛伯と思わしき影が高らかに笑うと。

 湯はふらついたまま立ち上がり。



 葛伯が映り込んだ壁に。

 全力の回し蹴りを放った。



 地下全てが揺れ動く衝撃が響き渡る。



「……死者は黙ってなよ」



 土煙が立ち込み。



 緩やかにその煙が祓われると。

 土壁には何も映っておらず。



 湯の激高を嘲笑うかのように。

 月の光だけが映し出されていた。



 僅かばかり。

 正気に戻った湯は。

 目を大きく開き。



「……っ」

 


 両手の爪を壁に立て。

 頭を強く壁に打ち付ける。



 鈍い音が牢獄に響き。



 湯の額の血が。

 壁にこびり付くと。

 啓は目を瞑ったまま言う。



「気でも触れたのか」



 湯は啓を睨み付けながら返す。



「……アンタの言う狂に染まっただけだよ。狂えって、アンタが言ったじゃないか」

「何を履き違えてるかは、知らぬが。僕が唱える狂に、錯乱すると言った意味は微塵もないぞ」

「…………」



「高き志の元、突き進むことを狂と言うのだ」


 啓は湯を見据えて言う。



「さて、そろそろ。立ち上がるのだ。この五日間、十二分に遊んだであろう」

「……遊んだ、だって?」



「違ったのか。道半ばにで座り込み。子供のように駄々をこねていると思っていたのだが」

「……君、面白いこと言うね」



 湯は瞳孔を開き。

 睨み付ける。



「しかし、子供にしては随分と背丈が大きいであるな。だが、案ずるでない。こうみえても子供のあやし方は心得ておる。……さて、来るが良い。高い、高いでもしてやろうではないか」



 啓が子供をあやすかのように言い放つと。

 湯は啓の眼前まで飛び込み。

 回し蹴りを放った。



 啓は拘束された両腕で受け止め。

 眼前手前で蹴りは止まる。



「ほう、衰弱している割には良い動きをするではないか」

「……さっきから何。喧嘩売ってんの」



「売っておるぞ。お主には口で説得させるよりも、実力で分からせた方が早いとみた。少なくとも、僕が言葉を並べても、聞く耳は持つまい。……さぁ、共に狂に身を委ねようではないか。本当の狂と言うモノを教えてやろう」

「…………」



 啓は狂気紛いの笑みを見せ。

 月の狂気を歪ませる。



 狂気なる夜が始まろうとしていた。

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