第3話 伊尹との出会い

 けいは水辺に沿って歩いていると。

 一人の少女が。

 釣りをしているのが目に入った。

 啓は少女に声を掛ける。



「其処の者、釣れておるか」



 少女はゆっくりと啓に振り向く。



「……誰ですか、貴方」

「此れは失敬した。僕は啓と言う」



 少女は訝しげな表情を見せる。



「……啓ですか。其れで、啓。私に何の用ですか。持っているのは、この釣り竿ぐらいで、剥ぎ取るモノなんて何も持っていませんよ」



「野盗と一緒にするでない。知り合いが、空腹で動けなくてな。すまぬが、少しばかり食料を分けて欲しいのだ」



「成る程。生憎ですが、私も食べ物なんて持ってませんよ。まぁ、切羽詰まってそうなので。この釣り竿なら貸してあげますよ」



 少女は水面に糸を垂らした。

 釣り竿を啓に渡した。



「良いのか」

「ええ、疲れたので少し休憩します」



 啓は水面に垂れ下がる。

 釣り糸を見ながら問いかける。



「ところで、お主。どうしてこんな所で釣りをしておるのだ。親御さんは心配しておらぬのか」



「私に両親なんていませんよ」

「……それは済まぬことを聞いたな」



「ええ。だって、私は、桑から生まれたのですから」

「随分と面白い冗談であるな」



「冗談じゃなくて事実ですよ。赤子だった私は、桑の中にいたと聞かされてますからね」



「ほう、其れが誠なら、実に奇異な話であるな。まぁ、大方。食い扶持に困った母親が桑の中に捨てたのが実体であろうが」




「夢のないことを言いますね。桑から生まれたと言う方が夢があると言うのに」



 少女は雰囲気は独特であり。

 まるで仙人かの様に。

 人の世界から断絶した。

 雰囲気を持っていた。



「……よもや、お主。ずっと此処に一人でおるのか」

「そんなわけないでしょう。赤子一人でどうやって生きていくのですか。頭、足りてますか」 



 少女は挑発するかのように。

 自らの頭を人差し指でつついてから。

 言葉を続ける。



「桑にいた。赤子の私を見つけてくれた人がいましてね。その人に育てられました」



「義両親と言える人がいるのだな」

「ええ。もう会えませんけどね。とても、とてもいい人でした」



「……そうか、亡くなったのか」



「勝手に殺さないで下さいよ。生きてますよ」

「ならば、死んだみたいに言うでない!」



「色々とあって戻れなくなったのですよ。ですから、こんな辺鄙な所で自給自足しているのです」



「そうであったのか。所で、お主、いつから此処におるのだ」

「えーっと。五日ほどでしょうか。もう、五日間、何も食べてなくて死にかけていますが、今は一周回ってお腹は空いてませんね」



「お主の方がヤバいではないか。……っ、全く釣れぬ。餌はちゃんとついておるのか!」



 啓は釣り糸を上げると。

 直線の釣り針がぶら下がっていた。



「こんな釣り針で釣れるはずなかろう!」



 啓が釣り針を握り締めて言うと。

 少女は何の感情も見せずに返す。



「ええ、釣れませんよ。でも、それで良いのです。このまま何も食べず。死ぬつもりだったのですから」



 少女は力なく地面に倒れ込む。



「お主、大丈夫か!」

「大丈夫です。お迎えが来たようですから。ほら、其処にいる愚者達が、私を迎えに来てくれました」



 少女が啓の後ろに指をさすと。

 官僚の衣服を身に纏い。

 妙な艶を見せる男と。

 武装した四人の兵が現れる。



 官僚の男は袖で。

 口元を隠しながら口を開く。



「探したわよ。伊尹いいん。よくも夏王の前で私を侮蔑してくれましたね。お礼をする前に逃げたから、こんな汚らわしい山林にまで足を運ぶことになったじゃないの」



「嫉妬に狂った女みたいですね。そんな執念があるのなら。もう少し、政務に励んだらどうですか。ああ、無理ですよね。この中、空っぽですもんね」



 伊尹と呼ばれた少女は。

 自らの頭を人差し指でつついて言い放つ。



「其の減らず口。後悔させて上げるわ。やりなさい、あなた達」



 官僚の男の一声により。

 武装した男達が剣を抜くと。

 啓は釣り竿で肩を叩きながら前に出た。



「事情はよく分からぬが。穏やかではないであるな。お主も、少しばかり言い過ぎであるぞ。まずは、謝罪するのだ」



 啓は伊尹と呼ばれる少女を。

 諫めるように言うと。

 伊尹は軽く首を振って返す。



「謝りませんよ。だって、事実ですもん。そこの官僚は政務をせず。中抜きすることばかり行っていたのですから。百害あって一利なしとは、こう言った人物を指すのですよ」



「中抜きか。……明治のクソ共を思い出すな。気が変わった。僕が刀を抜く前に立ち去るが良い。僕が刀を抜けば、其方らなぞ、一瞬で崩れ落ちるぞ」



 伊尹は啓の身なりを見ながら問いかける。



「ところで、啓。武器は持ってるのですか。釣り竿しか見えないのですが」

「……あっ」



 啓が普段、帯刀している腰元に。

 手を当てるが其処には刀はなく。

 空音が鳴り響く。


「……やりなさい」



 官僚の男がそう言うと。

 一斉に武装した男達が駆けてきた。



「数刻も経たず。また、絶体絶命ではないかぁ!」



 夜空に浮かぶ月は目を背けるように雲で身を隠した。

 

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