第29話 元始羅盤
「待ちなさい! 貴方、何をするつもりです」
「話をしに行くだけさ」
「先に言ったように。これは私達の問題です。貴方が出る幕じゃありません。第一、貴方一人が参戦しても何も変わりませんよ」
「変わるさ。だって、僕は誰よりも強いからね」
湯がそう言うと。
城壁で警備していた。
兵が地面へと落ちた。
兵の胸元には矢が突き刺さっており。
高所より落ちたことによって。
痙攣をおこす。
「……うっ」
妣丙は口元を手で覆うと。
湯は迷いなく矢を引き抜き。
止血しながら告げる。
「落ち着いて呼吸して。……深く、ゆっくり。そう、それでいい」
兵は無意識的に其の言葉に従い。
朧気に意識が定まる。
兵の意識が戻ると。
湯は立ち上がって妣丙に言う。
「後は、僕が何とかする。……大陸を乱した罪が僕にあるとするなら。其のケジメを付けに行く」
「……ま、待ちなさい」
妣丙の言葉が届く前に。
湯は城壁の僅かな窪みに足を掛け。
城壁を飛び越えていった。
常軌を逸した動きに兵が驚愕していると。
「うむ。良い身のこなしだ」
マリは口元に雑穀が付いたまま突っ込む。
「何が良い身のこなしですか。
「以前から、気になっていたのだが。その、元始羅盤とやらは何なのだ」
「知らずに扱っていたのですか」
マリは深い溜息の後に続ける。
「元始羅盤。正式に言うなら、元始魔術羅盤。……人の枠組みを超え。武芸、或いは学芸を修めると。根源、いわゆるアカシックレコードへと繋がります。繋がった者には、宇宙空間が脳内に構築され。配列された星を無意識的に流すことにより。ありとあらゆる制限が解除されます」
マリはそう言うと。
軽い動作で城壁に飛び乗った。
城壁からは敵の大軍と。
それに向かう湯が見え。
湯に向かって大量の矢が。
放たれる。
湯の眼前には。
百を超える矢が向かっており。
不可避の矢の雨が降り注いだ。
湯は腰元の剣に手を当て。
抜刀すると同時に。
五月雨の如く矢が砕け散る――。
矢の雨は残滓となり。
風に流されゆく。
マリはその光景を見据えて呟く。
「星を流すことによって、身体能力の向上に未来予知、直感といった第六感が呼び起こされ。文字通り、一騎当千の力を手にするのです。……此れらの力は、人には過ぎた力です」
啓も城壁の上に飛び乗っており。
納得するように頷く。
「ほう、集中したら。一瞬、星が流れるイメージが駆け巡るのはその為か。……しかし、幕末にて、剣を生業にした者は、当然のようにあのような動きが出来たものだがな」
「……其れは、貴方のいた世界が異常だったのですよ。本来、原始羅盤を開ける者なんて、数世紀に一人いるかいないかですよ」
湯は剣を納刀したまま。
緩やかに敵の大軍へと向かいゆく。
先陣の兵は異様な者を。
見る目で湯を見ており。
次なる矢を放つことに躊躇っていた。
弓を構える兵もいたが。
湯の威圧ある眼に。
捕らえられると硬直する。
湯が迫り始めると。
兵達は剣や矛を強く握り締めるが。
湯はそれでも歩みを止めず。
堂々とした足取りで突き進む。
声の届く範囲まで接近すると。
湯は笑みを浮かべて言い放つ。
「……どいて」
湯がそう言って歩みを進めると。
兵達は無意識的に引いており。
自ずと道が開き始めた。
兵の最後列には。
湯の姿を真似た。
青年がおり。
軍団を割き。
近づいてくる存在に目を疑う。
「おい、おい。嘘だろう」
湯がゆっくりと青年を見据えると。
青年は湯の威圧に呑まれており。
無意識に一歩下がった。
湯は冷たい笑みを見せる。
「さっさと解散して。この馬鹿騒ぎを終わらせてよ。今なら眼を瞑ってあげるからさ」
青年は湯に圧巻され。
言葉を失うが。
兵の視線を感じ取り。
我に返って言い返す。
「……ゆ、
湯の名を語る男が叫び。
周囲に働きかけようとするが。
兵達は動かず。
困惑した表情で立ち尽くしていた。
湯は笑みのまま近づく。
「僕の名を騙るのならさ。せめて、風格ぐらいは真似てよね」
「ぼ、僕の名、ってことは……」
男の額には冷や汗が出ており。
その汗が地面に零れ落ちると同時に。
湯の蹴りが。
男の顎を捕らえた。
男は軽く宙に浮き。
背中から
地面に落ちる。
「なんで、こんな奴にだまされるのかな」
湯は兵達を見渡して言い放つ。
「君たち。帰っていいよ。今なら罪は問わないからさ」
兵達は互いの顔を見合って。
武器を捨て。
急くように逃げ始める。
湯が一息つくと。
妣丙が駆けてきた。
「な、なんて、無茶なことを。偶々、無事だったから良かったものの」
「心配でもしてくれたの」
「心配なんてしてませんわよ。ただ、目覚めが悪くなるのを嫌っただけです」
「あっ、そっ」
「でも、感謝していますわ。あのまま戦ったら。きっと何百の人間が死んだのですから。本当にありがとうございます」
「……」
「……っ。感謝してあげているのだから。何か言いなさいな」
妣丙が湯に振り返ると。
湯は緩やかに膝から崩れ落ちた。
「と、湯!」
湯が崩れ落ちると。
肩に剣を当てている人物が目に入る。
「躱しゃいいものを。女庇って、倒れちゃ世話ねぇな」
妣丙はその人物を見て蒼白する。
「……こ、
昆吾は面倒そうに呟く。
「しっかし。予定が狂っちまったじゃねぇか」
昆吾は剣に付いた血を払う。
「こ、昆吾伯。なぜ、湯を斬ったのです!」
「はぁ? 決まってんだろうが、邪魔になるからだよ」
「邪魔とは何の邪魔ですか」
「この国を潰す為の邪魔に決まってんだろうが。其処まで言わねぇとわかんねぇのか」
昆吾は頭を掻きながら愚痴るように呟く。
「……しっかし。初手で頓挫するとはな。あの詐欺師の計画じゃ。湯を語る者を討ち。此処ら一帯を支配圏に置くつもりだったんだが」
「あ、貴方、まさか、夏に世話になった恩を捨てて裏切るつもりですか」
「世話になったのは、テメェら伯や官僚だけだろうが」
「伯の貴方が其れを言えた義理ですか!」
「はっ。伯の地位ならとうに返したさ。昆吾、伯と呼ばれるのがいけすけねぇからな」
「伯の地位を返したって、まさか、貴方」
「昆吾は、夏から独立を宣言した。……あの王の駒として終える気なぞ微塵もねぇよ。さて、其奴から離れろ。今止めを刺してやる」
「……断ります」
妣丙は湯を抱きしめて言い放つ。
「ささっとどけ。女だろうが斬るぞ」
「斬るというのなら、私ごと斬りなさい」
妣丙の言葉に。
昆吾は自らの後ろ首を擦る。
「……そうかい。其処まで覚悟があるのなら。仕方ねぇな。一人残されるっていうのも空しいものだ。共に送ってやるよ」
昆吾はそう言うと。
其の剣を下ろした。
妣丙が目を強く握ると。
甲高い音が響き渡る――。
妣丙は恐る恐る目を開くと。
啓が粗雑な剣を握り締め。
昆吾の剣を防いでいた。
「感心できぬな。女相手に剣を向けるとは」
「……誰だ、てめぇ」
「なぁに、通りすがりの……調停者とでも言っておこうか」
啓がそう言うと。
昆吾の顔色が変わる。
「調、停者」
城壁にいるマリは。
時代の行く末を傍観するかのように。
二人を見つめていた。
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