二十二 猜疑(二)
いかんせん今回は研究所、いや実質的に省庁からの正式依頼である。シェリルが融通してくれていた時と違い、渡されたデータ量が異なっていた。
先にも述べた通り清香は書類上では要員に入っていないが、実際には上も事情を理解しているため内々で協力命令が出ており、同じようにデータが送られて来ている。
「困ったな、中身が理解出来ないのにこんなたくさん送られても」
とりあえず今まで得た乏しい知識でだましだまし整理してみるが、啓一にとってはいまだにこの手のデータは敷居が高いままだ。
「余り気にしなくていいと思うわ。形式的に全部送られて来てるだけで、助手が使うような資料は見る限りほとんどないから……。とりあえず、指示があったら引っ張り出すみたいな感じで」
「捜査本部からの書類だけは目を通しといて。何頼まれるか分からないと、準備も出来ないしねえ」
清香がそう指示するのに、啓一は軽くうなずく。
「ああ、これですか。昨日の夜、全部読んじゃいましたよ。明らかに必要そうだったんで」
「あれま、早いわね」
「それくらいはしとかないと」
意外そうな顔をする清香に、啓一は盆の窪に手をやってぎこちなく笑った。
(サツキさんと一緒なのが気まずくて、気をそらすために読んでたとか言えんだろ……)
このことである。
ヤシロ家に避難してからこの方、啓一とサツキは同じ部屋で暮らしていた。
何せ宮子を含めていきなり三人増えたのに対し、空き部屋が二つしかなかったのである。
本来なら男女で分けるところだが、よりによって宮子が作業スペースの関係上一部屋使わないと無理とあって、どうしようもなくなった末の措置だった。
若い女性と同室で暮らした経験なぞない啓一には、正直たまったものではない。
サツキは互いに着替えの時などに気を使えばいいだけだからと一切気にしていないようなのだが、それが逆に重圧になっていた。
話を元に戻そう。
「ああ、そうだ。この書類の中で気になってることがありましてね。例の龍骨への掘削跡、あれの調査まで俺たちの役割になるんですか」
既に述べた通り、周防通が焼き討ちに遭う原因となった件の掘削跡には光線欺瞞の類が一切行われていないため、本来なら調査の対象外となるはずだ。
「この書き方だと、一応見てもらって意見だけほしいって感じかしら。重力学が関係ない以上、何言ったらいいのか分からないけど」
サツキがいぶかしげな顔で考え込んでいると、清香が、
「あッ……サツキちゃん、それについては『追記』に言及があるわよ」
そう言ってささっと別の書類を開く。
「これを作成した時点では予定に入ってたらしいんだけど、後で中止することになったみたい」
「あ、本当ですね。……私たちの専門外だと分かってたって言ってるようなもんじゃないですか、何でこんなの入ってたんでしょうかね」
「市からねじ込まれたんじゃないかしら。多分警察の捜査に相乗りして調査するつもりでいたのよ」
「そんなことしてる暇ないでしょうに……」
サツキが頭を抱えたのは言うまでもない。
汚名返上をしたいのは分かるが、少しは状況を考えてほしいものだ。
「これを別の誰かが見て、いかな何でもひどいと止めに入ったってところじゃない?それにしたって、ちょっと遅すぎると思うけど」
「ですねえ……ま、意味のない仕事しないで済むんだから、いいですけどね」
サツキがため息をつく横で、啓一は空中ディスプレイの中の書類を繰る。
「いろいろ書いてありますけど、要するに龍骨入口や点検口関係の調査全部やれってことですか」
「そういうことね。街一つ分だから、かなり数多いけど」
今回の三人の主な仕事は、龍骨入口や点検口を撮影した画像や映像を検証し、突破の可能性や突破方法などを予測するというものだった。
また捜査で重力学がらみの案件があった場合に、理論面から知恵を貸すのも仕事である。
このため一連の仕事は、全て机上で完結するということになっているのだが……。
「……緊急時は実地調査もあるようなことが書かれてますけど、これ大丈夫ですかね」
「ああ、それ。そもそも案件自体があるかどうかが怪しいと思うわ。敵が大量潜伏してるわ、街が半分近くほぼ焦土だわじゃ……いかな何でも危険すぎるでしょ」
そう言って、サツキはちらりと『桜通・大門周防通騒乱被害図』と書かれた地図を見る。
被害を示す網かけや記号類がいくつも書き込まれており、見ているだけで痛々しいものだ。
なお警察では、先日の騒乱を発生地により「桜通騒乱」「大門周防通騒乱」と呼称している。
「それもそうか……」
「お疲れさまです。お茶をどうぞ」
エリナがどこからか現れ、茶をくみはじめた。
「あら、いいのよ。私の仕事なんだし」
「いえ、そっちの方が本業じゃないですか……」
すっかり思考がメイドになってしまっている清香に苦笑する。
「お仕事、警察署まで行くことになるんですか?」
「ものや状況によるけど、シェリルとしては情報漏洩を防ぐためになるたけ来てほしいそうよ。通信傍受対策に念のためってことで」
「あー、傍受ですか……極左暴力集団の
テロ組織やゲリラ組織で通信傍受は定番であるが、極左暴力集団もご多分に漏れずこれを得意としていた。さすがに我々の世界と勝手は違うだろうが、こちらでやっていても驚くに値しない。
「むしろ、今までよく大丈夫だったな……?ばんばんデータやり取りしまくり、通信しまくりだったってのにさ。暗号化とかどうなってんだ」
「そこは大丈夫よ。こっちでは何もしなくても普通に暗号化されるしねえ。さらに工夫すれば、傍受された場合にデータが自壊して吹き飛ぶ仕様にすることも出来るわ。ことによっては、相手が傍受に使ってたシステムをぶっ壊すことも可能とか何とか」
「データが自爆するのかよ、えげつないことするな」
「全部が全部そんなこと出来るわけじゃないけどね。でもあの子は部署が部署だから、普通にそれくらいはしてるわよ」
サツキはそう言って茶をすすりながら、手をひらひらと振った。
特殊捜査課には本来公安警察の管轄になるような案件も回って来ることがあるとのことなので、傍受には人一倍過敏になっていてもおかしくないだろう。
その時、啓一のメールソフトに不意に受信のマークが表示された。
「あれ?シェリルからメール?」
「こっちにも来てるわ。先輩は?」
「来てるわね。珍しいわねえ、ひょいと通信して来そうなものなのに」
シェリルがメールを使ったことは、少なくとも出会ってからはほぼない。
文書として証拠を残す必要がなければ、文字より声で直に伝えた方がいいというのが基本的な考え方らしく、今回の事件でも今まで何か伝えることがあると全て通信であった。
「……何だこりゃ、前言撤回かよ。例の調査、やっぱりやんのか」
メールには一度取り下げられた件の掘削跡の調査を、一転やることになった旨が書かれている。
仕事に一区切りついて多少の余裕が出来ているらしいのだが、そこに余計な仕事をぶち込まれたと言いたげなのが、冒頭からありありと伝わって来た。
「……朝令暮改ですねえ。何があったんでしょうか」
「さあ。ただ一つ言わせてもらうと、市当局少しは自重しろってことね」
啓一が嫌そうな顔で言うのに、清香が渋い顔で眉間をもみながらため息をつく。
恐らく撤回に気づいた者が撤回の撤回を行ったのだろうが、たまらない話だ。
「どうもいただけんな……って、へ?」
あきれながら読み進めると、さらに驚くような話が出て来る。
新たに備後通と備中通の間にある大きな公園の中に掘削跡があることが判明したため、今日下見をやりたいというのだ。
「今日いきなりかよ!?しかも、現地へ直接なんて……急に調査物件が増えたんだし、一応は警察署で話すなり打ち合わせするなりしないとまずくないか」
「そうよね。よほど急いでくれと言われたのかしら」
「多分そうじゃないの?急に見つかって泡食った市当局に、散々拝み倒されたくちでしょ。はあ……せっかく余裕が出来たのに、シェリルもつくづく受難ねえ」
啓一とサツキが口々に言うのに、清香がげんなりとした顔となる。
内容のことごとくに突っ込みを入れたくなるような話だが、こちらは今では正式に雇われの身、嫌でも従わねばならないのだから、さらにたまったものではなかった。
三人そろってげっそりとしていると、ふとサツキの方から呼出音が聞こえて来る。
「あ、私だわ。……もしもし、真島ですが」
『百枝だ、忙しいとこすまねえ』
サツキが電話を呼び出すと、あわてた百枝の声が響いて来た。
「どうしたんですか、そんな急いで」
『確認したいんだが、落合っていう連邦警察の男の刑事知ってるか?刑事殿の部下なんだが』
「え?ええ、こっち来る時の船の中で会いましたよ」
『驚かないでくれよ、その人の偽者がついさっき公民館で出た』
「えッ!?……スピーカーにしますね!」
大急ぎで携帯電話をスピーカーにすると、ざわざわと声がする。現地近くからかけているようだ。
「ほんとですか、そりゃ。シェリルと一緒にいたあの刑事さんの……」
『同じ刑事でも間接的に接点あるんだからな、ぞっとしねえぜ』
百枝の語るところによると……。
公民館で物資を運ぶ手伝いをしていた時、急に男が訪ねて来たのだという。
男は「連邦警察特殊捜査課所属の警部」と落合刑事の名を名乗り、公民館に立ち入ろうとした。
だがその時、町内会副会長がそれを止め、
「君、刑事なら徽章を見せるのが常識だろう」
鋭い声で咎めたのである。
この世界でも警察官は提示を求められた場合、警察手帳ならぬ警察徽章というものを出さねばならぬ。シェリルがよく手のひらに出しているものだが、人間や獣人の場合は専用の端末が存在する。
男は大あわてで提示したものの、副会長は一瞥するや、
「君は連邦警察所属じゃなかったのかね?それは緑ヶ丘市警のものだぞ」
一瞬にして偽物であることを見抜いたのだ。
「あと君の上司の名を言ってみたまえ。特殊捜査課なら一緒に仕事をしたことがあるからね」
のけぞる男に、副会長はさらに迫る。
『いや、不運なやつさ。副会長さんって元市警の警視で、定年直前の数ヶ月だけだけど刑事殿と仕事上のつき合いあったんだよ』
当然答えられず、男は脱兎のごとくその場から逃げ出した。
あわてて副会長が飛び出したものの、石を投げつけられてひるんだすきに完全に逃亡されてしまったのである。
『せめてあたしならまだよかったろうが……いや、駄目だな。ありゃ相当足速かった』
無念そうに言うと、鋭い舌打ちを飛ばした。
「今、警察来てるんですか?」
『ああ。騙った身分が身分だったってんで、連邦警察まで出てるよ。本物の落合さんも来てる。全然顔違うんでやんの、馬鹿にしてやがるぜ』
そのまま百枝が盛大に切歯するのを聞いていたサツキが、
「……シェリルは?」
ふとぽつりと訊ねた。
『えッ、いないよ。だって今相当忙しいはずだぜ?』
「そうですか。メールに余裕が出来たみたいなことを書いてたんで、もしやと思ったんですが」
『そうなのか、なら来そうなもんだな……。しかもメールって、刑事殿そんなの使ったっけ?』
「普段使わない子なんですけど、今回に限って」
『内容は何なんだい、差し支えなけりゃ』
「え、まあ秘密にするようなものじゃないからいいかな……一回取り消しになった調査をやるっていうんですよ。しかも、新しく見つかったものの下見を今日やるって」
『ふうん……』
サツキの言葉に百枝はしばらく黙り込んだが、ややあって、
『……気に入らねえな』
低い声で一言だけ言う。
『いつも使わないはずのメールで連絡して来る。やらないと言ったはずの調査をやるといきなり言い出す、しかも無理矢理下見をやらせる。そこに刑事殿の部下の偽者は出る、だがあの性格のくせして忙しいでもないのに来ない……刑事殿関連でいきなり狙いすましたみたいに不審なことばっかだ。何だか、いろいろ疑りたくなんねえか?』
「ちょっと待ってください。それらに何か裏があるっていうわけですか?」
『まあな。そんな気がするってだけだが……』
「……もっと言うと、敵方がしかけた罠かも知れないと?」
『ぶっちゃけちまえば、な』
この突飛もない発言に、サツキはどう返したものか迷った。
確かに百枝の指摘する通り、シェリル関連で合点の行かないことが一斉に押し寄せて来ている。
しかし個々の出来事につながりを認めるというのは、さすがにこじつけだ。裏があるの罠だのに至っては勘繰りすぎで、考えすぎと一笑に付すのが一番だったろう。
だがここでサツキは、そうして軽く流さずに、
「うーん……気のせいだと思いたいですが、否定出来ない部分がありますね」
悩み悩み、半ば肯定するような返事をした。
「よりによって偽者替え玉を使って来るかもなんて話の後でこれじゃ、思いっ切り疑りたくもなります。私が過敏になりすぎているせいなのも知れませんが」
このことである。
サツキはあの偽者作戦の話に対する警戒から、猜疑心にとらわれていた。
根拠のない話を
だが人が感情の動物である以上、警戒や緊張によって理性や思考のはたらきが普段からは思いもつかぬ方向に向かい、不合理を批判なく受け容れてしまうことはままあることだ。
さらに今回の場合、普段有り得ないことの連続で知らず知らずのうちに疑心暗鬼になりかけていたのが、思わぬ刺戟で炸裂してしまった節があるのだから余計である。
「正直、俺も同じように引っかかってます。何でシェリル周りだけ急にこんなんなってるんだと。しかも偽者事件のおまけつきですから余計に……」
「それよね、非常に臭うわ。確かに結びつけるには根拠薄弱かも知れないわよ?でもね、今までの偽者事件見ても、敵方にしてみれば多少無理あっても攪乱出来ればそれでよしって感じだし。それにどうせ裏で糸引いてるの、あの松村なんだから」
啓一と清香の雰囲気が、明らかにおかしくなって来ていた。二人とも、百枝やサツキと同じように突発的に猜疑心が爆発を起こしてしまったようである。
「ちょ、ちょっと待ってください。それじゃ何ですか、大庭さんの偽者でも繰り出されると!?」
異様な雰囲気にあわててエリナが問うと、三人は重々しくうなずいた。
『そういうこった。刑事殿、あたしらの中じゃ一番顔知られてるからな。あくまで可能性だけど』
百枝も電話越しにそう言う。一応「可能性」などと言うが、ほとんど確信の言い方だ。
(まずいですね、これ……!)
四人が暴走し始めたのに、エリナはたらりと汗を流す。
本物の戦場を経験して来た彼女は、このような不合理が集団を支配することが、最終的に大きな危険を招きかねないことをよく知っていた。
「よく考えてください、ただの偶然ってことも有り得るんですよ!?」
「そうかも知れませんが、注意するに越したことはないでしょう。違っていたら違っていたで、それでいいでしょうに」
「し、しかし……!」
「事実がどうであれ、今日会わなきゃいけないことは既に決定してるんです。私ももちろん本物だと考えて接しますがね……」
「もしちょっとでも妙なとこがあれば……ね」
全員、眼がすわっている。清香に至っては、不穏なことを言って黒い笑みを浮かべる始末だ。
この分ではシェリルが少々変な言動でもしようものなら、偽者だと疑って詰め寄りかねない。
「く、倉敷さん」
『まあ、確かにすぐ疑ったらいけねえとは思うがな。啓一さんの言う通り、注意だけしといて違ってたら違ってたで結果オーライでいいんじゃねえか』
こちらもすっかりその気になってしまい、話を聞きそうになかった。
(マスターや勝山さんを……って、二人ともいないじゃないですか!)
ジェイや宮子に説得してもらおうと思ったが、よりによってこんな時に二人とも出てしまっている。宮子が環境の見直しをしたところ、自宅に置いて来た周辺機器類が必要になることが判明し、かなり大きいから男手がほしいと駆り出されていたのだ。
つまり、この場をエリナ一人で収めないといけないわけである。
あせっていると、いきなり三人の許へメールが来た。
「ふうん、シェリルのやつ……さっそく来いってか。備後通側の出口で待ってるってさ」
不信感を丸出しにした声で啓一が言う。
「こんなすぐに来てほしいってんなら通信するわよねえ、あの子の性格なら。歩くのが面倒なら車を寄越すっていうけど、どうしましょう?」
「断ったらいいわ。もしものことがあったら危ないもの」
全身から警戒の気を吹き出しつつ、サツキと清香が相談し合う。
『ご対面か。あたしも行っていいかな?ここから神社に裏通って出られるし』
「まあ、ほんとはまずいでしょうけど……シェリルなら気にしないでしょう。本物ならですが」
百枝まで来ると言い出してしまい、もはや収拾がつかぬ。
(ああ、もう!)
こうなるともはや行かせるしかないが、放っておくとどう考えてもまずい。
結局エリナが下した判断は、
「すみません、私も行っていいですか?もし何かあった時、お役に立てると思いますので」
自分も同行して監視し、四人が暴走したら止めるというものだった。
ここまで来てしまうと、ジェイや宮子を呼んでも間に合うまい。
葵を一人にしてしまうためまずいと思いはしたが、以前からヤシロ家をそれとなく警備で固めてくれている連邦警察の刑事たちを恃みにするしかなかった。
「いいと思うわ。エリナさん、確実に戦力になるし」
清香が言うのに、一斉に他の三人がうなずく。
(後生ですから何も起こらないでくださいね……!)
エリナは頭を抱えつつ、四人とともにソファーから立ち上がった。
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