十七 棒一本(一)

 桜通の喫茶店で話を聞いた時、その男が思ったのは、

(ああ、馬鹿がいる)

 ただただこれだけであった。

「……そういうわけだ、ちょっと手伝ってくれたまえ。拒否すれば分かってるな」

 眼の前に座った初老の男が、ひどく不遜な態度で言う。

 話を聞けばかなり深刻な状況、しかも自業自得だろうに、なぜこの男は偉そうなのだ。

「分かってますよ。……その前にお訊ねしたいんですが、まずそちらの担当者のところには訊くなり頼むなりしに行ってみたんですか?」

「もちろんだ。だが、何かと理由をつけてこれ以上は無理だと言うばかりでね。専門家なんだから、無理だと言う前にどうしたら出来るか案を出せと言ってやった。まあそんなでもしっかり普段の仕事はしてるから、それに免じてそれ以上は言わず許してやったが」

 これを聞いて、男は担当者に心から同情した。

 具体的に何をしているのかは知らないが、扱うものがデリケートなだけに精一杯の状態だろう。そこに押しかけられてこれでは、たまったものではないはずだ。

 これだけでもうげっそりとしてしまったが、相手がにおわせた通り自分に拒否権はない。

「そうでしたか。でも、こちらで出来ることはかなり限られますよ。本来の役目からあんまり外れたことをすると、足がつきかねませんからね」

「君の場合はそうだな、やり方を間違えるとまずいことになる」

 さすがにそのくらいは分かっているのか、相手は理屈をこねず男の言葉を素直に認めた。

「そこで思ったんだが、君の立場を生かして目くらましの情報を流すというのはどうかね。それくらいならどうにか出来るだろう。情報戦だ」

 男はここで、思い切りため息をつきたい衝動にかられる。

 明らかに思いつきで出したとしか言えないような案だ。確かにそうすれば時間稼ぎになるはなるが、万が一でもうまく行かなかった時のリスクが高すぎる。

 だが、現状で足が一番つきづらいのがこの方法なのも事実だったため、癪ではあったがやむなくこの案を採用することにした。

「それなら出来ます。ただそんなに長い期間はごまかせないですから、その間にきちんと何らかの対策を取っておいてください」

 自分もリスクを下げるのに心血を注ぐからそっちもそれくらいの努力をしろ、と本来は言いたいところをぐっとこらえる。

「君に言われないでも分かっているよ」

 相変わらず傲岸な相手の態度に、男は髪の毛を払いつつ、

「……あと、あんまりうまく行かないからって、やけになって妙なことをしないでくださいね。こちらとしても非常に困りますので」

 思い切り相手に釘を刺した。

「やけだと……私がそんなことをするように見えるか」

 静かに怒りを漂わす相手に、男はあくまで冷静に、

「言葉のあやです。とにもかくにも慎重にやらないといけないですから、こちらが連絡なり何なりしてから動いてくださいというだけですよ」

 肩をすくめながら言う。

「……分かった」

「とりあえず、少々時間をください。なるたけ質の高いものを作りたいので」

「頼んだ。それじゃあ、また後で知らせてくれ」

 普段強気に出ようものなら二倍三倍に返して来る相手が、今回はあっさりと引いた。

 自分の失態を自覚してかと思ったが、性格を考えるとそれは有り得ない。

 気が急いていて、単純に言い返す余裕がなかっただけと考えた方が妥当だ。

 それでも普段見ることのない姿を拝めただけでも、男にとっては少々愉快な気分である。

 いらついているかのようにせかせかと出て行く後ろ姿を見ながら、

偏執狂パラノイヤめが、いい気味だ)

 男は一つ嗤うと、ポケットの中でちゃらりと鍵を鳴らした。

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