十九 天魔(三)

 ただならぬ雰囲気に、ほぼ反射的に啓一とサツキが飛び出した。

「だ、誰か止めてくれ!あたしじゃ限界がある!!」

 奥宮の方から百枝の声が聞こえる。

 藪を半分ぶち破るようにして大急ぎで抜けると、何とそこではまさに狼男という風情の狼族の老紳士が、今まさに縊死いしせんとしているのを百枝が必死で止めているところだった。

「巫女さん、止めないでください!!」

「自殺を止めるな言われて、止めないやつがあるかよ!!」

 獣人は人間より力が強く俊敏なことが多く、本気を出されてしまうと鍛えた人間でも真正面からでは止められないことがある。

 すきを突けばあるいは止め得ることもあるが、紳士はそれすらも与えないほど暴れ回り、意地でも枝から下げた縄に首を通そうとしていた。

 その時である。

「……どいて!えいッ!!」

 後ろから清香が走って来たかと思うと、何かを素早く紳士の足許へと投げつけたものだ。

 次の瞬間、ぶわっと紳士が足をすくわれ、宙に浮く。

「え、え、何だ!?」

 紳士はわたわたと空中でもがきつつ縄を持とうとするが、その縄が輪を上にしてまっすぐ上向きに引っ張られたまま、ほぼ固定されて動かない状態だ。

「今です!いなさん、ヤシロさん、あの人を押さえて!!」

 清香の鋭い声に啓一とジェイが素早く駆け寄り、浮いている紳士の躰を空中でしっかりと抱きとめると、空間を立ち泳ぎするようにしてゆっくりと降下する。

「はあ、サツキさんにやり方教わっといてよかった……」

 啓一がひとりごちて見た先には、先日ジェイが開発した簡易反重力発生装置が転がっていた。

 ぶら下がろうとするのを止めるなら重力の方向を上向きに変えてしまえばいい、そう考えた清香のとっさの機転である。

「よ、よかった……うまく行くか自信がなくて。あ、スイッチ切ってくれる?ごめんなさいね」

 後から追いついた清香が、ほっとした表情で言った。

 そのスカートの中から、ぽとりと装置が一つ落ちる。

(……待て、まさか中に挿せるようになってるのか?)

 どう考えてもそうにしか見えないが、まるで漫画やゲームに出て来るキャラのようだ。清香はメイドを一体全体何だと思っているのだろうか。

 それはともかく……。

 啓一が装置のスイッチを切って向き直ったところで、清香が紳士に駆け寄る。

「大丈夫ですか、荒っぽい止め方になってしまいましたが」

「なぜだ、なぜ邪魔をするんですか……」

 灰色の毛に覆われしわだたんだ顔をぐしゃぐしゃにしながら、紳士は言った。

「あのなあ、何度でも言うが死なせるわけに行かねえだろうがよ。第一、神社の境内で首吊り自殺とか、罰当たりにもほどがあるぜ。もっとも、どこでもやったらいけねえけど」

 百枝の余りにもっともすぎる言葉に、紳士は眼を伏せる。

「医者に診せた方がいいですかね?」

「いや、大丈夫だと思うぞ。意地でも引き止めたから、縄には鼻先も通ってねえはずだよ」

 啓一の言葉に百枝が軽く首を振って答えるのを見て、一同にほっとした雰囲気が広がる。

「ともかく、一旦境内に連れて行った方がいいわ。このままじゃ、事情も聞けないもの」

「そうだな……倉敷さん、いいですよね?」

「ああ、構わねえよ。さすがにこいつは話聞かないわけにゃいかねえ」

 サツキの言う通り、啓一はジェイと二人ではさむようにして紳士を境内へと導いた。

 逃げ出さないよう、前は百枝の他エリナとサツキ、後ろは残りの一同が固めている。

「ああ、何としても死なせてもらえないのか。私は、罪深い男だというのに……」

「何があったか知らないが、話してみなよ。思い込みかも知れないじゃないか」

「いや、巫女さん!私は咎人です、天魔を肥育してこの世に解き放ってしまったんですから!!」

 百枝がなだめるのにも、紳士は自分を責めて聞かぬ。

 こんなことは彼女も初めてらしく、ひどく困惑しているようだ。

 だが、サツキは紳士の叫びに引っかかるものを感じる。

「……天魔?」

 このことだ。ひどく不穏な単語である。

「そうです、お嬢さん!第六天魔王を、じゅんに等しい男を、私はこの街に……!!」

「待ってください、波旬って……そりゃしゃくそん(釈迦の尊称)の修行邪魔した悪魔のことじゃないですか。そんな物騒なやつを引き合いに出すほどの輩って」

 仏教の知識がある啓一が、横から入って問うた時だ。

「……松村です!あの男こそ、その名にふさわしい!」

 紳士の口から、思いもかけない名が飛び出したのである。

「松村……!?あの一新興国産業の、松村ですか!?」

「そうです、この街で松村といえば松村徹也しかいません!あの男、とうとう!!」

「………!!」

 どうやらこの紳士は、松村と以前なにがしかの密接な関係にあったようだ。

 だが、だからといって松村が今回の事件を起こしたことに対し、くびれようと思うほどの自責の念にかられる理由が分からない。

 さらに「肥育して解き放ってしまった」の言に至っては、もはや完全に理解不能だ。

 とにかく、こちらとしてもここまで来ると話を聞かねば収まらない。

「ですから、ですから死なせてください!全ては私の責任なんです!!」

「いいから落ち着けっての!!」

 死ぬ死ぬと繰り返す紳士を、とうとう百枝が怒鳴りつけた。

 こうでもしないと、話が進まない。

(……おい、これどうするよ?松村の名前が出た以上、あたしらだけで処理出来る案件じゃねえぞ)

 百枝に耳打ちで相談されて、サツキがもっともとうなずいた。

 今起きている事件の被疑者と何らかの関係がある人物とあっては、たとい犯罪者でなくともシェリルたちに回した方がよかろう。

 それでなくとも自殺願望の持ち主の話を聞くなぞ、初めてのことでどうしたらいいのか分からぬ。

 自殺願望、学術的にいう希死きし念慮ねんりょを持つ人物は、実に扱いが難しいのである。

(まいったな。刑事殿に頼みたいとこだが、今事件にかかりっきりだし……)

(一応呼んでみますか?)

 エリナがそう言って、内蔵通信機を起動する。

「すみません、お忙しいところ。ちょっと今……」

 一通り説明すると、エリナがぽかん、とした顔になった。

「え、ちょっと待ってください!?今すぐ来るって……もしもし、もしもし!?」

「ど、どうしたんですか」

 電話でいえばがちゃりと切られたようなものなのだろう、あわてるエリナにサツキが問う。

「……走って来るから待っててほしいと」

「あー……あの子、久々にやる気だわ」

「境内荒れるんだよな。でも、言ってる場合じゃないか」

 シェリルを知る面々が一様にあきれたような表情をするのに対し、つき合いの長くない啓一たちは完全に置いてきぼりであった。

「走って来るって……相当遠いぞ、ここまで」

「すぐに分かるわ」

 サツキがそう言った瞬間である。

 つむじ風がいきなり立ったかと思うと、眼の前でシェリルが片手に何やらファイルを持ったまま、髪をなびかせつつ急停止した。

 この間、わずか五分である。

「……はい?」

 啓一は、何が起こったか脳の処理が追いつかず、間抜けな声を上げる。

「お待たせしました。ことがことですから、車出すのなんか待ってられませんでして」

「……おい、どんだけの速度で走って来たんだよ?」

「そうですね……百メートル八秒フラットが最高ですので、それくらいでしょうか」

「………」

 いとも簡単にすさまじい数字を出して来たのに、完全に啓一は黙り込んだ。

 我々の世界での百メートル走の世界記録は、現在九秒五八である。

 こんな見かけ中学生くらいの娘にそれを二秒近く破る速度で走って来られたのを見て、平然としていろということ自体が無理だ。

「普段見せないけど、シェリルって運動能力すごいから」

「すごいどころじゃないだろ、これ」

 思わず啓一とサツキが話し込んでいると、

「な、何が起きたんですか……?あと、この娘さんは一体?」

 件の紳士がのけぞりなら固まっている。

「あ、し、しまった!……シェリル、この人なんだが」

「エリナさんが言っていた人ですね。失礼いたしました。……初めまして、連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルと申します」

 ホログラムを見せるや、紳士は腰を抜かしそうになった。

「け、刑事さんですか!?あ、あの、もしかして、私を訊問しに!?」

「待ってください。罪になるようなことは何もしていらっしゃらないのですから、訊問などすることはありません。こちらのみなさんがこういった状況に慣れないからということで、依頼を受けて代わりにお話を聞きに来たのです」

「いえ、訊問され糺弾されるに足るだけの罪が私にはあるのです。人として余りに重い罪が……」

「話していただかなければ、何も分かりません。失礼ながら、大変な苦しみを心に抱えていらっしゃるとお見受けいたしました。それを吐き出すだけでも、少しでも心が落ち着くはずです。どうか、その胸襟を開いてください」

 そう言い、シェリルは頼み込むようにゆっくりと頭を下げる。

 自罰意識がかなり強いと見込んでいたのだろう、今まで見たことのないほどのていねいさだった。

「場所、どうする?社務所使うか?」

「お願いします。……あと」

 百枝が言うのに、シェリルはうなずいて駆け寄ると、

「……あらかじめ、手の届かないところに物を片づけておいてください。はさみやカッターなどの刃物、鉛筆やペンなど棒状のものは特にいけません。どうしてもどかせない家具類以外、ちゃぶ台と座蒲団だけか机と椅子だけかの状態が望ましいです」

 こっそりと小さな声で指示する。

 これは、希死念慮の強い人物を扱う上で肝要だ。周囲の物を兇器として使い衝動的に自殺を図ることがあるため、話を聞く場所へいたずらに物を置いておくのは極めて危険なのである。

 百枝がうなずいて社務所へ走って行くのを見ながら、一同は老紳士を支えるようにして歩き始めた。

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