十六 造叛(二)

「何でこんなことになるんだよ……」

 自宅の狭い裏庭で、宮子はいらつきながら言った。

 それを示すように、ばたん、ばたんと大きく尻尾がももをたたくほど揺れている。

「来るまでじっとしてて。下手に動いたら……分かってるよね」

 宮子の視線の先にいるのは、何と初老の男性であった。

 しかも土の上へ直に正座したまま、悄然として顔をうつむけているのである。

 眼鏡を威圧するようにぎらりと光らせ、猫族特有のとがった眸をさらにとがらせて男性を見下ろすと、宮子は右手に持ったスタンガンのスイッチをいじりながら一つ舌打ちをした。

「それにしても、敵の幹部に駆け込まれるなんて思いもしなかったよ。……ねえ、平沼さん?」

 鋭いとげのある声に、「平沼」と呼ばれた男は、びくりと震える。

 実はこの男こそ、ホソエ技研の社長・平沼良樹その人なのだ。

 ことの発端はじまりは、つい二十分ほど前にさかのぼる。

 仕事を一通り終え外の空気を吸おうと勝手口を出たら、眼と鼻の先の裏門の前にいきなり平沼が立っていたのだ。

「お願いします、助けてください……!」

 そう言って必死で拝むのに、宮子は、

「……平沼良樹だよね?ホソエ技研の社長の」

 後じさりしつつ、警戒を見せながら訊ねる。

 宮子は昨夜既にヒカリの件について聞かされ、幹部の一人として平沼の面相をしかと見せられていた。

 その男がいきなり眼の前に現れたのだから、確認せずにはおられぬ。

「そうです、平沼良樹です……!どうか助けてください!」

 平沼は突っ立ったまま、歯を食いしばって頭を下げた。

 これに対し宮子は、

「やだよ、知らないよ!」

 ぴしゃりと返すや、勝手口へ急いで入り扉を閉める。

 そして鍵をかけ、冷汗を流しながらそろそろと扉から遠ざかった。

(どうして敵の幹部が僕んち来てんの……!?)

 このことだ。普通に考えて有り得ないとしか言いようがない。

 とりあえず拒絶はしてみたものの、どうしたらいいのかにわかに思いつかなかった。

「ま、待ってください!私の、私の話を聞いてください!!」

 裏門に平沼が追いすがり、叫ぶのが聞こえる。

 距離が少し離れているとはいえ、大の男が大声を上げているのだからすさまじい圧力だ。

 そこに門ががしゃがしゃと揺れる音まで加わり、宮子は耳を押さえて身をすくめる。

 普通の住宅地なら近所の住民が飛んで来るのだろうが、この周辺は元々人家が少ない上に裏の家も空き家というありさまで、すぐに助けてくれる者のいない状態だ。

「うるさいなあ!!警察呼ぶよ!!」

 尻尾を毛羽立たせながらも、気を奮い立たせて叫んだ時である。

「呼んでください!それをお願いしたかったんです!!」

 およそ想像もつかない言葉が平沼から返って来たものだ。

「え、な、何、何なんだよ……!?」

「あなたは連邦警察の方とお知り合いでしたよね!?警察を呼ぶならその方に来ていただけるよう、直接連絡をお願いします!!」

 宮子がしどろもどろになっているのにも構わず、平沼はさらに想像を超えた要求をして来る。

 警察を呼ぶと脅したら頼むと言い、さらに相手を指名するとは全くもってわけが分からぬ。

「どういうことだよ!?それなら自分で警察署へ行けばいいだけじゃないか!!何で僕んち来て、僕に呼び出させるんだよ!?」

 もはや宮子はパニックになったまま、ただ突っ込むことしか出来ない。

 だが平沼はそんな宮子の混乱なぞ知らぬとばかりに、

「駄目なんです、私が直に行くのは駄目なんですよ!ですから連絡をして来ていただいてください、お願いします!!後生ですから!!」

 必死の声でひたすら乞い続けるばかりだ。

「わけ分かんないよ……!!分かった、分かった!!連絡してあげるから騒がないでよ!!」

 さすがにこれ以上叫ばせておくわけには行かないと、宮子がついに折れる。

 ぴたりと声がやんだのにほっと胸をなで下ろしたものの、今度は無性に腹が立って来た。少し仕返しをしてやらねば気が済むものではない。

「とりあえず今そっち行くから、おとなしく待ってて。門は開いてるから勝手に入っていいよ」

 宮子は鋭く扉の向こうに言うや、さっと近くにあった納戸に駆け寄って中をひとしきり漁った後、平沼が庭に立ち入ったのを確認してからわざとらしく思い切り扉を開いた。

 開くや、どんと平沼が庭に尻餅をつく。扉前にいるのを狙ったのだから当然だ。

「そこに正座して。あとは、僕の言う通りにしてね」

 そう言った宮子は弁慶よろしくバットや棍棒やらのこぎりやら木刀やらを「七つ道具」にして背に負い、薙刀ならぬスタンガンを手にして寄らば撃つとばかりの気魄を漂わせている。

 平沼が、一も二もなく従ったのは言うまでもなかった。

「勝山さん、大庭です。失礼します」

 連絡してから十分ほど後、裏門の前の道を通ってシェリルがやって来る。

「ごめんね、忙しいとこ……あんまりにもうるさいんでさ。てか、どうやって来たの?」

 開け放たれた裏門から入って来るのに、宮子が問うた。

「覆面で来ました。とりあえず、ここが見えるような場所に停めてあります。話からするに、正面から堂々と来るのはまずいような感じだったので」

「ま、本人の希望からすればそれが正しいかもね」

 これを聞いて平沼がほっとしたような表情になったのを、二人は見逃していない。

 気になったが、今はとにかく平沼の意図を問う方が先だ。

「連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルです。平沼良樹さんですね?こんなやり方で他人に迷惑をかけてまでわざわざ私を呼び出すとは、一体どのようなおつもりですか」

 ホログラムを示して眼の前に立ち、そう質問した瞬間である。

「じ、自首したいんです……!!自首を!!」

 すがりつくような声で、平沼がそう乞うたものだ。

「自首……!?」

 シェリルは、この発言に瞠目する。

 確かに被疑者と目される者が警察との接触を望んでいるとなると、この展開は有り得ることだ。

 有り得ることなのだが、状況が普通ではない。ともかく早く話を聞かねばならぬ。

「……嘘ではありませんね?」

「嘘じゃありません、信じてください!!私はもう、耐えきれないんです!!」

 その言葉にシェリルの眼が、一気に険しいものへと変わる。

「それでは署で話を……と言いたいところですが、今のように不安定な状態だとすぐに連れて行くのははばかられます。落ち着いてもらうためにも、まずは車の中で軽く事情だけうかがった方がいいでしょう。……ではその前に、念のため所持品を調べさせていただきます」

「はい、分かりました」

 シェリルの言葉に素直に応じると、平沼は持ち物を全て出すとともにかばんを差し出した。

 だが財布と鍵しか持っていない上、かばんの中にも不審なものは一切ない。

「分かりました……って、え!?服ですか!?」

 驚いたことに、平沼はスーツの上着を脱いで渡して来た。何か隠し持っていないか調べてくれということかと解釈してささっと調べるが、特に何があるわけでもない。

 終わると次は靴が差し出された。こちらも普通の革靴でしかない。

 さらにはYシャツやズボンや靴下まで脱ごうとするので、

「待ってください、渡されるまま調べてしまいましたが、ここまでする気はありません。第一、ここは屋外ですよ。裸になろうものならそれはそれで罪になりますから……」

 大あわてで止めたのは言うまでもなかった。

 恐らく危害を加える気はない、また油断させて害を与える気もない、さらにはその力もないことを徹底的に示そうとしたのだろうが、いくら何でもやりすぎである。

「……ちょっと、大丈夫?何だかこいつすっごく病んでない?」

 宮子がどん引いたと言わんばかりに、いか耳になって言った。

 今までの行動だけでも充分おかしいのに、ここまで異様だとそれくらいは言いたくなろう。

「勝山さん、そういうことは……。ともかく兇器や危険物の類は所持しておらず、当方に害を加える意思もないことを確認しました。それではこちらへ、改めてお話をいたしましょう」

「あの、僕は?」

「すみませんが、一緒に来てもらえますか。当事者ですので」

 宮子はぞっとしないという顔をしたが、理屈は分かるため承諾した。

「ありがとうございます。……あ、その武器引っ込めてくださいね、危険ですから」

 平沼が全て服を着終えたのを確認すると、宮子に「七つ道具」を片すように言う。

 それが終わってから細心の注意を払いつつ、平沼を車へ移送し始めた。

 窓にスモーク・フィルムのかかった車の後部座席に座る。

 奥に平沼、手前に宮子を座らせて真ん中に座ったシェリルは、さっそく聴取を始めた。

「まず、どのような件での自首ですか?」

「今起きている『緑ヶ丘女性連続拉致事件』と、夏にあった『UniTuber拉致事件』に関する件です。実はあの二つの事件で拉致された女性のうち三人が、人体改造実験の被害者となっています。……私はその事件を指揮している幹部の一人なんです」

「なるほど、その件ですか。それについては、当方も断片的ですが把握しています。あなたについても、幹部であろうことを既に認知しています」

「そうなんですか……!?」

 眼を丸くする平沼に、シェリルは昨日のヒカリの件についてさっと説明する。

 むろん彼女の証言や記憶から取得した画像・動画類により、平沼を幹部と知ったことも話した。

 平沼は警察側がここまで詳しく事件を把握していたことにも驚いたようだったが、それよりも、

「そ、そんな、亡くなっていたなんて!!何てこった……!!」

 むしろヒカリの死の方に衝撃を覚えたようである。

「そうです、亡くなりました。あなた方の非人道的行為のために」

 顔色一つ変えず淡々と返すシェリルに、平沼はしばし呆然と天井をあおいで黙り込んだが、何とか持ち直して話を再開した。

「それを行った松村と吉竹とその取り巻きたちは、さらに今内乱を企んでいます。同じく私もその計画に参加していました」

 この言葉に、二人がにわかに色めき立つ。

 最悪の想定が、現実に変わった瞬間であった。

「……それは、本当ですね?」

「本当です。ここで嘘をついても、私が得をすることなぞありません……」

 シェリルが注意深く再度問うのに、平沼は声を震わせながら答える。どうやら、本当に嘘をついていないようだ。

「なるほど、よく分かりました。……では、自首にこのような奇妙な手段を取ったのはなぜですか?本来ならば、ご自分で警察署に来るのが常識ではありませんか」

 この質問に、一瞬平沼はどう説明したものかという顔をしたが、

「警察署に直接駆け込んだりすると、やつらに露見する可能性が高くなります。困っていた時、こちらの方が刑事さんとお知り合いだという噂があったのを思い出しまして。一か八かその方にお願いしてみれば、隠密裡に自首がかなうのではないかと……」

 こめかみに汗をかきかき答える。

「あ、あれ?そんな噂、どこで聞いたの?」

「自宅周辺です……鏡団地の近くに住んでいますので」

 とんでもない告白に宮子が言葉をなくす横で、シェリルはひどくあきれていた。

 確かに警察に駆け込むところを見られれば、計画の破綻を悟った松村たちが証拠湮滅や逐電を図り、自首の効果が薄まるどころではなくなった可能性も否定出来ない。

 しかしだからといってこんな変化球どころか暴投に近いやり方で自首しようと考えるなぞ、一体全体どういう発想なのかと言いたくなった。

 もっとも、追いつめられた者が時に異常な判断や行動をするのはよくあることである。事実、自首を乞うた時の声は、かなり切羽つまったものであった。

 ここは必要以上に責めるべきではないだろう、そうシェリルは判断する。

「理由は分かりました。しかし勝山さんに対し大声で叫び続けて恐怖を与えるなど、大変な迷惑をかけたのは事実です。思いつめて正常な判断が出来なくなったがゆえのことと解釈し今回は厳重注意に留めますが、勝山さんへの謝罪はきちんと行ってください」

「はい……このたびは、私の勝手で申しわけありませんでした!」

「あ、はい……」

 歯を食いしばって謝罪され、さすがの宮子も毒気を抜かれてしまった。

 その姿を見るだけでも、平沼がおのれに対する罰を真摯に求めんとしていることは明らかである。

 こうなると、速やかに警察署へ移送してしかるべき処理を行う必要があった。

「続きは署でお聞きします。この車はご覧の通り窓にスモークがかけてありますし、署の地下駐車場に入れば、直接そこから中に入ることが可能なので露見する心配は薄いです。安心してください」

 そう言うとシェリルは車を発進するよう指示し、捜査本部に通信を飛ばし始めた。

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