二十二 猜疑(一)

 翌日から、緑ヶ丘には緊張の糸が張りつめるようになった。

 半分近く焼けこげた中心部には、規制により原則的に警察関係者しか立ち入れなくなり、時折警察官や刑事、パトカーや機動隊の車両が行き交うばかりである。

 郊外の家々もことごとく門扉を閉ざし、人々は逼塞するようにして避難所で暮らしていた。

 これまで例がない大規模な騒乱事件が二日連続で起こり、さらには人体改造事件という即極刑ものの兇悪犯罪が発覚したとあって、市民の不安と恐怖と疲労は日に日に募り行くばかりである。

 しかも騒乱事件について、警察の公式発表では、

「動機などいまだ判明せず」

 とされ、不明点だらけの事件という扱いをされているのだ。

 警察としてはいろいろとつかんでいても証拠が足りない状態のため、このように煮え切らないことを言わざるを得ないのだが、市民の立場としてはわけが分からぬし不気味なだけでしかない。

 このため人の世の常というべきか、様々な噂が立つようになった。

 中には笑殺すべき下らぬものもあったが、そういったものを除けば、

「一新興国産業が関わっているのではないか」

 というところからほぼ全て話が始まっている。

 そしてこうなると、同社の反社会的勢力との関係を知る身としては、

「どこかからまた連れて来て一騒ぎも二騒ぎもやるのでは」

 という方向に思考が向かわざるを得なくなるわけだ。

 経路は異なるが、結果としては警察をはじめとして松村の計画について知っている人々と同じ推測をするようになっているのである。

「……てなわけでさ、次が来るんじゃないかってみんなの不安がすごいぜ。年寄りや病気持ちの人の中には、具合悪くなって近くの病院行きになってる人結構いるよ」

 境内を掃除しながら、百枝は啓一とサツキに言った。

 聞けばよく避難所になっている公民館を見に行っているとかで、その陰鬱な空気にいたたまれなくなることもあるという。

「しかし、沈黙して三日経っちまったな。やっぱり情報収集に時間かけてんのかね」

 百枝が手を止め、ため息とともに言った。

「でしょうね……そっちに多少の時間をかけることは予想してましたが、存外に長いですね」

 二日連続で騒乱をしかけて来たことや、松村自身が戦いをしないで済ますことをよしとしないと思われることから、一同は本格的な蜂起を近日と見なして警戒を続けている。

 だがまるでそれに肩すかしを食らわすように、松村は一切の動きを見せなかった。

 もっとも先日啓一が指摘したように、本格的な内乱を前にして情報収集に舵を切る可能性があったため、少々沈黙している程度では驚くに値しない。

 問題は、これをいつまで続ける気なのかということだ。暴力団に対する家宅捜索が行われれば関係が露見して搦手からの逮捕が可能となるため、日が経てば経つほど不利になることくらいは本人が一番理解しているはずである。

 以前よりさらに松村の思考が読みづらくなり見通しがつきづらくなったことで、一同はひどくじりじりした気分にさいなまれている状態だった。

 こうストレスを感じていては正常な思考が妨げられ、何かあった時にとんでもないへまをする恐れがあるのだが、こればかりはいかんともしがたい。

 眉間にしわを寄せてあごをひねっている啓一に、

「ああ、そうだ。啓一さん、あの話しとかないと……」

 サツキが思い出したように言った。

「あ、そうだった。倉敷さんには、こっちから話してくれって頼まれてたな」

「何だい?何かあったのか」

「ええ。昨日の夜なんですが、シェリルから連絡来ましてね」

「刑事殿が?ようやく連絡ついたのか……」

 あくまで百枝の自宅はこの植月神社のため、用がなければここに帰っている。

「夜の十時でなけりゃお呼び出来たんですが、さすがに迷惑だろうと」

「……ごめん、その時あたし多分酒に酔って寝てたわ。呼ばれてもべろべろで無理だ」

「あ、なるほど」

 百枝の左党ぶりは啓一も知っているので、特に驚かぬ。

 今回の場合、やけ酒に走りたいというようなことを言っていただけに余計だ。

「ま、それはともかく。昨日の夜、すさまじく疲労困憊した声で電話かかって来ましてね。『一月分の仕事が二日で来た』なんて言ってて、もうへろへろでした」

「……何してたんだ?捜査で大変なのは分かるが」

「それがですね、ちょっと詳しくは教えられないと言われまして。いくらあいつでも、おいそれと全部教えられないとこに話が進んで来てるようです」

「ここ来てそれか」

 百枝がむすりとして言うが、これまでほぼ全部教えてもらえていたのが奇跡なのだ。

 現状ではかなり情報がしぼられているようで、その範囲でいくつか教えてくれたようである。

「まず現場の捜査ですが、二日がかりでもまだ終わりきっていないそうです。そりゃまあ、あの広さと被害の大きさじゃ無理でしょう」

 何せ今回は一キロ余りの通り一本と百メートル四方ほどの町一つという広い地域の中で、おびただしい器物損壊と烈しい放火が行われたのだ。百棟を超える建物が崩れかけ、数十本に及ぶ電信柱や街燈が連続で損壊して倒れそうになっているという状態では、鑑識すら簡単に出来たものではない。

 それにいくら暴力団や破落戸連中を逮捕に逮捕したとはいえ、松村が私兵を持っている以上、まだ危険が去っているわけではないのだ。

 また騒乱に乗り出して来ることがないとは言い切れないため、その警戒を行いながらとなり、捜査がなかなか進まないのだという。

「あっちゃあ、見事に手に余してんな……」

「しかも人員もぎりぎりって話ですからね、踏んだり蹴ったりだと言ってましたよ。警戒に多くの人を割かないといけませんから、仕方ないとは思うんですがね」

「人数を増やしてるそうだが、機動隊がほとんどみたいだしな。捜査に使えるような人員は思ったよりいないんだろうよ」

 捜査本部の人員については詳しいことは分からないが、外部から見る感じでは相手が武力行使にこだわっているということからか、最近では機動隊員の姿の方が目立つようになっていた。

「被疑者はどうしたのか、ってのもついでに訊いてみたんですよ。ほら、あんな人数置いておけないでしょう。豚箱に放り込むにしても限界があります」

「ああ、あれか。どうしてんのかと不思議だったんだよな」

 各警察署の留置場を全て使ったとしても、九百人という人数を留置出来るとは思えない。まさかぎゅうぎゅうに押し込めるわけにも行かないので、みなどうするのかと思っていたのだ。

「じっくり取り調べする必要のあるやつ以外は他の市に頼んで一旦外に出すんだろうか、なんて素人考えしてましたでしょう。それをぶつけてみたんですよ」

「ところが……一応そうみたいなことは言ったんですけど、どうも変な感じだったんですよね」

 これはサツキである。

 この質問にシェリルは、

『まあ、そういうところですね』

 そう答えただけで、それ以上何も言及しなかった。

 サツキにはこの反応が、どうにも引っかかったらしい。

「何だか言い方が、『その辺は訊くな』みたいな感じで……変だなって思ったんですよ」

「そう言われてみれば、確かに刑事殿にしちゃちと淡白かなって気はするけどな。でもあたしは単に流しただけなんじゃないかって気がするぞ」

「俺もそう思います、取り立てて言うほどのこともないからと」

「そうねえ……でもどうもねえ」

 サツキはまだどうにも納得しきれないという顔をしてはいるが、あくまで感覚的なもののため反論するのがはばかられたらしく、そう言ったきり話を打ち切った。

「がさ入れなんかについては、何か言ってなかったのかい?」

「いや、それこそ一番教えてくれないやつですよ……」

 百枝の問いに、啓一は頭をかきながら答える。

 そもそも家宅捜索というものは、逮捕と同じで抜き打ちで行うものだ。証拠を取るために捜索を行うのだから、捜索日が漏れて湮滅を図られては意味がない。

 別に一同を疑うわけではないにしても、それとこれとは話が別だ。

「だから『引っ張らず令状取れたらすぐに』だけでしたね」

「もどかしいが、まあ仕方ねえわな。松村につながる証拠が取れるかどうかがかかってんだし」

 百枝はそう言うと、ほうきを立てて手とあごを乗せる。

「それで、刑事殿には例の推測の話はしてみたのか?意見ほしいって話になってたし」

「しました。というより、こっちとしてはそれがメインだったので」

 一通り話してみると、シェリルはひとしきり考え込んだ後、

『なるほど……いい観点からの推測だと思います。殊に松村が戦わずして逮捕されるをがえんじず動くかも知れないというのは、納得出来る話です』

 そう感心したように言った。

 しかしその一方で、

『ですが「日を空けているのは情報収集のため」と言い切るには、いささか問題があります。まず一番はそれでしょうが、同時並行で捜査攪乱や妨害をも行おうとしているようです。私たちが遭遇した事件から考えると、その可能性は極めて高いですね』

 このようにも告げられたのである。

「え、何かあったのか」

「簡単に言えば、刑事のなりすましがあったんです」

「なりすまし!?」

 おとつい、市警の警部補になりすました男が自分の部下ではない巡査に声をかけ、「緊急の案件がある」と言って連れ出した。

 名を騙られた警部補は実在しており、騒乱鎮圧での負傷で入院していたのだが、当人の顔と事情を知らない巡査はこれをあっさりと信じてしまったのである。

 もっとも男は巡査に暴行しただけで、特に何か情報を得ようとするようなことはしなかった。

 巡査が気を失ったため、男は今も逃亡している。しかし襲われた際に巡査が必死に相手の顔を撮影していたため、それを元に調べてみると極左暴力集団の構成員が被疑者として浮かび上がって来た。

 しかも大門町で裏から現れ騒乱に参加しようとして、啓一にしたたかに打擲ちょうちゃくされた構成員たちと同じ集団に属していたため、一時捜査本部は色めき立ったのである。

 だが、捜査でいくら洗ってもこの巡査が狙われる理由自体が分からぬ。

 相手との接点がないばかりでなく、極左暴力集団との接点すらない。それどころかそもそもが今年入ったばかりの新人で、極左暴力集団なぞ知識でしか知らなかった。

「何だそりゃ。新人ぼこって何がしたかったんだ、そいつ?」

「さあ、皆目見当がつかないというのが正直なところです」

 しかも、なりすまし事件はこれだけではない。

 同じ日に市民病院のある藤塚地区の避難所に連邦警察の警部になりすました男が現れ、身を寄せていた中心部の市民に聞き込みをして帰って行くという事件が起きていた。

 これも本人は実在しているが、事件当時は周防通で捜査指揮中で郊外には近づいてすらいない。

 防犯カメラに写っていた顔から調べると、今度は先の事件とは別の集団の構成員である疑いが浮上したが、やはり逃亡している上にそもそも行動の意図が分からぬ。

「聞き込みだけかよ。要は刑事ごっこしただけじゃねえか」

「そういうことですよね。さっきの暴行以上に何の意味もありません」

 さらに同じ日、連邦警察の巡査部長になりすました男が空港に現れ、いくつかの質問を空港職員に対し行っている。

 この巡査部長も実在しているが、何と空港担当でターミナルの隣にある自家用船専用棧橋を目下警備している最中であった。

 男は本人が休憩に入って一時的に持ち場を離れ、さらに空港職員が勤務交替したところを見計らって現れるという大胆な手段を取り、本人が帰って来る前にいずこへともなく消えたのである。

 やはり防犯カメラの映像や証言から、また別の集団の構成員の疑いが出て来たが、逃げおおせられてしまっている上、質問内容も犯罪につながるようなものではなかった。

「今度は本人のすぐ近くで偽者登場かよ、大胆すぎるだろ」

「しかも気味が悪いのが、かなり本人に似てたらしいってことなんですよね。下手すれば、顔を知っている人でも騙されるほどだったそうです。だから最初から狙いを定めといて、周到に準備してから変装したんじゃないかって言ってました」

「そこまでしてやったことが意味のない質問って、何したいんだ……」

「そうなんですよね。いずれにせよ、どれも怪事件です」

 この三連続のなりすまし事件に、捜査本部は大いに揺れた。

「極左暴力集団の構成員が刑事になりすまし逃げおおせた」

 この事実が、これらの事件を一気に重大なものにしたのである。

 ただでさえ警察にとっては不倶戴天の敵であり、今起こっている兇悪事件の犯人が持つ武装組織に主要兵力として与しているような輩に、このようなことをしてのけられるなぞあってはならぬ。

 特に空港の事件は、本人がいる場所で顔を似せてすり替わるという巧妙なものであり、これをやられてしまったことは極めて痛い。

 そして何よりの問題が、警察の信用が下がりかねないことだ。ここで変に市民に疑われては、捜査に支障が出ることも有り得る。

 さらにこれで警察官同士が相互不信に陥ろうものなら最悪だ。捜査体制が揺らいでしまう。

 これらのことを防ぐためにも、絶対に見逃してはならぬ事件であった。

『これは実質的な捜査攪乱ないしは妨害に相当します。警察にいろいろ揺さぶりをかけられる上、人員を割かせしめることが出来る。捜査をやりづらくさせるには充分ですよ』

 あくまで静かな声だったが、シェリルはかなり怒っている。

 吉竹爆殺の時ほど露骨ではないが、今回の件にも挑発の意味がこもっていると思われるからだ。

「ああ、刑事殿は本部長だしそら腹も立つわな。……でも、何でまた偽者なんだ?他にも妨害方法なんていくらでもあるじゃねえかよ」

「それ、俺も思って訊いてみました。結論としては……いつものあれです」

 つまりは、「悪の組織」を手本にしたということである。

 「悪の組織」がヒーローの偽者を作り、替え玉として本人の居ぬ間に悪事をはたらかせたり、ヒーローと対決させたりするのはそれなりにあることだ。

『色違いのマフラーつけたのずらずら並べたりしてますからねえ。あれにヒーロー側が随分振り回されたのを考えると、偽者を使って攪乱するのが効果的だと思ってもおかしくありません』

 シェリルも『仮面ライダー』の偽ライダーを引き合いに出して、そう言ったのである。

「そうか、確かに複数話使ってようやくやっつけた気がするな。相手が多かったせいもあるが」

「それでなくとも闇社会じゃ、偽者だの替え玉だのは普通らしいですからね。『悪の組織』云々抜きにしても、そういうのは頭にあったでしょう。ただ、シェリルが危惧しているのは単なる偽者じゃないらしいんですよ」

「え?」

「アンドロイドを使った偽者なんです。最近だと数年前にありましたけど……」

 啓一の後を受け、サツキが厳しい顔で言った。

 この世界での偽者や替え玉を使った犯罪は、二十三世紀に相当するというだけあって我々の世界のそれとはやはり勝手が違う。

 その中でも一番悪辣なのが、本人にそっくりのアンドロイドを造ってしまうというものだ。一から造ってもよいし、別のアンドロイドを改造するのでもよい。

 もっとも大がかりにすぎる上、造った時点で法律に引っかかり一生臭い飯を食う羽目になるのでほとんど事例がないのだが、それにも関わらずシェリルはこれを一番警戒しているというのだ。

「ええ……?何ぼ何でも大げさすぎるだろ、それは」

「いや、松村の本業を考えてみてくださいよ」

「あッ、そうか」

 忘れてしまいそうになるが、松村の本業はアンドロイド委託製造会社の専務である。実際に造れるだけの能力を有しているのだから、姿を似せたアンドロイドをでっち上げるなぞ朝飯前だ。

 それに手本にしている「悪の組織」が、規模の大小はともあれ実際に何度もやっているので、自分も取り入れようと考えてもおかしくはない。

 実際にある手口であり、自分の持つ環境で簡単に実行出来るものであり、手本と崇め奉る「悪の組織」の作戦にもあり……となれば、やろうと考えるのも決して荒唐無稽な話ではなかった。

「でも狙うには、あっちがあたしらを敵として認知してないといけないだろ?あと、面も割れてないといけないだろうし……」

「それが、先日認知されちゃったんですよ。少なくとも、俺とサツキさん含め四人は」

「あッ、そうか!敵の眼の前で派手に騒いだもんな!」

 啓一たちも指摘されるまで全く自覚がなかったのだが、今回の騒乱はエリナ・啓一・サツキ・清香の四人が大きく介入したことで鎮圧に至った側面がある。

 これは逆に言えば、敵側にしっかり認知されてしまったということを意味するのだ。

「……こりゃ刑事殿が警戒し始めるわけだわ。多分刑事殿と関係あるのも分かってるだろうし、五人偽者が作れるぞ。……最悪な話、替え玉が入り込んで来て大混乱とかになりかねないのか」

 百枝が少々青い顔をして身震いする。

「いや、理屈としてはそうなりますけど……実際にはそういうのは有り得ないとのことです」

 実は啓一もこれを最初は懸念した。この世界のこと、どこから何が出るか分からない。

 そのため訊いてみたのだが、返って来たのは冷ややかな突っ込みだった。

いなさん、確かに可能ですが……どうやって本人らしく見せるんですか』

 このことである。

 今回のことで確かに認知はされただろうが、松村にとって赤の他人なのには変わらぬ。

 替え玉というものは何も知らぬ他人の前に出すならまだしも、知人の前に出すとなると本人と変わらぬ言動が出来なれば意味がない。接点のない者たちの人格や言動を五人分も探ることなぞまず不可能なのだから、やろうとしてもやりようがないわけだ。

「あ、そうか」

 説明されてすとんと納得が行ったのか、百枝が気の抜けたような顔をする。

「あるとすれば、今回の事件みたいに本人の居ぬ間に云々ってのが関の山だろうって話です」

「……それなら普通に人間や獣人使った方が早くね?実際それで警察相手にやりおおせてんだし」

 百枝が身も蓋もない突っ込みをするのに、二人は思わず眼をそらした。

「まあシェリルとかエリナさんとかあいさんとか、アンドロイドいますし……」

「組立線見えないし、近所に聞き回らないと分からないと思うけどなあ。こんな情勢下でそんなんやったら、怪しまれるだけだぞ。……刑事殿は元々お偉いさんで捜査本部長だから、大がかりに調べなくても知る手段はあるかも知んないけどさ」

 二人が気まずそうな顔を崩さぬままなのに、百枝は盆の窪に手をやる。

「まあ、これも結局いつものあれだよな。『悪の組織』のお手本通りってやつ」

「そういう解釈するしかないですよね。……ったく、結局これで済んじまうのが嫌になります」

「しかも実際にそう考えないと平仄が合わないっていうのが、地味に嫌な感じですよね。まじめな話なのに冗談っぽくなっちゃって。何も知らなかったら私でも『何でもそれなの?』になりますよ」

 確かに全部このように何でも「○○のせいだ」と言い続けていたら、はたから見ると何かのギャグにしか思えないのも事実だ。

 げに恐ろしきは、それでしか説明出来ないような程度の行動原理でずっと変わることなく動き続けている松村その人というべきか……。

「まあともかく気をつけろとのお達しですので、倉敷さんもそのつもりで」

「分かったよ。今度から組立線がないかどうか、確かめさせてもらうぜ」

「ハラスメントですよ」

「冗談だっての、刑事殿いるから分かってるよ」

 サツキが鎖骨の辺りを手で隠しながら言うのに、百枝が苦笑しながら返す。

 実際アンドロイドに対して組立線を見せるよう強要するのは、種族に対するハラスメントに相当するので、このような反応をされても当然だ。

 それを啓一は苦笑しながら見ていたが、ややあって、

「それともう一つ、言っておかないといけないことがありましてね」

 急にまじめな声となって話を変える。

「俺たち二人、正式に研究所の方から連邦警察への協力を命じられたんですよ」

「え!?そんなことしなくても、刑事殿が引き込んでくれたんだからよくね?」

 現状でも二人は、シェリルの計らいによって「研究者チーム」の一員という名目で、捜査関係者の扱いとされているはずだ。

「それが、お母さんのところに科学技術省から直に依頼が来たんですよ。内務省に『連邦警察への協力要員を出してほしい』と頼まれたとかで」

 この国には内務省が存在する。我々の世界の日本で「内務省」というと、戦前に強大な権力をかさに国民を虐げたことから悪印象があるが、ここでは名前だけで現在の総務省と変わらない存在だ。

 連邦警察を管轄するのが内務省、重力学研究所を管轄するのが科学技術省なので、まさに互いの頭の上同士でやり取りが行われて話が下りて来たわけである。

 言い方を変えると、省が自ら出るほどの重大な案件と見なされたということだ。

「どうやら連邦警察経由で『今回の事件で重力学の悪用により市が危機にさらされるおそれがある』という話が内務省に行ったようでして。さすがにしゃれにならないと、こういう事態に……」

「で、結局ご母堂がそれ受けて、あんたと啓一さんに協力するようにと」

「そういうことです。まあ現地に研究員がいたんですから、ちょうどいいわけですし」

「俺なんか大したこと出来ないんですが、まあ人手があって悪くなかろうということらしいです」

 ぴんと来ないという顔で、啓一が盆の窪をかく。

「清香さんはどうすんだ?」

「事件の被害者ですから、休職扱いで今回の命令からは外されてますね。もっともそれは建前で、要員には入ってますけども」

「……やっぱり立場微妙だな。裏でいろいろあっての今の状況だし」

 実は警察の人体改造事件公表後も、清香の置かれている状況はさして変わっていなかった。

 何せいまだに一同や捜査本部の刑事たちの前以外では、自分が被害者とも言えないし「英田清香」と名乗ることも出来ないのである。

 そもそも清香が今のようにアンドロイドとして命永らえていること自体が、常識的に考えて有り得ない話なのだ。脳以外完全な人形に改造されてしまった人物を、アンドロイド素体へ意識を移すことで助けることなぞ、この世界の技術では一切出来ないからである。

 さらに行為自体は人倫にもとらずとも、シェリルが粋な計らいをして見逃しただけであくまで違法行為なのには変わらないのだ。

 簡単に言えば、公表出来ない裏事情が余りにも多すぎるのである。

 もしこの状態で下手に正体を明かせば、市民側も何が何やらわけが分からず大騒ぎになるし、松村側も同じく状況が理解出来ず大混乱を起こして捜査に影響が出るのは確実だ。

 そのためにも、清香には今しばらく従前の通りにしていてもらうしかないのである。

「もっとも今は私たち以外の知り合い、具体的にはご近所さんがみんな避難してて顔を合わす機会がありませんし。それに松村側が顔を見ても、先輩本人と同定出来るかはちょっと怪しい感じがします。名前を知って深く詮索しようと考え出せば、まずいかも知れませんが……」

「うーん、清香さんがぼろ出さなければ大丈夫だとは思うけどなあ。今まで一切へまこかなかったんだし、うまくやりそうだけど」

「まあ実際に英田さん、見事に演じてたみたいですから。そんなんですから問題ないとは俺も思うんですけど……。そこら辺、出来れば一度シェリルと詰めたいんですがね」

「今の状況で簡単につかまるかねえ……」

 啓一の言葉に、ほうきを肩にかつぎながらぽつりと百枝が言った。

「しっかし、二人とも大変だよな。……といっても、今回は望むところか」

「そうです。元々この街を救うつもりで、お母さん黙らせてまで逗留し続けてましたからね。国のお墨つきでいられるなら、まさに渡りに船ですよ」

「俺も同じくそのつもりでいましたから、ちょうどいいですよ」

「……すっげえな」

 すっかりほぞを固めた二人に、百枝は押され気味になってつぶやく。

 正直なところ、ここまで外部の者が縁もゆかりもない自分たちの街を救うのに奮闘してくれるとは、夢にだに思わなかった。

 いくら清香が拉致改造されたことに対する意趣返しの側面があるとはいえ、自ら鉄鎚を下さんとすら考えていてもおかしくないようなこの力の入りぶりは、さすがにやりすぎの感がある。

 だがそう言ってみたところで、もう後戻り出来ぬのも事実だ。

「……あんま、無理すんなよ」

 百枝は、ただこう声をかけるしかなかった。

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