十八 暁鐘(二)

 それからややあって……。

 市庁にある都市保全部の室内で、受話器を持ったまま一人の男が固まっていた。

 さもありなん、それまでコンピュータの操作音と物音などが響いていた電話から、先方にいるはずのハッカーとも刑事とも異なる女性の声が聞こえて来たからである。

 この男こそ、目下裏切りを疑われている小川寛その人だ。

 休日出勤をしているため、室内どころかこの階にいるのは彼一人だけである。

『はじめまして、都市保全部の小川寛様ですね?お忙しいところ、突然失礼いたします。私はこのたび、大庭刑事より捜査協力を依頼されております、重力学者の真島サツキと申します』

「はい、確かに小川ですが……どのようなご用事ですか?」

『大庭刑事より、小川様の作成された『龍骨欺瞞破壊対策の手引』と添附資料を見てほしいと頼まれ、一読させていただきました。つきましては、それに関するお話を、と』

 件の資料の名を出されて一瞬びくりとしたが、捜査協力をしている同業者という時点でこの話をされる可能性があってもおかしくはなかった。

 相手がどれくらいの知識を持っているかは知らぬが、簡単にあれだけのからくりを見破られはしまいし、まして偽造とも気づかれまい。

 そう自分を奮い立たせながら、改めて受話器を持ち直した。

『いや、実にお見事なものです。よく重力学について理解されておりますとともに、極めて使いどころの難しいとされている理論まで使いこなされていて……これならば、満点でしょう』

 サツキの言葉に、小川は胸をなで下ろす。どうやら、ばれてはいないようだ。

 だが、礼を言おうとした瞬間である。

『……もっとも同じ満点でも、偽造文書として満点なのですが』

 サツキが突如、爆弾を放り投げて来たものだ。

「なッ……」

 小川が飛び上がったのは言うまでもない。

 さっきのほめ言葉は完全なフェイントで、

(偽造がしっかり露見していた……)

 ことが分かってしまったからだ。

 小川が次に何を言っていいものか混乱するのにも構わず、サツキはまくし立てる。

『いやはや見事なものです。論点をじりじりと数頁にわたってじっくりとすり替えて行き、記述も巧みにそれを欺瞞するように工夫されている。数値の使い方も、かなりの部分ではきちんとした使い方をしながら、その中に隠して都合のいいように使用を行っている。一見すると分からないのが実ににくい。画像も、まあどれだけいいソフトをお使いになったのか、どれだけ時間をかけたのか、本当に細かい加筆削除がなされていて、素晴らしい仕事と言うべきでしょう』

「………!」

 皮肉をたっぷり込めた指摘が次々飛び出して来るのに、何か言い返そうとするが、完全に押されてしまって何も言えぬ。

 いや言い返そうにも、いちいち指摘が正鵠を射ているので無理というものだ。

『さてそれでは、総評はここまでにして細かい指摘に移りましょう。まず五頁ですが……』

 小川の反応を一切無視して、サツキは具体的な頁数と記述や図を挙げながら、その論理的矛盾や捏造箇所などを次々と指摘して行く。

 あくまで口調はていねいなのだが、人格否定一歩手前というほどえげつない言い方だ。どんなに厳しい学術雑誌の論文の査読でも、さすがにここまでは言わないというほどである。

 露見したというだけでも衝撃なのに、こう来られてはもはやパニックになるしかなかった。

『……そのようなわけですので、私としましてもこれは、到底重力学者の書くべきものとは認めがたいと結論づけざるを得ません。しかもこれは公文書です。その性質と重要さとを鑑みるとこのようないい加減なものが本物とは思えませんので、偽造と判断いたしました。それほどまでにひどいものというわけです。そうですね、もしここに記されている内容を論理展開も何もそのままに研究論文へ改稿して学会誌に提出されたならば、査読結果は確実に……』

 サツキはそこで思い切りためを入れると、

拒否リジェクトです』

 そう宣告する。

 次の瞬間、小川は思い切り電話をたたき切っていた。

「はあッ、はあッ、はあッ……」

 滝のように冷汗が流れて止まらぬ。

 相手が何者かは知らないが、捜査協力者にここまで完全に見抜かれたからには、そのまま警察にも伝わっているはずだ。

 急いで松村に電話しようと、受話器を取ろうとした時である。

 いきなり電話が鳴った。

「ひいッ」

 短く叫ぶが、いつまで待っても鳴り止まぬ。

 困り果てて取ると、果たしてサツキであった。

『突如お切りになるとは、さすがに失礼ではありませんか。お伝えしたことが、相当に衝撃的だったのは理解いたしますが……』

「あ、あんた一体何者だ!!普通の学者じゃないだろ!!」

『え?普通です。ただ国立重力学研究所の研究員というだけで、別に変わったことはありません』

 悠然と言うサツキの言葉に、小川はしばし考えて、

「………!」

 ある記憶に息を飲む。

 国立重力学研究所の真島サツキ――「天才」とうたわれ、二十歳で研究員に抜擢されたという重力学界一の麒麟児。その人だと、やっと気づいたのだ。

(と、とんでもないのがよりによって……!!)

 小川はあせっているが、同業者が聞いたなら「名前を聞いた時点で気づかない方がおかしい」と冷たく突き放すだろうし、下手すればもぐり扱いすらするだろう。

 普段はごく普通の狐族の女性なのですっかり忘れてしまうが、重力学の世界においてサツキはそれほどまでに有名な存在なのである。

 それをころりと忘れていた時点で、もはや小川の負けは決まったようなものだったのかも知れぬ。

『ところで、このような偽造行為をなぜ行われたのですか?もしかすると……公僕でありながら市民を裏切り、本来仇敵たる一新興国産業に与したのではありませんか?』

「………!」

 匕首あいくちの切っ先をのど笛へ一気に突きつけられた小川は、またも電話をたたき切った。

「くそッ、このッ!」

 悪態をつきながら、次は鳴らせまいと動き出す。

 携帯電話なら着信拒否で消して終わりだが、固定電話は災害時などの補助通信機器として実体を持たせるよう法令で定められているため、そのように器用なことは出来ないのが実情だ。

 そのため応急的かつ強制的に着信を拒む方法は、ただ一つしかない。

「こッ、これならどうだ!」

 受話器を上げてしまうことだ。意外なほど原始的だが、実体がある以上これが一番である。

 だが市庁という場所である以上、小川の電話一台鳴らないようにしたところで電話番号を共有した他の電話が鳴るだけだ。

「そうだった……!」

 自分の間抜けぶりに舌打ちした小川は、そこで奇妙なことに気づく。

(電話が一台しか鳴っていない……?)

 このことであった。

 代表番号ならばこの部屋全て、小川の所属するコロニー保全課への直通番号でも十台余りの電話が鳴るはずで、一台だけ鳴るなぞ有り得ない。

「ど、どうしてだ……!?」

 鳴っている電話の前に思わず飛び出した結果、受話器が転んでしまった。

『またも失礼な方ですね。質問にお答えいただきたいのですが……』

 サツキの声が流れ出すのに、反射的にたたき切る。

 だが受話器を外してしまおうと少し持ち上げた瞬間、間に合わず再び鳴り出した。

 しかも今度は、二台だけである。

 持ち上げきる前だったために、やはり取った形となった。

『もう失礼はとがめません。お答えをいただけますか』

 サツキの声が聞こえて来るのに再び切ろうとして、小川はもう一台の電話が会話中もずっと鳴り続けているのに気づく。

 呼び出し音の圧力に無視出来ず、取って両耳にヘッドホンのごとく当ててみた瞬間だ。

『聞こえてらっしゃいますか?』

 何とサツキの声が、ステレオで流れて来たものである。

「なッ、なッ、なななッ!?」

 小川は危うく腰を抜かしかけ、その場でよろめいた。

 二つの電話で同じ通話につながるなどというのは、どう考えても有り得ない。

 冷汗を飛ばしながら二つともたたき切った小川は、今度は電話を先んじて封じようと、鳴っていない電話の受話器を上げ始めた。

「くそッ、何でうちの部はこんな広いんだよ!」

 台数の多さに切歯しながら、とにかく上げて行く。

 しかし、その努力も間に合わなかった。今度は、三つだけ電話が鳴ったのである。

 恐る恐る三つとも取ってみると、

『お答えをいただけますか?』

 サツキの声が三重になって聞こえて来た。

「げえっ……」

 たたき切ると、今度は四つだけ鳴る。取ると、サツキの声が四重に聞こえる。

 とうとう小川は恐怖から、電話を床へ投げ捨て始めた。

「こ、これで、これで……」

 乱雑に投げたため、全て受話器は外れている。鳴ることはないはずだ。

 しかし安堵した瞬間。

 全ての電話が突如として鳴り、通じないはずの受話器から、

『いい加減にお答えいただけませんか。往生際が悪いですよ』

 一斉にサツキの声が流れたものだ。

 もはやこうなると、怪奇現象としか言いようがない。

「うわああッ……!」

 たまらず、小川は部屋を飛び出した。

 そしてすぐそばを通りがかった連邦警察の刑事にすがりつき、

「刑事さん!助けてください!!あの電話を止めてください!!お願いします!!私の負けです、自首しますから、自首しますから!!全部、全部お話ししますから!!」

 錯乱しながら必死に助けを乞い始めたのである。

 余りの絶叫に、この声はシェリルとサツキたちにも聞こえていた。

「あら、やりすぎたかしら」

『やりすぎたかしらじゃありませんよ。明らかなオーバー・キルです』

 回線をサツキたちへ切り替えたシェリルが、あきれたように言う。

「片棒かついだくせに、今さら何言ってんの」

『まあそうですが……まさか固定電話に対してハッキングもどきをさせられるとは』

 実はこの怪奇現象こそ、サツキがシェリルに頼んだ件の「作戦」であった。

 そもそも単騎でハッキングが出来る身、電話を操作するなぞ赤子の手をひねるようなものである。

 鳴らす台数を絞れたのと複数台で同じ通話を流せたのとは、市庁内の交換機に忍び込んで都市保全部につながる回線を掌握し、一時的につなぎ変えるなどの細工をしたためだ。

 また受話器の外れた電話を鳴らし通話を流せたのは、さらに末端の回線を使用して電話機本体まで掌握し、本来の仕様を無視した動作が起こるよう操作したためである。

 こう書いてしまうと何のことはないのだが、知らなければかなりの怪奇だ。

 それを波状攻撃で食らった小川が、おびえ錯乱したのもむべなるかなというところである。

『あ、ちょっと待ってください。……はい、自首を確認しました』

 該当の刑事からの連絡なのか、一時的に回線を切り替えたシェリルは、すぐに戻って来て一同に小川の自首を報告した。

『とりあえず、小川の処理については本部と相談をします。ちょっと切りますね』

「分かった。また何か動きあったら頼むわ」

 通話が切れ、部屋の中にどこか安堵したような空気が流れる。

 ここから先は、シェリルの管轄だ。恐らくは小川が泥を吐けば、裏切りが明らかになろう。

「……ああ、すっきりした」

「言うだけ言ってやったわね。しかもついでに驚かすとか、意外と性悪なんだから」

「先輩だって愉快そうにしてるじゃないですか」

 愉悦にひたりながら話すサツキと清香に、一同が顔を引きつらせたのは言うまでもなかった。

 そうしているうちにまた電話がかかって来る。今度は宮子であった。

『サツキさん、大丈夫かな?』

「大丈夫ですよ。こっち、スピーカーになってますけど通常に戻しましょうか?」

『いや、いいよ。他の人に聞こえても別に構わないし』

「そうですか、それなら……。今、そっちどうなってるんですか?」

『今は僕一人だよ。シェリルは一度本部に戻るって言って出てった。作業が中途半端だし、また来るって話だけども。それにしても人を置き去りにしてもう……』

 宮子は明らかに困惑している。

 彼女曰く、シェリルは資料を一読した後「通信します」と書いたメモを差し出して押し黙り、一時間ほどしたらコードを召喚し固定電話に接続してまた押し黙り、というありさまだったとのことだ。

 それが終わった途端、大急ぎで簡単に事情を話したかと思うと、そのうち戻るから迷ったふりを続けるよう指示し、本部へ飛んで行ってしまったのだという。

『内蔵通信機の仕様は知ってたけど……ずっと黙ってるくせに表情だけころころ変わるし、実際やられるとちょっと不気味だったよ』

 確かに図を想像すると異様すぎて、そう思ってしまうのも仕方ないことだ。

「状況的にしょうがないとはいえ、黙って百面相はたまらないですよね」

『だよね。……それはともかく、さっきので危うくはめられるところだったから見抜いてくれたお礼言おうかと思ったんだ。サツキさんたちいなかったら、捜査がもう何日も滞ったと思うよ』

「大したことないわ。ただちょっと、私たちの方が一枚上手だっただけよ」

『そうなのかあ……でも充分にすごいよ、それ』

 少々むずがゆい気持ちになりながら、サツキは話を変える。

「それより、迷ったふりを続けろって……それはそれでまたじれったい話ですね」

『そうそう、気がもめるよ。でも、絶対にそうしなきゃいけないってわけじゃないんだ。「進めるなら充分に安全なやり方で進めてもいい」って言われてさ……。そう言われてもこれ、今のままじゃ進めないから一回戻って入り直さないと駄目なんだよ。どうやっても危険なんだけど……』

「ええ……?本部へ戻る前に無理なことくらい確認したでしょうに、随分無茶なことを言いますね」

 不満そうな声で言う宮子に、サツキがいぶかしげな顔をして答えた。

 その時、急にジェイが眼を光らせたかと思うと、

「何でしたら、私がお手伝いしますよ」

 そう言い出したのである。

『ちょ、ちょ、ヤシロさん何言い出すの!?手伝ってくれるのはありがたいんだけど、まずくない!?シェリルに話通さないといけないし!どう考えても取り込み中だよ!?』

 おたおたとあわてた声で言う宮子に、ジェイは、

「いやいや、まずくはないでしょう。『充分に安全なやり方で進めてもいい』わけです。主語、ないですよね?『充分に安全なやり方で進』めることの出来る関係者が、『充分に安全なやり方で』お手伝いをして『進めてもいい』……そう取れませんか」

 しれっととんでもない解釈をしてみせた。

『……それ、屁理屈のような気が』

「あながちそうでもないでしょう。……というより、大庭さん多分そのつもりじゃ?」

『そんな、まさか。さすがにそんな無茶な理屈こねる……か、シェリルだし』

 最初驚いていた宮子の声は、最後になって妙に納得したようなものとなる。

 その辺の刑事ならともかく、あのシェリルなら、

「それくらいの含みは持たせていてもおかしくない……」

 というわけだ。

 それにしても、こんな刑事らしからぬところで妙な信頼を得てしまっている辺りが、さすが型破りで鳴らしているだけあるというべきか……。

「じゃあ、やってしまいましょうか」

 そう言うと腕まくりをして立ち上がり、電話をつないだまま研究室へと歩き始める。

「手近で気づかれにくいネットワーク上にいてください、探して直にアクセスかけますので。……電話はつないだままでお願いします、今研究室に移動しますので。あッ、真島さんとあいさんも一緒にお願いします、入った時にデータ解読が出来ないでは困るので頼みます……」

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