十八 暁鐘(一)

「電話をスピーカーにしてくれ?分かったわ」

 全員が居間に座ったところで、シェリルに電話をかけるとそのような指示が出た。

『みなさん、お忙しいところ申しわけありません。恐らくサツキちゃんとの会話で、大体分かったかと思うんですが……』

「ねえ、シェリル。何でまたこんな持って回ったことするの?勝山さんとことここって数百メートルしか離れてないんだし、対面でやればいいじゃない」

 真っ先に疑問をぶつけたのは、清香である。

 それにシェリルは少しためらったようだったが、ややあって、

『……出来ないんです。私が離れるのも、みなさんに来てもらうのも。実を言いますと、この通信も隠密裡に行ってます』

 妙なことを言い出した。

「隠密裡って……どこか別の部屋で話してんのか?」

『いえ、勝山さんと同じ部屋です』

「他のとこ行かなきゃ隠密も糞もないだろ。そもそもこっそり話してるくせに、何でそんなに声大きいんだよ。普通に話してるのと変わらんぞ」

『それはそうですよ。私の内蔵通信機を脳内通信モードにして、そっちにかけてるんですから』

「へッ!?」

 突然出て来た聞き慣れぬ言葉に、啓一は思わずサツキの方を見る。

「ああこれ、よほどのことね。こんなやり方でかけて来るなんて」

「何なんだい、脳内通信モードってのは」

「これ、多機能なの入れてると出来る芸当なんだけどね……」

 何とアンドロイドの内蔵通信機の中でも高性能なものには、口でしゃべらず頭の中で言葉を発することで通信するモードがあるというのだ。

 そうなるとシェリルは、わざわざ沈黙を装ってまで電話をかけているということになる。

 資料を見てほしいというだけで、なぜそこまでしなければならないというのだ。

経緯いきさつは後でお話しします。とりあえず、見てください』

 声がややあせっているあたり、やはり何かにおうものがある。

 その意図をくんで、サツキと清香が資料を改め始めた。

 『龍骨欺瞞破壊対策の手引』なる手引書に設計図などの参考資料が添附されており、一度に見るには結構な量がありそうである。

 だがそこはさすがに専門家、手分けして次々と見ては理論との照合や計算を行い、そのかたわら意見も交わし合うなど、実に手慣れたものだ。

 そのきびきびとした姿は、まさに二人の面目躍如である。

 だがしばらくして、その手がしきりに頁の行き来を繰り返し始めた。

 何度も何度も同じ場所で検算が行われ、しまいには論文まで出して来ている。

「……何これ、ふざけてるの?」

 三十分ほど検分した後、サツキがようやく言ったのはその一言だった。

 耳をぴんと立てむっつりとふくれている上、こめかみがひくついている。

「ふざけてるわねえ。というより、これ悪意すら感じない?」

「同意見です。絶対に分かってやってますね……」

「このいやらしさと狡猾さ、うっかり間違えましたで出来るもんじゃないわ」

 清香も不快そうに言うと、顔を露骨に歪めてみせた。

 二人分の怒りがにわかに場に漂い、圧力すら感じる。

『あー……そ、そんなにひどいんですか』

 電話の向こうにもこの雰囲気が伝わったらしく、少々引き気味の声でシェリルが言った。

「ひどいわよ。ただ、中身がでたらめとかそういう意味でじゃなくて、もっと悪質なやつね」

 サツキによれば、記述されている欺瞞方式や欺瞞設備はセキュリティの高い最新式で、特におかしなところはないのだという。

 また想定される欺瞞破壊法として提示されているものも、きちんと理論にかなうものだ。

 だが極めて注意深く細部まで読み込んでみると、途中で話の趣旨や論理がすり替わったり、数値が論理展開に都合よく扱われたりと、微細な誤りがところどころにある。

 それも単純に間違えたというものではなく、明らかに誤った結論へと導くため故意に仕込まれているのが見て取れたのだ。

『つまり、ミスリードですか……』

 このことである。

 しかもこのミスリードが、普通の技師辺りならうっかりすると引っかかってしまいかねないほど巧妙な代物だというのだ。

 さすがに研究者なら見抜けるだろうが、完全証明するまでに結構な労力と時間を要することになるかも知れないというのだから、実にたちが悪いにもほどがある。

 三十分でそれが出来たのは、ひとえにこの二人だからだ。サツキだけでも相当なものだが、先にちらりと述べた通り清香もトップクラスの研究者ゆえ、組めば百人力千人力になるのである。

 よほど腹が立ったのか、専門用語を混じえて烈しくなじり出す二人を、

『分かりました、分かりましたから止まってください。とりあえず、かなり高度なミスリードの仕込まれたものという理解でいいですか?』

 シェリルが大あわてで止めた。

「まあそうね。これ、本当に本物なの?もしそうなら悪い冗談にもほどがあるわ」

『残念ながら、冗談じゃないんです。一応、本物という名目で渡されたデータでして』

「……そろそろ、どういうことか話してくれないかしら。普通じゃないわよ」

 清香が不機嫌な声で促すと、シェリルはようやく経緯いきさつを話し始める。

『実は今、龍骨内への侵入方法について探るため、極左暴力集団周辺のサーバにハッキングをかけている最中なんです。ただ私たちだけではどうも限界があるので、都市保全部の方からあらかじめ資料を提供してもらいまして、無事入れたら両者で連携して情報を探るという話になっているんですよ。部内で特に重力学に明るい方が担当者なので、ちょうどいいと』

 確かに欺瞞をいかにして破ったかを探ろうとしているのに、そもそもの欺瞞方法が分からなければ意味がないし、重力学の知識がなければせっかくの情報も読み解けないはずだ。

 だが担当者、それも重力学に詳しい者を確保すればそれらの問題が一斉に解決し、資料片手にリアルタイムで質疑しながら内容の解読をして、ファイルを取得することが可能になるわけである。

『その資料としていただいたのが、まさにそれなんですよ』

「なるほどね。で、予習にこれを読んでいたってところ?」

『そういうことですね。まだ外ればかり引いている状態でして……。作業は基本勝山さんにまかせるしかありませんし、せめて先に読んでおこうと』

 どうやら今回、シェリルはこのハッキングの作業自体には関わっていないようだ。もっとも先日のように、直接身を張ってやること自体が異例らしいのだが。

 ただ捜査担当者として随伴している以上、何もしないわけには行かない、そのような意識が資料に手をつけさせたのだろう。

「とりあえず状況は分かったわ。でも、そこからどうして私たちに検分させようと思い立ったの?ここまでやるからには、中身が怪しいと思ったってことなんでしょ」

「そうよ、相当その道に明るくないと変だとすら思えないはずよ」

 サツキと清香がもっともなことを問うた。

 いくらシェリルが優秀でも、さすがに重力学の知識なぞないはずだろう。

『もちろん内容に関しては無理です。怪しいと思ったのは、一部の画像に改竄が行われていることが分かったからなんです』

「えッ」

 この予想もつかない言葉に二人以外が驚きの声を上げる中、

「ああ、もしかすると画像検証機能使ったの?」

 サツキが耳を片方倒しながら言った。

『そうですね、今回久々に使ってみました』

 実はシェリルのアイ・カメラには、画像に編集が行われているか否かを検証し、該当する場所を検出する機能がついているという。

 今回手引書を見ていてところどころで違和感を感じたため、この機能で検証をかけたところ、加筆や削除が大量に行われた痕跡があるという結果が出たのだ。

『今、検証結果を送ります。それで判断してもらえれば』

 そうして送られて来たデータを見ながら、サツキと清香がぱぱっと検証を開始する。

「……ここの画像、理論に従えば出来るはずの反重力場のむらを削除してるわ!」

「こっちも、同じようなのがあるわね。……ああ、こっちは光の曲がってる部分に加筆が」

 こう言っているのを聞くといかにも大きいようだが、実はいずれも画像上ではかなり小さい改竄で、九割九分見逃してしまうようなものだ。

 こんなものを見事にとらえたのだから、シェリルの検証機能は相当なものである。

「こんな市民生活の根本に関わる大切な文書で、ここまで大量の改竄なんて有り得ないわよ」

「サツキちゃんに同じく。ここまで来ると学問的にどうこう以前の問題ね」

 話にもならぬとばかりに言う二人に、

『……となると、やはりこれは偽造ですね』

 シェリルが確信したように言った。

 文章には嫌らしいミスリードが仕込まれ、画像類は悪質な改竄を受けている。そんなものが本物の手引書であるわけがないはずだ。

 ひとしきりあきれた後、サツキは電話に向き直りシェリルに問う。

「ねえ、これでっち上げたのどこの誰よ?この分だと作成者の名前も当てにならないでしょうし」

 偽造文書ということで当然の疑いだったが、シェリルは一瞬黙り込むと、

『それがですね、作成者だけはそこに書かれている通りなんです。何せその本人が、わざわざ自分が作ったものだと言って渡して来たものなんですからね』

 驚くべき答えを返して来た。

「え!?じゃあこれを作ったのって、手伝ってくれる予定の市の担当職員ってこと!?」

『そういうことになりますね。しかもその担当職員は重力学で博士号を持っているほどの専門家、やろうと思えばこういう偽造も出来るでしょう。こちらを騙す気満々の故意犯ですよ』

「そんなことして一体全体何の得が……」

 そう清香がつぶやいた時である。

 そこで、サツキの脳裡にひらめくものがあった。

 この状況から導き出される結論は、もはや一つしかない。

「……まさか、獅子身中の虫ってこと?」

 このことだった。

『まさにその通りです。この職員――がわひろしは、松村と内通しているのが確実と考えていいでしょう』

「………!!」

 重々しい声で言うシェリルに、一同が一斉に色めき立つ。

 ここで、まさか市民に対する裏切りをなす者が出ようとは思いもしなかったのだ。

「もしそうなら、随分なめた真似をしてくれるものね。市の職員なら、重力研から私が招かれていることくらい知ってるでしょうに。この資料が手に渡る可能性を考えなかったのかしら」

 サツキがぎりぎりと切歯しながら、怒りを隠さずに言う。

 「天才」呼ばわりが嫌いではあるが、それでも才能に対する矜恃というものはしっかりあるのだ。

 相手が意図したか否かはともかく、それを傷つけるような行為を堂々とされて黙ってはいられないということなのだろう。

「シェリルがずるみたいな機能積んでたから、分かったとはいえねえ……重力研の者としてはさすがにねえ……ちょっとねえ、おふざけがねえ……」

 清香も顔をひくつかせながら、呪詛のように怒りを口にし始めた。

『ま、まあ、落ち着いて……。逆に言えば、相手にそれなりの慢心があるということですから』

 声からも如実に分かるほどの怒りに、シェリルが大あわてで二人をなだめる。

 これでは話が進まぬと、啓一が間に入った。

「ちょっといいか。……それとは別方向で疑問があるんだが。小川は今まで、内通者たることをうまいこと隠し通して来たんだろ。それなら、何で今さらこんなばれかねないような行動を取ったってんだ?看破される可能性だってないとは言えないってのに」

 もっともである。

 もし内通者だと露見すれば計画が大きく破綻してしまう上に、自分もただでは済まないのだ。そんなことくらい、本人が一番分かっているはずだろう。

 それならばいくら露見の可能性が低いと思っても、下手な真似は避けた方がいいはずだ。

 事実、偶然が重なってのこととはいえ、自分たちによって資料に仕込んだからくりを見抜かれ、たちまちに化けの皮をはがされてしまったではないか……。

『これは私の推測なのですが……小川は、時間稼ぎをしようとしているんじゃないかと思うんです。それも、自発的というより松村からねじ込まれて』

「時間稼ぎ、か……。平沼の造反を知って、多少はあせってやがるのかね」

 あのように下っ端扱いをしてはいたが、曲がりなりにも平沼は幹部格の人物だ。

 与えた情報量を絞っているとはいえ、計画についてかなりの部分を知ってしまっている。これで自首なぞされたら、確実に警察が動き始めるのは馬鹿でも分かる話だ。

『そう考えると、小川が今取っている行動も理解出来るんですよね。実は、電話をつなぎっぱなしにしておくよう頼まれているんです。出番が来るまで何時間かかるか分からないのに、普通そういうことしますかね?』

「監視のつもりなのかしらね……?」

『多分そうなんでしょうね。こっちで何か自分のことを疑うような会話やら通話やらが聞こえたら、親玉にご注進するつもりなんだろうと』

「ああ、それでこんな声の出ない方法で連絡を……。ようやく分かったわ」

 サツキが、やっと納得したというような口調で言う。

 しかしいくら露見しないかどうか心配とはいえ、無理矢理電話を何時間もつなぎ続けるとは、随分と無茶なことをするものだ。

 こんなことをするのは、そもそも小川自身にこちらを騙し切れる自信がないことの現れだとも言えるかも知れぬ。

「そんで、これからどうすんだ?まさか、すぐにふん縛るわけにゃ行かないだろう」

『それなんですが……とりあえず、本部に疑いがある旨連絡を入れるのまでは考えています。そこから先は、さてどうするか。泳がせれば尻尾を出す可能性がありますが、その分松村へ余分に時間を与えることになりますからね』

「ふむ……雑魚にこだわって、本命を取り逃がしたら世話ねえしな。だが、その雑魚が大きな情報持ってる可能性もあるわけだから、難しいところだ」

 啓一が難しい顔になって考え込んでいると、サツキが、

「じゃあもう、思い切って揺さぶりかけちゃったらどうかしらね」

 思いがけないことを言い出す。

『えッ……揺さぶりかけるっていっても、使えるのはその資料しかありませんよ。あっちはこんな巧妙なものを作れるほどの知識があるんですから、のらりくらりかわされる可能性もあります』

「私がやるわ」

『……ええッ?』

「だから、私がやるわ。研究員の意地にかけて、のらりくらりなんてさせない。それに……」

 シェリルが驚くのをよそに、サツキは、

「ここまで馬鹿にしてくれたからには、直接それなりのお礼をしないといけないじゃない?」

 真っ黒な笑みを浮かべながらそう言ったものだ。

 その全くもって笑っていない眼と低い声に、一同が凍りつく。

 シェリルも同様だったらしく、一瞬息を飲むような声を上げて黙り込んでしまった。

 それにも構うことなく、サツキが続ける。

「とりあえず私も公式に助っ人として捜査に協力してるってことになってるし、こっちに資料が渡ってても、そのことで直に話すようなことになっても、立場上そっちとしては問題ないでしょ?」

『それは、確かにそうですけども……』

「じゃ、つないでくれないかしら?どうせあっちも手すきでしょ」

『ちょっと待って……』

「つないでくれないかしら?」

『わ、分かりましたよ。その代わり、本部に先に連絡させてください。それじゃ切りますので!』

 有無など言わさぬとばかりの圧力に、ついにシェリルは屈した。

「お、おいおい、サツキさん……大丈夫なのかよ、内通が疑われるやつと直接対決なんて」

 余りの急展開に、啓一が横から心配の声を上げるが、サツキは無言でにっこりと笑う。

(やる気満々だ、これ……しかも『殺す』って書く方のやる気じゃないか!)

 困って清香の方を見ると、こちらも黒い笑顔でサツキと笑い合うばかりだ。

 そこまで激昂するほどなのかと思ったが、とても言える雰囲気ではない。

『お待たせしました。本部経由で、市庁を警邏している部下に事情を話しておきましたから。もし逃亡しようとしても網にかかります、やっちゃってください』

 再びかけて来た時のシェリルは、もう肚をくくったとばかりの声であった。

『直接対決になるので、やり取りを聞かせてください。私の頭脳を経由させればいいだけですので』

 シェリルはコードを召喚すると、手首の端子と宮子宅の固定電話とを接続する。

 こうしておいてから内蔵通信機内で交換機のごとく接続を切り替えることで、サツキと小川との会話を実現し、同時に中に入ってやり取りを聞くという器用なことが出来るようになるわけだ。

「分かったわ。私はひたすら追いつめるから……あ、そうだ、相手が往生際悪かった時にへし折る作戦考えたから、その手伝いもお願い」

 そうして出された作戦に、シェリルが露骨にどん引くのが分かる。

『……本気ですか?』

「本気も本気よ?いいわね?」

『は、はい……』

 言外に漂うすさまじい圧力に、再度シェリルは屈したのだった。

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