十七 棒一本(三)
ヤシロ宅の玄関で出迎えたのは、果たして清香だった。
「こんにちは……って、大丈夫!?」
「……あ、あはは、隈ですか。一応大丈夫です」
百枝同様隈に驚く清香に、サツキが耳をかきながら答える。
「まあこの、眠れませんでね。一晩中議論してましたもんで」
「眠れないなら、少しでも建設的な話をした方がいいんじゃないかと思ったんです」
啓一とサツキが言うのに、清香はこめかみに手を当てて困ったような素振りをした。
「ま、ほどほどにね……ヤシロさん、来ましたよ」
「ああ、こんにちは」
リビングに通され、ソファーを勧められる。
「すみません、実験場所をご提供くださって」
「構いません。隠し玉ですし、下手に外でやるのもまずそうですからね」
「こちらこそ済まない。早めに何か見つけておかないと、手伝えないからな」
そこでジェイは、眉間に指を当てて困ったような顔をした。
「……しかし、本当にやるんですか?職業的に思い切り非戦闘員だし、それ以前に緑ヶ丘の市民ですらないのに。しかも無期限休工でずっと待機状態とはいえ、一応は仕事で出張中の立場ですからまずいんじゃないかと思うんですが」
「やります。お母さんは、昨日の夜文句が言えないようにしときましたから」
実はサツキ嬢、昨晩ハルカに電話をかけた際、もし内乱が発生した場合は鎮圧を援護するつもりとはっきり伝えている。
「これだけ濃密に関わった人たちを見捨てて、自分たちだけのうのうと逃げて帰れると思ってるの?そんな
ほとんどごり押しに近かったが、そのただならぬ気魄に不退転の決意を読み取ったハルカは、もはや止められまいと引き下がらざるを得なかった。
「実に豪胆ですね……」
「……サツキちゃんは、言い出したら聞かないもんなあ」
女だてらに肝の据わったサツキに、顔を引きつらせながらジェイと清香が言う。
「まあ、俺も同意見なんで。ここまでやっといてはいさようなら、はないですからね」
「いやほんと、申しわけないやら何やら……」
「マスター、資料をお持ちしました」
そこでエリナが現われ、この話はしまいとなった。
「……資料?」
「実は、出す機会もないだろうと思って何もお話ししてなかったんですが、私も昔に重力学について多少勉強したんですよ。大したものではありませんが」
「えっ!?」
意外なことに、啓一とサツキは顔を見合わせる。
「いやあ……実はですね、こっちに越して来てすぐの頃に、重力学の存在を知りまして。まんざら私も相対性理論と無縁ではないので、調べてみましてね」
何とジェイがこちらの世界に持って来た技術の中には、相対性理論を利用したものがいくつか存在しているというのだ。
だがこの世界の技術からすると極めて常識外れな使い方をしているため、教えることも伝えることも出来ないのだとか……。
いささか腐っていた中でふと見かけたのが、重力学だったのだという。
「何とか適応しようとがんばっていた頃の話ですね。相対性理論の基礎は知っていたのではしょって、重力子の話から入って行きました。一応主要論文にも目を通したんですが……こりゃ難しいな、と思ってるうちに埋もれてしまいまして」
「私もおつき合いしたんですが……頭が過熱を起こしそうで。よくこんな難しいものを専門に出来ると、正直感心しました」
そう言うと、ジェイとエリナはサツキと清香を見た。
「大したことありませんよ。理論面だけで、技術はからっきしですし」
「私も研究はばりばりやってますが、いわゆる『専門馬鹿』です」
謙遜する二人に、思わずジェイと啓一は苦笑する。
殊に普段そばで見ている啓一にしてみれば、重力扱わせたらほぼ何でもござれという学問を修めている時点で、既に二人とも異次元の人物なのだが。
「あ、そうだ。ちょうどいいので、実験前に見ていただけないでしょうか。以前、試しにうちの方の技術と合わせて何か出来ないかと、こせこせ造ったものがあるんですよ」
どこだったかな、と研究室に一度引っ込んだジェイが持って来たのは、何やら小さく短い白い棒とそれの設計図らしき紙束だった。
「何だ、この文鎮みたいな機械?」
「ちょ、それ!?……設計図、いいですか!?」
「私も知りませんでしたよ!見せてください!」
首をかしげる啓一に、サツキと清香が大あわてで言い出す。
ちょっとした暇つぶしのつもりで造ったからだろう、データではなく大きめの紙にささっと書かれたような、昔ながらの設計図だ。
だが、それを見ていた二人の口が、どんどん開いて行く。
「これ、簡易反重力発生装置……」
このことであった。
何度か繰り返した通り、反重力発生装置自体はまだそれほど小型化されているわけではない。
ただしそれは、反重力場の強弱や発生範囲などを細かく制禦するために大きさが必要なだけだ。単に反重力場を決まった強さで決まった範囲に発生させるなら、手持ちも可能になる。
まさに眼の前にあるのは、その手持ち型のものなのだ。
「一人で造ったんですか、これ!?造れなくはないですけど、ちょっとした独学でよくまあ……」
「電子工作感覚だったんですが……」
「で、電子工作、電子工作ですか。……おっそろしいことしますねえ、このマスターさんは」
何がすごいのかよく分かっていないジェイに、二人は信じられないものを見る眼をする。
(これはあれか、『俺、何かやっちゃいました?』だな)
自分の才能に無自覚な人物を主人公にした創作ではよくある描写だが、まさか似たような光景を現実で見ることになるとは思いもしなかった。
「……マスター、嫌な思い出のあるもの出して来ましたね」
「え、あ、いや……話の流れだ、話の流れ」
「忘れてませんからね、逆さになっちゃって着地が大変だったの」
じとりとした眼でエリナが言うのに、二人が眼をむく。
「逆さになるって……この手の装置でそれは出力高すぎですよ!?」
「そもそもどういう
むすっとした顔を崩さないエリナに訊いてみると、こういうことらしい。
この装置の存在を忘れかけていた頃、ジェイが片づけの時にうっかりこれを落としてしまった。
その時に電源が入ってしまった上に、弾みで調整用のスイッチが動作して出力最大になってしまったらしく、上をまたごうとしたエリナが急に足をすくわれて浮かんでしまったのだという。
「ばたばたしてたら、空中で逆立ち状態になって……。そばの壁を蹴って無理矢理戻りましたが、スカートの中思いっきり見られましてね……」
「……その夜は、おかずが全部インスタントでしたよ」
「いくらマスターと定めた人とはいえ、さすがに叛逆させていただきます」
コメディ漫画のような話だが、サツキや清香、そして啓一にとってもそんな場合ではなかった。
エリナは小柄とはいえ、元戦闘用とあって通常のアンドロイドよりもがっしりとした作りになっている。それをいとも簡単に逆立ちさせる反重力場を作ったのだ。
「すみません、実験場所でこれも試させてください。化けるかも知れませんので」
思わぬ発見に、サツキは注意深くスーツのポケットに装置を入れ、床に置いてあった「ディケ」を持ち出してみせる。
「あら、久しぶりに見た。まだ調整中なの?」
「そうですね。やっぱり強烈すぎるんですよ、機能にせよ出力にせよ」
「どうするのかしらねえ、ほんとに。……ま、今回はそれに期待だけど」
「いいんだか悪いんだか……」
そう話しつつ、一同は実験場所へと移動した。
今回あてがわれたのは、二階へ上がる階段そばの吹き抜けである。
「このくらいの高さがあれば、問題ないわね。転落防止もよし、と」
全面ではないが、転落防止のための大きな古マットレスが敷いてあった。
「実験用と防災用のヘルメットが、こんな時に役に立つとは……」
奥から、遅れてジェイがヘルメットの入った箱をかついでやって来る。
一応職業が職業だけに、安全用品は完備している模様だ。
「ありがとうございます」
「あ、獣人用ありますね。よかった」
サツキはそんなことを言いながら、耳の形に出っ張ったヘルメットをかぶる。
耳を倒すわけにもいかないので当然なのだが、何とも奇妙な絵面だ。
「それで聞こえるのかい?」
「大丈夫よ、耳の前の部分だけ特殊素材だから」
そう言いつつ、白衣を羽織り「ディケ」を小脇にかかえてマットレスの中心に立つ。
一同を吹き抜けの壁寄りに避難させつつ、清香と啓一が実験用具を広げた。
「起動よし。直径五十センチから行きます」
「直径五十センチね、じゃあ展開して」
ややあって、反重力場がマットレスの真ん中に立ち上がる。
「これが反重力場です。ここに物を入れると浮かび上がるわけでして。啓一さん、そこのクッション入れてみて」
サツキの指示通り用意してあった古クッションを下に差し込むと、そのままふわりと浮いた。
「おお、これは……」
「今、一・五メートル程度で止まるようにしてあります。対象物のおおよその質量を測定し、どれだけ反重力をきかせるかの制禦をやるのが基本ですね。そして……」
そこでサツキは、かちっとスイッチを操作する。
「重力方向転換、方向X正」
そう喚呼した途端、クッションがべたりと向かって右側に張りついた。
「こうやって重力の方向操作も出来ます。もちろん逆も可能ですよ」
次は「方向X負」で左側にクッションが張りつく。
「さらには上も行けます。うまくすれば、天井から完全な逆立ちも出来ますね」
上にクッションがぺったりくっついているのを見ながら、サツキはそう説明した。
「方向操作は本来は一定以上の大きさの装置でないと出来ないんですが、今回極限まで回路を小さくしたことでこのサイズに収められました」
その代償として制禦が難しくなったわけですが、とサツキは重力の方向を戻しながら言う。
「あと反重力場自体の発生位置を偏らせることも出来ますから、自分からかなり離れた場所の対象物にも有効です。遠隔操作ですね、要は」
「これは、なかなかすごい光景ですね。下手に人が飛び込んだら、滅茶苦茶なことになりそうだ。しかも遠隔操作が可能とは……」
「ですね。鎮圧に使う場合は反重力で相手を持ち上げた後、状況を見計らって重力を操作し無重力状態へ持って行くのが定番だそうです。さらに安全な場所から相手目がけて発生させて、意表を突くことも多いとか。こうなると、使われた側はいいように翻弄されるだけです」
「しかもそんな状態で上下左右に動かされたら……多分何かする前に、三半規管が駄目になって吐いちゃうんじゃないですか」
サツキの言葉に、清香が苦笑しながら言ってみせた。
「銃器などを使ったらどうなりますか?」
「状況によるけど、いずれもただじゃ済まないわよ。誤って反重力場にがっちり捕まった場合には、そもそも弾が飛ばなかったり飛んでも変な方向に行ったりするし。捕まらなくても無重力状態になってるから、弾は飛ぶけど反動で本人も思いっ切り後ろへ吹っ飛ぶわ。それも回りながらね」
「小銃なんか撃ったら……」
「反動が大きいからもっとひどいことになるわよ。さっきのだけじゃなく、場の大きさによっては外まで飛ばされて地面にたたきつけられることすらあるの。まあそうなったら脱臼や骨折ならかわいい方、下手すると腕ごとちぎれ飛ぶかもね」
あっさりと答える清香に、質問したエリナも少々顔を引きつらせている。
よく考えると、とんでもない技術であった。
「だからどうしても撃ちたければ、『選択的重力調整』っていう反重力場内でも普通に動くことが出来るようにする技術を使うの。本人が調整装置を装備した上で、同じく装置を仕込んだ銃器を使うのよ。ただ反重力場の存在する状況で銃を撃つっていう場面がまずないから、警察や特殊部隊や自衛隊でもそういう銃はほとんど使わないって聞いたわ。そのせいで、存在自体知らない人もいる始末よ」
「あれ?じゃあ、普通の銃ばかりなんですか?」
これは啓一である。
こんな技術があるのだから武器も対応しているだろうと思っていたため、実に意外だ。
「そうみたいね。日本とうちは銃刀法あって普通は目にしないから、実態分からないところあるけど……反社から銃が押収されたなんて話があると、大抵普通の銃ね」
「光線銃とかエネルギー銃とか、そういうのないもんなんですかね?」
「昔使われたことあったけど、爆発事故が相次いで駄目になったわ。しかも重力学の黎明期、簡単な装置で軌道ねじ曲げられるのが分かっちゃって、余計に使いものにならなくなってね」
SFの銃というとこれらなのだが、この世界では自滅の上に重力学の軍門に下ったらしい。
夢も浪漫もないと思ってしまうが、現実とは意外とこんなものかも知れぬ。
「先輩、場を広げますよ」
「分かったわ。……一気に行っちゃう?」
「一気に行っちゃいましょうか、いつも限界直径四メートルでやってますから、いきなりそこで」
「諒解。……下がって、下がって」
清香の言葉とともに一同が下がり、反重力場が一気に広がった。
だが少々目測を誤ったらしく、みな壁に張りつきである。
「あらら、すみません。目一杯になってしまって」
「あ、いや、どっちかに逃げますから」
ジェイの言葉とともにこそこそと両側に分かれると、再び説明開始だ。
「これで広さ八畳くらいになるでしょうか。大体人が三人ちょっとは入れます」
「理論上は直径二百メートルくらいまで広がります。三ヘクタールちょっとですかね。もっともそんな出力ではまず使いませんが」
サツキはともかく、清香がさらりと言った言葉にジェイとエリナが凍りつく。
三ヘクタールというと、下手な公園や球場が入ってしまう広さだ。
そんな広さの反重力場が肩掛けかばんの大きさで展開出来るのだから、もはや化け物である。
「と、とんでもないもの造りますねえ。しかもそれだけ大きくなっても、さっきみたいな芸当が出来るわけですからこれは……」
「俺も『げッ』って思ったからな。何つうもん造るんだここはと。制禦に苦労に苦労して、いまだに実用化出来ないのもよく分かる」
ジェイが汗をたらりと流しながら言うのに、啓一が自分も引き気味になりながら言う。
実は啓一も「ディケ」の能力には、驚愕を通り越して畏怖を感じてすらいた。
もっともそれだけに、
「何か今回の戦いで使えるのではないか……?」
そう当てにしてこの実験をしてみようという話になったわけなのだが。
「まあ、こんなところでどんなものかは分かったと思います。本来は、ここから『ディケ』であれこれやって、援護法を考えようとしていたんですが……ヤシロさんの造ったこれが出て来ましたからね。どういう相互作用をもたらすか、試してみましょう」
サツキがそう言って場をせばめ、例の簡易反重力発生装置を取り出した。
「まずは、差し込んでみましょうか」
そして、ひょいと装置を差し込んで浮かばせた瞬間である。
ちょうどその位置ほどで浮いていた古クッションが、ぽとっといきなり落ちたものだ。
「……へ?」
「……え?」
何が起こったのか分からず、一同がぽかんと口を開く。
ややあって、サツキと清香が目に見えてあわて出した。
「ま、待って待って!……サツキちゃん、理論的にこんなのあり!?」
「ちょっと待ってください、昔論文で見たような……ええと、簡易反重力発生装置を反重力場内で使用した場合の影響について……」
どうやら、二人とも見たことのない現象のようである。
実験例がなく把握していないだけか、それともジェイの造ったものに何かあるかのどちらかだ。
だが、国立研究所で実験例がないというのも少々考えづらい。
「なあ、何か仕込んだのかい?素人目にもあの棒でああなるとは、ちょっと考えづらいんだが」
「いや、確かに自己流の部分もあるが、そんな変なもんじゃなかったような。ええと……」
設計図を見ながら、一つずつ組み込んだ回路の名前を復唱していた時だ。
「……力場分離回路」
その言葉が出た途端、一斉にサツキと清香がこちらを向いたものである。
「力場分離回路ですか!?それなら理論的には説明出来ますが……簡易装置に普通入れませんよ、制禦が大変ですから。理論畑の者でも分かるくらい無茶です」
力場分離回路は、直接反重力場を途中で分断することの出来る制禦回路だ。
何らかの理由で反重力場の発生位置を変えられない場合に用いるもので、任意の位置より下の反重力場を無効化し、例えば上は無重力状態で下は重力ありという状態を作ることが可能になる。
ただし、回路周りにさらに別の制禦回路が必要になるほど気を使う代物で、技術分野ではいつもいつも小型化の足かせとして悩みの種なのだ。
「ああ、これは……一応第三研究部が昔に論文出してるけど、いい結果出てないわねえ。『簡易な装置に組み込むには余りに手の余るものである』ですって」
その表現からすると、どうやら専門家ですら完全にさじを投げているらしい。
しかも第三研究部は基礎技術担当なので、ここで駄目ならば本当に駄目ということだ。
しかし、それが現に眼の前で再現されているというのだから、これはもう呆然とするしかない。
「これ、入っても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だけど、注意してね」
エリナが言うのに、清香が注意を投げた。
「えいッ……あれ?しっかり、重力ありませんか?」
簡易反重力発生装置の下に入り込んで、眼を点にする。
確かにしっかり立っており、用意なしに反重力場に飛び込んだ時にありがちな衣服の乱れもなかった。殊にエリナはゆったりとした服だけに余計にそうなるはずである。
「ちょっと上に手を突っ込んでみますね」
そう言って、上に右手を突っ込んだ瞬間だ。
袖がずるりと上に引かれ、腕にからみついてしまったのである。
「わ、わ、わ……」
「あわてないで。あせらず、そのまま一気に下に引いて」
清香の言う通りに思い切り手を引くと、すぽんと抜けた。
「びっくりしました、あんなぐいっと引っ張られるなんて。ひじの接合部が外れたりするほど強い力ではないですけど……」
「ああ、やっぱり上下で分かれてますか……」
サツキがぽりぽりと盆の窪をかいていると、清香も同じようにこめかみをかいている。
驚きすぎたというべきか、言葉が見つからないようだ。
「何だこれ、化けたどころの騒ぎじゃないぞ……」
エリナが出て来るのを
ふと、彼の脳裡にちょっとしたことがひらめく。
「サツキさん、
このことであった。
「どういうこと?」
「見方変えてみ?下は反重力場がなくてコロニーに設定された重力の作る重力場だけしかないわけだから、みんなが普段暮らしてる空間と同じになるはずだろ。それならこの状態はそういう普通の空間の上に、装置に導かれるように反重力場が乗っかってると言ってもいいと思うんだが」
「ああ……なるほど。そういう見方もありね」
サツキが意外そうながらも、納得した顔でうなずく。
言われてみれば反重力場の中に入っていないのだから、事実上普通の空間と同じだ。
「で、さ。こういうの、出来ないかね。それ持って、上から袋かぶせるみたいに反重力場をかぶせるっての。後ろからの奇襲に使えないかな」
「………!」
これに、サツキと清香がはっとなる。
そばにそれなりの出力を持つ反重力発生装置があることと、かぶせる本人が反重力場内でうまく立ち回れることが条件だが、充分に実現可能だ。
「あれ?そう考えると、その装置はなお使えるかも知れない。一度も使ったことないが、力場歪曲回路も確か……ああ、そうだ、これこれ」
「……何で入ってんだよ」
さすがにこれには、啓一も突っ込みを入れる。
力場歪曲回路は、本来垂直の反重力場を飴のようにぐねぐねと曲げる回路だ。
展示室を見学した際、反重力場を曲げられるのかと訊いてみたところ、この回路の解説を受け、
「まあ、工場とかの大型業務用や研究用の装置ならね。普通は必要ないから……」
そう答えが返って来たのである。
それをこんな棒に簡単にぶち込みましたと言われては、こうも返したくなろうものだ。
「いやあ、目についた回路を気まぐれにいろいろ入れてみた結果なんで」
ジェイが笑いながら言うのに、サツキと清香は、
「気まぐれで、世紀の大発明を造らないでくださいッ」
必死の表情で思い切り突っ込みを入れた。
何せ国立研究所の研究員どころか重力学界でも簡易装置に入れるのが無理という代物を、あっさり入れてのけてしまったのである。
本職としては、笑って済まされてはたまったものではないのだ。
「いや、冗談抜きで大発明なんだけど……」
「何これ怖い……というより、異世界怖い」
研究者二人が、畏怖の視線をジェイに向ける。
「ということは、縦横無尽に形構わず反重力場を作れるってことになるのか。でかい輪を使って大きくて長いシャボン玉作るみたいに」
「条件がそろえば充分に行けるな。振り回すだけで発生するから、そこらの人でも簡単に出来る。ただ、自分が巻き込まれないよう気をつけなけりゃいけないが」
「そこまでは多分あの装置だけでも出来そうだな。そこに『ディケ』の機能を最大限組み合わせると……反重力場を強く広く発生させられて上下左右に重力の方向動かせるから、こりゃまさに自由自在の何でもありってやつじゃないか?」
一方、こちらの二人は専門家が震えているのなぞどこ吹く風と、作戦案を出し合っていた。
「マスター、
それを割って入ったのは、タンブラーを持ったエリナである。
手にしていたのは、アンドロイド用の急速冷却水だった。
すっ飛んで行ったエリナからそれを受け取った清香は、一気に飲み干し、
「ぜえ、ぜえ……ああ、こんなことでも過熱起こすのね」
額の汗をぬぐいながら、息荒く言う。
「ああッ……!何だか、すみません」
「い、いえ。未知のものを見て取り乱すなんて、研究者として未熟な証拠。気にしないでください」
「し、失礼しました」
ぺこぺこと謝る二人に、ジェイは実に困ったような顔をした。
自分がここまで専門家を驚かせるようなものを造ってしまったという実感が、どうにも湧いてくれないのである。
「ま、まあともかく……二人とも、装置はどうしました?止めないと、まずくないでしょうか?」
「あッ」
二人が一斉に言い、「ディケ」を止めに走った。
据付用の安全装置があるならともかく、ない状態で無人放置はまずい。
それに普通の装置ですら制禦不能になるとなかなか止められなくなるのに、あんな化け物じみた装置を暴走させた日には大変なことになるはずだ。
二人が「ディケ」を止めて本体をこちらへ持って来たところで、先ほどの作戦の提案をしてみる。
「なるほど……それ、充分に行けますよ。検証の必要はありますけど」
「そうなると、この簡易反重力発生装置を、適切な長さでいくつか造ってもらわないといけなくなるわね。どれくらい造れそうですか?」
「そうですね……部品は材料さえあればいくらでも作れるので、あとはどれだけ組み立てを自動化出来るかです。製作用のプログラムを書いてみないと分かりませんが、多分三分で一本が限界ですかね。一時間で二十本ですから、そこそこだと思いますよ」
相変わらずすごいことをさらりと言うが、もう驚くだけ驚いたので今さら動じぬ。
「じゃ、お願い出来ますか。とりあえず一本試験で。無料とは言いませんので」
「あ、いいですよ、ただで。どうせ材料が使わないまま、倉庫の肥やしになってますし」
「それはちょっと……」
サツキがそう言いかけた時である。
いきなり着信音が鳴った。
「はい、真島ですが。……え、シェリル?どしたの?」
シェリルは、確か捜査本部にいるはずである。今頃てんやわんやだろうに、こちらに電話をかける暇があるのだろうか。
「今、勝山さんとこいるの!?……本部は?きりがいいところまで行ったから、事情言って出て来た?あなたねえ。で、何なの?……え?ええ!?」
そこでサツキが急に驚いたような声になると、
「……龍骨出入口の欺瞞に関する資料が手に入ったから、見てほしいって!?」
意外なことを言い出したのである。
「そっち行くの?それとも来るの?……え、データを送るから、ディスプレイで見ながら分析してほしいって?……分かったわ、ちょっと見られる場所へ移動しないといけないから、一旦切るわね」
電話を切ると、サツキは困惑したようにジェイを見た。
「そんな次第なので、リビングをちょっとお借りしていいでしょうか。さすがに広いところでないとこれは出来ませんので……」
「いいですよ、大庭さんもよくよくのことみたいですし」
「……何かありそうね。あの子がこんなやり方するなんて」
何やら感じるところがあったらしく清香がそうつぶやく中、一同はリビングへと向かった。
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