四 万年筆(一)

 それから一週間。

「今日はちょっと行って帰るだけだから、お昼に何か食べたいものがあれば」

 サツキがバッグを肩にかけて言うのに、啓一は、

「君にまかせるよ。軽いものでいい」

 盆の窪をかきながら答える。

「そう、分かったわ」

 そう言って扉を閉め歩き出したところで、街燈にもたれかかる。

「うまく行くといいんだけど……」

 あの日、見学を終えた二人は鍛冶通へ買い物に出かけた。

 だが啓一がにわかに噴出した不安のためにすっかり気を落としてしまい、サツキは説明一つするのでもかなり気を使わなければならなかったのである。

 それだけに、一夜明けて普通の態度になっていたのには安心した。このままふさぎ込まれてしまった日には、互いにとって不利益しかない。

 とにかく保護した身、さらにあのような切なる感情の吐露を受けた身としては、啓一に何とかして前向きになってほしいとここしばらく頭を痛めるばかりだった。

 そうしているうちに、ある腹案が浮かんで来たのである。

 そこで昨晩、シェリルにさっそく相談を持ちかけたのだが、

『うーん……理屈は分かるんですよ、分かるんですけどね。いずれはそれでいくらかは落ち着けるかも知れませんが、一週間でそれは急すぎる気が……』

 困ったような声で大いに難色を示された。

「分かっちゃいるのよ。でも待つように言っても多分待たない気がするし、それなら思い切って要望に応えてあげたらいいんじゃないかなって。こっちにもちょうどがあるし」

って……もしかしてあれですか』

「そうよ。あれならしかるべきとこに話さえつけば、残りは私の裁量でどうにかなるから」

 そう言って話してみると、シェリルはひとしきり悩んだ後、

『そこまで言うなら、一度サツキちゃんにまかせてみましょうか。ただ不都合が生じるようなら、誰かに必ず相談して対処してもらってくださいね。私でも話くらいは聞きますので……』

 少々釘を刺しながらも、結局サツキの案に許可を出したのである。

「お母さんがうんって言ってくれればいいんだけどね。特殊な案件になるし、所長に一回はうかがい立てないとちょっとまずいでしょ」

 そう言うと、はあとため息をついてサツキは再び歩き始めた。

 さて……。

 残された啓一は、居間のちゃぶ台に置いてあった新聞を手に取った。

 すぐに手許で空中ディスプレイを出せる世界にあって紙媒体なぞあるものかと思っていたのだが、これがきちんと生き残っているのである。

 一面を見た途端、啓一は珈琲を入れたカップを置き厳しい顔になった。

「『新星市内で女性一人行方不明』『連続女性失踪事件と関係か』ねえ……」

 このことである。

 ここ半年以上全国を騒がせている女性連続失踪事件については、啓一もこちらへ来たその日から話だけは知っていた。

 しかし実際にこうして事件の話を見聞きしてみると、想像以上のひどさである。捜索願が出された分だけでも、実に十五人も姿を消しているのだ。

 むろん、これらの失踪事件に全て関わりがあるとは限らない。最初の数件程度は、そういうこともあって警察も各地で単独事件として捜査を進めていたそうなのだが……。

「……やはり、今回も二十代の人間なのか。こないだの検証記事でも十代後半から三十代前半の人間ばかりに偏って、他の世代や種族がいないのを問題にしてたな」

 短期間で余りに件数が多いこととこの点が、互いの事件を結びつける要因となったのである。

 通常の事件ならば犯人がわざと選んで狙ったと考えられるが、失踪事件となるとそこに他人が介在しているかどうかすらも分からないのだ。

 それなのにまるで選ばれでもしたかのように特定年代の特定種族の女性だけが次々と姿を消すわけなのだから、こんな面妖なことはあるまい。

 広域で連続発生し異常事件のきらいがあるとなると、各市警では扱いきれなくなってしまうため、国家警察である連邦警察の出番だ。

 今のところあらゆる可能性を考えて全ての課で捜査中というが、実質的に旗振り役をまかされているのは特殊捜査課だと聞いている。

「こりゃシェリルも胃が痛かろう……いや、アンドロイドって胃痛になるのか?この世界だから普通に胃はありそうだが」

 くだらないことを気にしながらカップを手に取り、再び新聞に眼を戻した時だ。

「珍しい苗字の人だな。英語の『英』に田んぼの『田』で『あいだ』ねえ」

 視界の隅に入った「行方不明者一覧」に、ルビつきで「あいさやさん(三二)」と書かれているのを見て、ぽつりとつぶやく。紙面の都合か、職業などは省略されていた。

 普通なら流してしまうところだが、自分の生まれた岡山県に同名の「あいぐん」があるため何となく目に留まったのである。

(……あれ?『』って、最近どこかで聞いたような)

 一瞬そう思ったが、珈琲に舌を焼かれて思考が途切れてしまった。

「あちっ!どれだけ保温性いいんだ、ここんちのマグカップは」

 さすが未来素材、などとぶつぶつ言いながら新聞をしまい込む。ちなみにただのサーモ・マグだ。

「あ、そうだ。今日だったな」

 そう言いながら、啓一は空中ディスプレイを出す。

 最初は出すのも一苦労だったのが、日常で使う機会が多いために今やすっかり慣れてしまい、何かというとこうしてすぐに出して使うようになったのだ。

 ぱたぱたと画面を操作しネットにつなぐや、

「はあ……さいですか。思った通りお祈りされましたね」

 うんざりとした顔になる。

 お祈りされた、すなわち「不採用通知をもらった」ということだ。

 不採用通知の末尾に必ずと言っていいほどに「これからのご活躍をお祈り申し上げます」なぞと書かれているのを、白々しいと揶揄して生まれた語である。

 これからも分かる通り、啓一は仕事を探していた。

 いくら保護してもらえる、補助があると言っても、ずっと上げ膳据え膳でいるわけにも行くまい。

 しかし、現実はそううまく行くものではなかった。

「そりゃまあ、無理があるか。こっちの世界のことをよく知らないやつをいきなり雇えってのも」

 とにもかくにも、一番の問題はこれである。

 こちらの世界は比較的求人は豊富で四十代くらいまで中途採用が普通にあるのだが、さすがに転移して一週間くらいの転移者を雇うというのは無理のようだ。まだ相手がこの世界に対する知識に乏しく生活になじんでもいないのでは、さすがに不採用の判断を下しても責められまい。

「仕方ない、しばらくこのままで何とか……いや、はよくないぞ」

 そこで啓一は自分の言ったことに気づき、

「待て、って何だ、って。恋仲で使う言葉だろうが」

 言いわけする相手もいないのにばたばたと釈明してみせた。

 その時である。玄関を上がる音がしたかと思うと、

「ただいま……って何してるの?」

 帰って来たサツキがひょっこり顔を出したものだ。

「あ、いや……何でもない。それより、早かったね」

 大あわてで手許の空中ディスプレイを消し冷汗を流しながら言う啓一に、座ったサツキは、

「………?ええ、研究所でちょっとお母さんと話をして来ただけだから」

 耳をぴこりと動かして不思議そうな顔をしながら答える。

「ハルカさんと?……場所的に、私用じゃなくて仕事の話か」

「ええ。といっても、私の仕事じゃなくて……啓一さんの仕事の話なんだけど」

「……はい?」

 予想もつかない方向から飛んで来た言葉に、啓一は間抜けな声を上げた。

「あの……仕事、探してなかったかしら?」

「えッ、気づいてたのか!?」

「昨日古新聞の束の上へ求人雑誌置いてたでしょ、それも四冊くらい。嫌でも気づくわよ」

「……申しわけない。多分無理だろうとは思ったんだけども、保護に甘えるわけにも行かなくて」

「気持ちは分かるけど、黙ってそんなことしないで。それに転移者というのを考慮してくれるにしても、この日の浅さじゃ企業側も二の足を踏んじゃって成果が出ないわよ」

 その通りだっただけに、啓一は返す言葉もない。

「でも、これだけやるってことはやる気があるのよね?それならと思って、よければとお母さんに何かないかって相談して来たのよ」

「……ってことは、まさか」

「もしよければ助手の口を空けておくからいつでも言ってくれ、って」

 これに啓一は唖然とした。

 ありがたい話といえばそうなのだが、一つ突っ込みどころがある。

「娘の居候のために求人作るとか、公私混同じゃないのか?」

 これだ。今の話を聞く限り、どう考えても娘のために便宜を図ったようにしか思えない。

「うーん、言い方がまずかったわね。これ、元々大学向けに出してた求人なんだけど、わけあって引っ込めてたのよ。それを流用って形だから問題ないと思うわよ。まあ、少しばかり公私混同してるのは否めないけど……その辺はご愛嬌で」

 確かに元あった求人の再利用なら、採る場所を変えただけなので問題にはならないはずだ。

「それに元々転移者援助の一環として、仕事の口を優先的に回すのは許されてるし……ね?」

「まあ、そういうことなら……と、待った待った!」

 啓一は納得しかけて、大あわてで叫んだ。

「俺、文系だぞ!思いっきり理系の研究所で助手とかいいのか、邪魔になりかねんぞ!?」

「いやだって、『助手』っていっても職務は配属先の研究員の裁量次第だし。書類やデータの整理とか、別に学歴問わずに出来る仕事をやるだけでもいいのよ」

「それは『事務手伝い』だろっていう気がするが……。まあそれで雇う側がいいってんなら、雇われる側がいろいろ言う筋合はないわな。で、配属先の人はどんな人なんだい」

「私よ、私」

「……へっ?」

 この爆弾発言に、啓一が固まってしまったのは言うまでもない。

「元々ね、若手研究者って助手がいないものなのよ。先輩格の研究者のところの人が、繁忙期に時折来てくれたりする程度で。私のところもそうだったんだけど、数ヶ月前からいろいろあってそれが出来なくなって……」

 と、そこでなぜかサツキは表情を暗くしたが、すぐに話に戻った。

「で、手伝いなしでやって来たんだけど、ちょっと限界迎えちゃってね。そこ来て求人かけても駄目じゃ……。そういうことなのよ」

「なるほどなあ、それで俺に白羽の矢が立ったと」

「実際のところ、悪い話じゃないと思うのよね。私がまず助かるし、あなたは仕事出来るし、さらに保護者として見ていられるし」

「うーん、そうか……保護者としての責任もあるんだよな」

 せっかくここまでやってもらって話を受けないというのも不義理だし、何よりサツキの苦労を思うと放っておくのもいささか気の毒である。

 啓一も文系とはいえ大学院の修士課程まで出ているため、一人で研究をやることの大変さは多少なりとも分かっているつもりだ。

「じゃあ、それ受けるよ。ただ、完全なまでの専門外だから……そこだけは覚悟してくれ」

 そう言って、啓一は静かにうなずいたのである。

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